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長い歴史の中、いろいろと紆余曲折はあったものの、現在は神聖イスカンドリア帝国を構成する領邦国家の一つ、ブラウントラウット公国の領有するところとなっている大都市チャーメルンだ。
また、街の中央にはここからでも見えるほど大きく立派な聖ボタニカテウス律院という古い石造りの修道院の尖塔がそびえ立ち、かつてはミンデイイ司教が影響力を振るうレジティマム教会中心の町でもあったが、今は預言皇を批判するビーブリストが市民の主流を占めているため、その影はなりをひそめている。
「昨晩の宿で買ったガイドブックによりますと、製粉業が盛んなチャーメルンでは、辰国より伝わったとされる〝ラ・メーン〟なるスープパスタが名物のようです。あと、例の〝笛吹き男〟の伝説で有名な街ですな」
石橋にさしかかっても馬の歩を止めることなく、懐から取り出した小冊子を眺めながらアウグストはそう解説する。
さっきまであれだけ文句を口にしていたものの、そのわりにはそこはかとなく観光気分を醸し出している。
「笛吹き男? あの、町のこども達を残らずどこかへ連れ去ってしまったとかいう……」
同じく石畳に硬い蹄の音を甲高く響かせ、馬で石橋を渡り始めるハーソンの背後で、メデイアが少々興味を掻き立てられた様子で聞き返した。
「ああ。その昔、大量発生したネズミの害に困った町の者達は、報酬を払う約束をして一人の旅の男にネズミの駆除を頼んだ。その依頼に色とりどりの服を着た旅の男は、笛を吹いて町中のネズミを集め、その群れを自らベーダー川へ飛び込ませて見事すべてを溺死させたそうな。ところが、この労に対して町の者達は男に報酬を払わなかった。すると男はまた笛を吹きながら町を歩き廻り、今度は町中のこども達を一人残らず引き連れて、どこへともなく消え去ってしまったという……誰もが小さい頃に聞いたことのある有名なおとぎ話だな」
その問いには、彼女の眼前に広がる白いマントで覆われた大きな背中――ハーソンが、アウグストに代わって相変わらずの淡々とした口調で長々とそう答えた。
「…っ! っとと……」
だが、突然、耳元近くでしたその男らしい声に、メデイアは異常なまでの驚きを見せると、薄布のベールの下の顔をほんのりと赤らめ、危うく馬からずり落ちそうになってしまう。
メデイア自身にもこの感情が如何なるものなのかまだよく理解できていなかったが、邪な欲望と歪んだ大衆心理によって火炙り寸前にされていたところを救い出してくれた上に、〝魔女〟として世間から迫害される身であった自分に居場所と進む道を与えてくれたこのハーソンという男を妙に意識するようになっていた。
しかも、その感情は日が経つにつれて徐々に強くなっていっているような気がする……。
「ま、悪魔や人買いの話同様、そう言ってこどもを怖がらせ、悪いことしないように戒めるお説教や教訓話の類なのでしょうな」
彼とくっつかないよう馬の背の上で体を強張らせ、気持ちが違うところへ行ってしまっているメデイアを他所に、ハーソンの話を受けてアウグストがそんな合いの手を入れる。
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