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佐倉春花①
「毎日お疲れ様です、佐倉さん」
途中ですれ違った看護師に会釈をしつつ、あたしはとある病室に向かって歩を進めていた。……だけど、目的地を前にして足止めを食らってしまう。病室の前には「検査中」の札が出ていたからだ。
仕方なく、近くの談話室にあった椅子に腰掛ける。ここには丸い机1つと腰掛けのある椅子4つ……というセットが6つほどあり、隅には自販機、斜め上には液晶テレビが取り付けられていた。
何気なく窓の外を眺めながら、色々な事を考えるあたし。女子のくせに勢いで理系大学の修士課程まで進学してしまったけれど、これからどうしようか……。
ふと隣のテーブルを見ると、姉妹と思われる小学生が、楽しそうにキャッキャやっていた。それを見て昔の自分を思い出したあたしは、少し……複雑な気持ちになる。だって……
……あたしはあの位の歳の頃、クラスメイトを殺そうとしたんだもの。原因はいじめ。……それはもう、酷いいじめだった。
あの頃のあたしは、気も体も小さくて、弱々しくて、抵抗なんて出来なかった。その結果、いじめは際限なくエスカレートして……。気がついたときにはもう、手の施しようがなくなっていた。
「待ってよー!! どうせ暇なんだから、一緒に遊ぼうよー!!」
そっと目を閉じると脳裏に響く、あの甘ったるい鼻につく声。できるだけ早くその声から遠ざかりたくて、学校裏の人気のない場所を、あの頃のあたしはいつも懸命に走っていたっけ……。
(速く……!! もっと速く動けっ……!!)
本当に、この足は役に立たない。徒競走だっていつもビリ、救いようのない鈍足。それでも、靴に絡まる草を引きちぎりながら、あたしは必死に逃げた。なのに……
「あっ……!!」
神様はいつも、あの3人の味方をする。あたしは段差につまずいて、それはもう壮大にずっこけた。前に突き出した両手はなんの役にも立たなくて、ザザ~ッって2mくらい滑走してから止った。
この日着ていたのは、10歳の誕生日に姉さんが買ってくれた大切なTシャツ。無残に泥だらけになったソレを見て、悔しさに歯を食いしばった。それからすぐに立ち上がろうとしたんだけど、なかなか立てない。足首を変な方向に捻ってしまって、力が入らなかったんだ。
「ダメだよ春花~、大人しく待ってなくちゃ!! アハハハ!!」
春花っていうのは、あたしのこと。佐倉春花が私の名前。無様に這いずっているあたしを見下ろしながら、あの3人は多分、満面の笑みを浮かべていたんだろうな。
忘れもしないあの顔ぶれ。加藤裕佳梨、他二人。いつもあたしをいじめて楽しんでいた、正真正銘のいじめっ子。
いじめが始まった理由は、実に単純だった。裕佳梨の好きな男の子が、あたしのことを好きになってしまったから。
自分で言うのも難だけど、あたしは容姿端麗で、実際結構もてていたらしい。鼻筋は通っているし、目はくりっと大きくて、どこかハーフのような雰囲気があったからね。今もだけど。
まぁとにかく、三角関係……っていうのかな、こういうの。でも、その当時のあたしは、恋愛ってナニ? 美味しいの? ……そんなレベルだったから、裕佳梨がどうしてそこまでムキになるのか、分からなかった。でも、裕佳梨は凄く本気で。怖くて。挙げ句の果てに、こんなことまで言ってきた。
『責任取って、トモキに嫌われてくれない!?』
トモキっていうのが、問題の男子なんだけど……、彼女の要求、滅茶苦茶だよね? できるわけないじゃん、そんなこと。どうすればいいのかなんてわからない。
……で、途方に暮れてまごまごしてたら、いじめられるようになってしまったわけ。今考えれば、信じられないくらいに幼稚過ぎる話だ。
教師どもは残念ながら、裕佳梨を心底信頼していた。猫っかぶるのが凄くうまくてね、彼女。成績も良くて、優秀で、学級委員長。完璧な優等生だった。
対してあたしはというと、授業中は振り子のように揺れながら寝ていたし、宿題だって全然出してない。……というか、やっても裕佳梨に取られて消えちゃうからさ。空しくなって、止めたんだ。学校もよく休んでたしね。無闇に大人っぽい容姿も不利に働いて、化粧疑惑をよくかけられていた。
そんな訳で、先生からの評価は最底辺。ゴミを見るような目で、あたしを見てくる。だから、あたしの言い分なんて一つも通らなかった。
数少ない友達に相談したって、「裕佳梨ちゃんはそんなことしないよぉ~」……でオシマイ。家族にも相談できなくて、あたしは……一人で耐えるしかなかった。
「いっつ……!!」
三人に囲まれながらも、あたしは立ち上がる努力を続けていた。足首がもの凄く痛くて……それどころじゃなかったけれど。そんなあたしを見て、三人は楽しそうにケラケラ笑っていた。
「まったくさぁ、そうやって怪我したフリして、今日はここで終わりにしようっていう考え?」
「うわ、ナニソレ!! 超ずる~い!! 仮病だ仮病!! そういうのって、許しちゃダメだよね~!!」
「しかも、それで痛がってるつもり? 演技下手過ぎて笑える!!」
これこそまさに、まな板の鯉。ニヤニヤ笑いながら茶色い紙袋を取り出す裕佳梨を見て、あたしは全てを諦めた。裕佳梨は躊躇なく、袋の中身をあたしの背中に入れてくる。バサッてね。
「あっ……!! な……何……!? 何入れたの……!?」
すごく不快な感触で、嫌な気分になる。ちくちくして、痛痒くて。裕佳梨ってば、ナニ入れたんだと思う? 鉛筆の削りカスだよ、それも信じられないほどたくさん。
あたしが焦って削りカスを掻き出そうとしたら、裕佳梨に思いっきり背中をけっ飛ばされて、うつぶせの格好で地面に叩きつけられた。しかも、3人掛りで楽しそうにガンガン背中を踏んづけてきてさ。あのね、鉛筆の削りカスが入ってるんだよ? めちゃくちゃ痛いんだから。刺さってる、木の繊維的なヤツが絶対刺さってるって。
その後もボコボコに踏んだり蹴ったりされたあたしは、最終的に嘔吐して、しかも吐瀉物のなかに突き飛ばされた。
もうボロボロ。心も体も。……だからあたしはこの日、自殺しようって心に決めた。そう、自殺しようとしたんだ、最初は。……だけど、できなかった。
……トモキに止められちゃったから。君が死んだら、俺も死ぬよ……って。
あの日、教室に戻って体育着に着替えていたら、トモキが入ってきた。忘れ物を取りに来たとか、なんかそんな理由で。そこでワケを聞かれて、死のうとしていることを打ち明けたら、泣き付かれた。
いじめの事実を他人と共有できたのは、これが初めてだった。その後もトモキは色々と相談に乗ってくれて、いつしかあたしとトモキは、両想いになっていた。そんなトモキへの恋に目がくらんだあたしの心には、少しずつ、黒い影が忍び寄ってゆく。
……自殺するくらいなら、殺してしまえばいい。
あたしはトモキの家で落ち合い、計画を立て始めた。もちろん、ためらいはあった。躊躇も、不安も。最初の頃は、実行できるなんてとても思えなかった。
「できる限り残酷に、猟奇的に殺そう。そうすれば、誰も小学六年生の女の子が犯人だなんて思わないはずだ」
辿り着いた作戦は、恐ろしいものだった。当時のあたしは、「猟奇的」という言葉の意味さえ知らないような、無邪気な子供だ。彼の思考について行けず、何度も気絶しそうになった。
なぜ人を殺してはいけないのか。いいや、そうじゃない。「人を殺したくない」のは、なぜなんだろう。あたしは未だに分からない。
裕佳梨には、いつもいつもヒドイいじめを受け、殺されかけたこともある。そして、あのまま放っていたら、いつかそう遠くないうちに、自分が殺されていたのかもしれない。にも拘わらずあたしは、裕佳梨を殺すことに躊躇していた。
裕佳梨が可愛そうだからだろうか。当時の自分に、裕佳梨を「可愛そう」だと思うほどの余裕が、あったのだろうか。だいたい、なぜ「可愛そう」だと思わなければならないのか、この期に及んで。
そもそも、自分には死ぬ覚悟があったんだ。人を殺すことは、自殺することよりも辛いのか? 人を殺し、その重荷を背負ったまま生きることは、死よりも辛いのか。死よりも辛い……そんなことが本当に、あるのだろうか。……幼すぎるあたしの頭は、殺人という重圧に耐えきれず……次第に壊れていった。
死という言葉が頭の中を駆け巡り、しばらく眠れない日々を過ごし、精神的な限界も近づいていく。……けれど。
……結局、計画は実行されなかった。姉さんが全てを解決してしまったから。ううん、してくれたから。
あたしの様子がおかしいことを察していた姉さんは、あたしに小型発信器をこっそり取り付けて尾行し、いじめの現場に乗り込んできた。びっくりしたあたしが固まっている間に、姉さんはその場にいた裕佳梨を制圧した。……本当に、一瞬の出来事だった。
「抵抗しても無駄だ。私は人体の構造を完全に把握している。君に勝ち目はない。それと、君の愚行は撮影させて頂いた。悪いが、転校しなければならなくなる程度に追い詰めさせていただく」
ちなみにこの日、今までどうして相談してくれなかったのかと、姉さんにはこっぴどく叱られたんだよね。
その後、姉さんは本当に三人を転校させるまで追い詰め、あたしの苦悩は嘘のように消え去ってしまった。あまりにもあっけない終焉に、最初から姉さんに相談しておけば良かったと後悔した。
そうそう、言い忘れていたけど。あたしと一歳違いの姉さんは、……知能指数が測定できないような、あり得ないくらいの天才なんだ。
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