宣帝紀

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続きです。 司馬懿の言うことが 全部当たってるというよりは これ事実から遡って言わせてるだけじゃ。 22. 時軍師杜襲、督軍薛悌皆言明年麥熟,亮必為寇,隴右無穀,宜及冬豫運。帝曰:「亮再出祁山,一攻陳倉,挫衄而反。縱其後出,不復攻城,當求野戰,必在隴東,不在西也。亮每以糧少為恨,歸必積穀,以吾料之,非三稔不能動矣。」於是表徙冀州農夫佃上邽,興京兆、天水、南安監冶。 (訳) 時に軍師の杜襲(としゅう)・督軍の薛悌(せつてい)らは皆 年が明けて麦が熟成したなら 必ずや諸葛亮が(わざわい)を為すであろうが、 隴右(ろうゆう)には穀物が無いため、冬になったら 予め運んでおくべきだと述べた。 宣帝は言った。 「諸葛亮は二度祁山(きざん)へと出向き 一度陳倉(ちんそう)を攻めたが、 挫衄(ざじく)(挫けて)して引き返していった。 たとえ今後出撃してきても もう二度と城を攻めず、 きっと隴西(ろうせい)でなく、隴東(ろうとう)において 野戦を求めてくるだろう。 諸葛亮は毎度、 兵糧の少ない事を遺恨に思っており 帰還すればきっと穀物を積み上げる筈だ。 吾が考えるに、三年は動けまい」 こうして上表し 冀州(きしゅう)の農夫を上邽(じょうけい)に移して耕作させ、 京兆(きょうちょう)天水(てんすい)南安(なんあん)冶金(やきん)を監督した。 (註釈) 次の第五次北伐が最後の北伐です。 諸葛亮を「堅実で愚直な指揮官」と 評している司馬懿ですが 警戒を怠る事はありません。 必勝を期す諸葛亮は 兵糧を十分に溜め込んでから やってくる筈と予見して こちらも万全の態勢で待ち構えます。 三年は攻めてこない、 ってセリフは事実から遡って 言わせてるだけ感がすごい。
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