1章

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「す、すみません」    謝罪しか言葉が出てこないのも、ぼっち特有の性質が出てしまっているが、実際、この状況で「家族心理学、ちょうど今レポートで書いてたので、気になってつい」など社交性抜群の発言ができる人が全体でどれくらいいるだろう。  しかし、とっさに謝罪をして視線を自分の卓上に戻すくらいには、酷く整った顔立ちをした落ち着いた大人の男性だった。   「学生さんだよね、もしかして、心理学科の人?」    男性は謝罪に対して話を広げてきた。社交性抜群タイプのようだ。そのことにさらに肩が強張って、一層、カタコトの返事になってしまう。   「そっか、道理で気になるはずだ。今やってるのは課題?」    未来自身は、早々に話を切り上げて、どうせならこの場を立ち去りたい。そう願ってやまないのに、コミュ力鬼の男性は、頬杖をついていた手で黒縁メガネを上に上げる動作が様になりすぎているせいで、近距離においてご法度の「直視」を繰り出してしまう。 「い、今、ちょうど家族、心理学のレポートしてるところ、なんです」 「おお、それはまた、道理で気になる内容だな!」  あ、表情が緩むと、雰囲気より若く見える、と客観視するものの、数分前の自分より既に緊張がいくらか解けていることに驚いた。流石、大人の男性は女の扱いが慣れている、といったところか。それだけのビジュアルがあれば、それなりに恋愛をしてきただろうし、それが安易に予想される。 「お邪魔でなければ、ちょっとレポート見せてほしいんだけど」 「あ、はい、どぞ」 「どうも」  今どき手書きでレポート提出と指定した、家族心理学の教員を軽く恨んで、手元のプリントを男性に手渡す。   「円環的認識論のところ、ちょっと解釈違うかも」  違う、の言葉に反応して、男性の手元にあるプリントを覗き込んだ。刹那的な行動で、未来も自分からパーソナルスペースを侵していることに気付いていない。   「円環的認識論っていうのは、原因から結果が円環的に連なってしまうってのが簡単な説明な。もっと砕けていうなら負のスパイラル的な言葉の方がイメージしやすいと思うけど、多数の要因があるよ、ってのが正しいな」 「あー・・・・・・確かに、私のだと、一つの原因が起因して結果が多数と書くのは違いますね」  未来は尚も自らの侵犯に気付かない。それどころか、話を広げるまでに至っているのだから、心理学という学問に興味を示し知的欲求が表れているのは明白だった。 「心理学科だからっていうのは勿論だが、心理学の勉強が好きなんだな」 「そう、ですね。座学は嫌いじゃないです」 「真面目な子でなにより」 「真面目じゃないですよ、今の時間、本当は授業入ってるんですよ」 「ま、そんな日もあるさ。だけど、有効的に時間を使ってるあたり、真面目だよな。親御さんの育て方が良いと見た」 「・・・・・・そうですね」  パーソナルスペースを自らさらに侵犯していたことを悔やみ、我に返る。同時に、手の震えが出てきて、脳裏では警鐘が鳴り響く。  地雷が踏まれ自爆する可能性が高いと、せっかく1からはじめようとした意味がなくなってしまう。  この男性に悪意もなければ他意もない。分かっていながら、体は正直で、この先の会話を続けることを拒んでいる。  プリントを受け取り、話をぶつ切りにした。気分屋だと思われたかもしれない、子どもだと思われたかもしれない、それが多少のやるせなさを生んで、愛想笑いが下手くそだった。
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