山崎昇平⑤

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山崎昇平⑤

 ――ハルカがお姉さんを目指して頑張るのなら、僕も協力する。  ……あの頃が懐かしい。あれから僕たちは、一心不乱に勉強した。ゲノム編集についての情報も集めた。レノが持っている技術には到底及ばないことを承知の上で。  相変わらずハルカはガサツで自己中心的だったけれど、僕は誰よりもハルカを扱うのが上手になった。どうすれば機嫌が直るのか、何をしてあげれば喜ぶのか、その辺のことはだいたい把握できていた。  考えてみれば、ハルカが僕とうまくシンクロするのは……当たり前なんだよな。彼女は僕の母さんと同じ遺伝子を持ってるんだから。つまり、僕とハルカは血が繋がっているも同然なのだ。  結局僕は、ハルカとどんな関係になれば良いのか……未だに答えを出せずにいる。僕たちが生物学的に親子であることは僕たちしか知らない事実で、法律的には全くの他人だ。だから当然、結婚することだってできるわけだけど……。  本当にそれで、いいのだろうか。  ……子供を作らなければ問題ないのかもしれない。だけどハルカは、子作りするつもり満々だ。ハプスブルグ家の顎とか、ヨーロッパ王族の血友病なんかの話をしても、聞く耳を持ってくれなかった。それどころか、この話題を持ち出すとハルカは烈火のごとく怒り出す。  僕だって、ハルカのことが好きだ。結婚できるのなら、したいと思ってる。……だけど、産まれてくる子供はどうなるんだ? そこに目を瞑ってしまっていいのか?  そんなことを考えながらも、ずるずると交際は続いた。高校は別々だったけれど大学は同じところに進学し、兄妹のようなお似合いカップルとして周囲からは認知され始める。  実際、僕たちはよく似た顔つきをしていて、外出先では何度も兄妹と間違えられた。……こうなってくると、『血のつながり』を客観的に指摘されているような気がして、僕の中の罪悪感は膨れ上がってゆく。そもそも、ハルカ自身も「ショウは姉さんと似てる」って言ってたし。厳密に言えば、ハルカのお姉さんとも血が繋がっているのだから、それも当たり前だ。  学部を卒業した僕たちは、そのまま大学院に進学した。今、僕もハルカも修士の二年生。24歳のオトナな女性に成長したハルカは、以前に増して魅力的な容姿となっていた。……僕自身、罪悪感はありつつもそんなハルカのことを手放せないのだから、……ハルカと同罪だ。 「ねぇねぇ。セックス一回やると、茶碗一杯分のご飯くらいカロリー消費するらしいよ?」 「……それ、この前も聞いたけど……」 「あたし、最近また太ってきちゃってさぁ。ダイエットしたいんだ」 「じゃあ、帰りにジムでも寄っていけば?」  背後から僕の首に両腕を緩く絡めつつ、背中に胸を押しつけてくるハルカに、僕は素っ気なくそう返した。  目の前には三百㎖の分液ロート、中には生成物がとけ込んで濁った水が入ってる。……僕は、大切な実験をやっている真っ最中だった。ここから酢酸エチルで生成物を抽出しなきゃいけないのに、こうも背中が重いとやる気がでない。 「他のメンバーはみんな帰っちゃったんだけど。このまま襲っちゃってもいい?」 「んー……。いいけど、代わりに分液ロート振ってくれる?」 「えー、やだぁ。疲れるし」 「じゃあ、襲っちゃだめー。そもそも、ダイエットしたかったんじゃないの? 疲れるって……分液ロート振るくらいでそんな……」 「もぉー、分かってないなぁ!」  ……本当は分かっているけど、分かっていないふりをする。僕たちが初めて事に及んだのは、大学3年生の時だった。最初はとんでもなく嫌がっていたクセに、今じゃこの状態。多いと、週に一回は夜の営みがある。  別に、彼女との行為が嫌なわけじゃない。僕だって楽しんでいる部分はあるし、彼女に誘われれば嬉しい。……でも、気兼ねなく出来るかといったら、そんなことはなかった。  ……彼女との行為の際は、あらゆるアイテムをフル装備して、完璧な避妊体勢を整えなきゃいけない。万が一妊娠してしまったら、ハルカは絶対に堕ろさないからだ。そもそも、彼女はいつも、妊娠するつもりで僕に襲いかかってくる。……身籠もってしまえば、結婚せざるを得なくなると踏んでいるらしい。 「生理前で性欲が高まっちゃってて、むらむらがやばい……!!」 「じゃあ、今日はできないね。生理が終わったらにしよう」 「なんでぇー!? もういいじゃん、妊娠したって!! あたし達もう大人なんだよ!?」  「よくないよ!! 収入もないのに、どうやって子育てするんだ!?」  ……もちろん、妊娠して欲しくない本当の理由は、そこじゃない。 「とにかく、今日は実験もあるから、どっちにしても無理だよ。先に帰って一人で処理してくれないかな?」 「はぁーん、もぉいいしっ!! 今日のこと、後悔しても知らないんだから!!」  ハルカはそう怒鳴り散らすと、プンスカ湯気を出しながら帰宅してしまった。……これでいいんだ。国際学会が近くて実験が忙しいのは事実だし、耐えきれなくなったハルカが他に彼氏を作ってくれれば、僕の苦悩も消え……  消える……のかな……、本当に。……分からなくなってきた。  繰り返すけど、僕だってハルカのことが好きなんだ。好きなのに……。好きなら……。好きなら、いいのか? 僕たちは、たまたま関係性が周囲に知られていないだけで、実質親子なんだぞ? ……ダメに決まってる。好きだっていう感情があれば済む話じゃない。  ……このままじゃ、ダメなんだ。  僕も僕で、愚かだった。ハルカの美貌に目がくらんで……彼女を手放せなかったんだ。僕の責任も重い。今までずっと後回しにしてきたけれど、いずれしっかり説明して……ハルカとは別れよう。  ……そう覚悟を決めた矢先のことだった。僕に、心臓疾患が見つかったのは。  最初は、「最近、空咳が続くな、風邪かな?」と思っていた程度だった。ところが、次第に吐き気と息苦しさがダブルコンボで襲ってくるようになり、ついには階段を上ることすら苦しくなってきた。  さすがに不安になってきた僕は、ハルカに内緒で病院へ行くことにした。そこで下されたのは、「心臓の形がおかしいから、精密検査を受けてください」という、思いもよらぬ診断。風邪薬が欲しくて軽い気持ちで受診したのに、不調の原因が心臓にあったなんて……。後日僕は、数日間の検査入院を余儀なくされた。 「カテーテル検査の結果、昇平さんは『拡張型心筋症』という病気にかかっていることが分かりました」 「拡張型心筋症……?」  全然、ピンと来ない。それは、命に関わる病気なんでしょうか。正直ヤバいかどうかすら分からなかったけど、なんとなく聞き覚えがあるような気がした僕は、必死に記憶を辿る。心筋症……心筋症…… 「はい。心臓の筋肉が徐々に繊維化していき、収縮力を失って拡張してゆく病気です。まだ初期の段階なので、薬を飲みながらにはなりますが、普段通りの生活はできますし、直ぐに命がどうこう……ということはありません。とりあえず、安心してください」  ……思い出した。父の死因が、心筋症だったんだ。話によれば父は手術を繰り返し、最終的に心臓移植が間に合わなくて亡くなった。 「手術とか……することにはなるんですか?」 「最近は良い薬も開発されていて、外科的治療に踏み込まなくても済む例が増えてきていますが、今後の容態によります。根本的に治すには、心臓移植しか手がありません。ただ、それは最後の手段です」  ……父が死んだのは20年以上も前の話だ。今はあの頃より医療技術が進んでいるハズだし、この医師の言う通り、これで死ぬことはないのかもしれない。  とりあえず、日常生活は送れそうではあったけれど。突然死の危険が常にあるので、一人にはならないで欲しいと告げられた。そうは言われても、家族のいない僕には難しい話だ。  ハルカにこの話をするべきかどうか、僕は最後の最後まで悩み続けた。でも、毎日たくさんの薬を飲む必要があるし、体調も優れない。勘のいいハルカなら、僕から言わなくてもいずれ気づいてしまうだろう。だから結局、全てを話してしまった。すると…… 「……じゃあ、一緒に住もう。一人暮らしなんてあたしが許さない。すぐに二人で住めるアパートを探してくるから、それまではあたしがショウのアパートにいてあげる」  予想通りというか、こういう展開になってしまった。こうなると、僕がなんと言おうが彼女は言うことを聞いてくれない。このままじゃ、どんどん別れを告げにくくなってしまう。それなのに……  ……ぼくは結局、最後までこの話を断れなかった。  本当にクズだ、クズの極みだと思う。ハルカはたぶん、大学を卒業したら僕が結婚してくれるのだと信じているだろうし、子供を、家族を作ろうとも思っている。恐らく、粛々と準備を進めているはずだ。……時が経てば経つほど、僕の行為は残酷なものになってゆく。  二人暮らしなんて始めてしまったら、それこそ後に引けなくなる。引き返すのなら今のうちだぞ……? 何度も自分に問いかけた。  でも、そんな心配は杞憂に終わった。……二人暮らしが始まることはなかったからだ。  僕の心筋症は、進行のスピードが異常に速かった。どんなに薬を飲んでも症状が緩和されることはなく、送れるはずだった日常生活ははかない夢と散った。階段を上ることは完全にできなくなり、ハルカの支えがなければ歩くことさえままならない。  ハルカとの二人暮らしが始まる前に、僕は……。入院しなければいけなくなるほど、症状を悪化させてしまったのだ。  何もかもが急すぎて、自分以上にハルカのことが心配だった。別れ話をほのめかすだけでも取り乱す彼女に、この現実を受け入れる事ができるのかと……。  ……そんな心配をよそに、ハルカはとことん前向きだった。どんなに絶望的なことを医者に言われても、「あたしがいれば大丈夫」の一点張り。僕に代わって、色々な手続きを済ませてくれた。 「……ごめんな、ハルカ……」  そんな彼女に、僕は謝った。今は毎日のように病室に来て、看病をしてくれる。……あの時バイトなんて始めなければ、僕達は出会わなかったんだ。ハルカだって、全然違う人生を歩んでいたに違いない。 「何が? 急に謝られても困るんだけど。理由を言ってよ、謝る理由」 「何もかも過ぎて、言葉が見つからない。……強いて言えば、出会ってしまって……ごめん……」  全部、僕のせいだ。……だから、心の底から謝ったのに。 「寝言言ってるなら、ひっぱたいて起こしてあげるけど」  ……ハルカの回答は、たったそれだけだった。
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