三節「白い風」

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「で、さ。これからどうしようか?」  席に座っている藍樹がそう言い出した。 「この霧を晴らす方策は、今のところ術者を倒すくらいしか思いつかないな」  そもそも、呪術によって結界が作られたのなら、呪詛返しで無効化するくらいしか手はないのだが、この中にそれができる者はいない。  霊力を扱えても呪術を扱えないのは普通のことで、人によって得手不得手は違うものだから、そこは仕方がない。 「結界の解除は簡単だよ?」  ニアがそう言うけれど、彼女が提示した方法は三時間で達成できるものではないように思えた。『結界の支柱を探し出して壊す』という、至極簡単な解呪法ではあっても、既に中心部にまで来てしまった以上、散開して手を薄くするのは得策ではないはずだ。 「相手の術師が結界術師でない可能性が高いとはいえ、その方が厄介だってことか」 「そんで、この霧を撒いている異能者は全く別物の相手だからな」  教室の隅っこで縛られたまま眠っている三水を人質にする案もあったけれど、しかしそれで交渉できるかどうかは怪しいし、僕らは交渉術など持っていない。  人格的に交渉には向かない人材ばかりなのだ。  すべてが茫洋としていて、何もわからない。そのわからなさが肝なのだとニアは言った。 「どういうこと?」 「どんな作戦でも、相手にその意図を悟らせないこと、そもそも隠匿以前に存在を意識させないことが普通に優秀な在り方だからだよ。戦闘員というより、諜報員や隠密のやり口だけどね」  やりたいことが判らないのならば、それは既に成功しているということらしい。 「時間制限はそういう理由か。まあ解らなくもないけれど」  しかし、この街でここまで派手なことをすれば、管理者が真っ先に動いていくはずなんだけれどな。  陽山町は「萌崎家」の本拠地なのだから。 「萌崎って、六崎橋の萌崎? ここが拠点なんだ、知らなかったな」  ニアは感心したように息を吐く。  今は当主代行の萌崎渦錬が街を出ているので、その弟、後輩の萌崎舎人が管理者代理人として活動している。彼が今動いていないとは思えないのだけれど。 「舎人君だけじゃないでしょ。この状況なら、海奈さんだって見過ごさないはずだよ」 「確かに母さんは早々に動くだろうけれど、対応できるかは怪しいだろ」 「んなこたあねえよ」  教室の後ろから、ぶっきらぼうなアルトが飛んでくる。全員が視線を向けると。 「母さん、いつからここに居たんだ?」 「十分くらい前かな。舎人の指示でね、おまえたちを迎えに来たんだ。シーカにも頼まれているしな」 「シーカ?」  誰だそれは。 「涼に聞いたぜ。仁はあいつを『リン』と呼んでいたそうだな」 「リン、って。母さんは『ガーデン』と繋がっているのか」 「当たり前だ」言いながら、いつものように確かな足取りで近づいてくる。「シーカ、十里塚詩歌(とおりづか・しいか)は私の同窓生だぞ?」 「いつもいつも思うけれど、母さんはどんな学校に通ってたんだよ?」 「普通科高校だよ。周りが異常すぎるのはおまえと大して変わりやしないさ。それよりも」  言いながら、母はニアに視線を向けた。 「ニアータ=ハクマ。覇久磨家の始祖と出会えるとは思いもしなかったよ。仁と縁があると舎人は言っていたが、どういう話か聞かせてもらいたいな」 「…………。あはは、真祖が相手でも物怖じしない性格は仁くんの親だって感じだね。そういう人は好きだよ」  殺気でも気魄でもなく、純粋な興味を互いに持ったようだった。 「そうかい、そいつは重畳。しかし、そこで磔刑に処されているのは誰なんだ?」  母の眼が三水に向く。不思議そうな顔をしているが、僕にもよくは解らないのだから、問うだけ無駄な気もするけれど。  鯖尾三水という名前を告げると、そうかとだけ返ってきた。反応が読めないのはいつものことだけれど、しかし今回は無反応のようには見えなかった。 「分かった。話はあとで訊くから、先ずは目的地に急ごうか」 「目的地?」  全員が首を傾げる。しかしその問い返しには何も答えず、母はさっさと教室を出ていき、一階の講堂まで進んでいった。  体育館の兼用なので、床にはいくつものラインが引かれている。  そのうちの一つを辿っていくと、ステージの真ん中まで不自然に伸びているビニールテープの線が、ぐちゃぐちゃに歪んでいた。 「なんだ、これ」 「非常時の避難経路だよ。この街ができたころ、萌崎古守が構築したものらしい」  言いながら、そのテープで囲まれた扉を開くと、そこには地下深くまで続いている通路が現れる。階段が伸びているが、その奥から湿った風が吹きつけていた。 「う……」  ニアが嫌そうに唸る。昔のことを思い出してしまうのだろうか。  そんなことには構いもせず、母はその階段を降り始めた。その後ろを藍樹と糸識さん、礼吐くんが続いていき、三水を縛り付けたままのルルも降りていく。 「…………怖くないよ、ニア」 「解ってるけど……」  それでも不機嫌な彼女の手を引っ張って、やや強引に進み始めた。  小さい手を握っていると、なんだか感覚が傾ぐ。しかしそこにはなんとなく嬉しさがあったけれど、それが何に起因しているのかはよく解らなかった。  とりあえず、振り払われることはなく。  手をつないだまま進んでいくのだ。
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