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「はっ!」
気が付けば、僕はコンビニのイートインスペースでテーブルに突っ伏している状態だった。さっきと同じように蒼く暗い闇に落ちている空間の中、上半身を起こせば周囲には誰も居ない。
その代わり、僕の目の前には見慣れた刀が一振り、置かれている。
合口銘刀「影楼」。手に取れば、慣れた感触に意識が少しだけはっきりとした。
立ち上がって、付属のアタッチメントで腰に吊り下げる。先生のように普段から和服で帯に刀を差しているような状態でもないので、僕はベルトに着ける金具を持ち歩いていた。
「痛ぅ……」
歩き出そうとした瞬間、頭の中に刺すような痛みが走る。誰の記憶かも判らない映像が、いくつもフラッシュバックする。そんなことには構っていられず、これからどうするべきかを考えるのだけれど。
「正直、ここから出る以外に取れる手段が見当たらないよな……」
ここからどうなるかもよく判らず、仕方なしに扉を押し開いて、夜闇の中に飛び込んでいく。
そう思ったのも一瞬。
視界を白く塗り潰す黄昏の太陽が真正面から照りつけて、思わず目を瞑った。同じように正面から吹く風に乗って、周囲の植物がざわざわと揺れ、甘い匂いを撒き散らす。
回復する視界をゆっくり開けば、そこは。
一面の花畑。虹色の空。奥に見える巨大な城。
それは、昔僕が思い描いた、そして初めてカタチにしたイラストの情景そのままだった。趣味で絵を描いている、その始まりは、こんな風景だったと思い出している最中、僕の真正面に人影が見えていた。
「オレは、生きたいだけなんだ。ただ、それだけでいい」
知っている声だった。二年前に知り合った、あの英雄の声。
強く、弱く。中学生にしては博識で、どこか斜に構えた話し方。
その姿は、逆光でよく見えない。
「それで本当にいいのか? おまえはどう足掻いても世界の中で生きていくしかないんだぜ?」
彼の声に応えるのは、誰だろう。全く知らない声だ。
声だけで人を判断するのはあまりに難しく、二人の会話に介入でもしない限りは分かり得ないことなのだろう。
でも、脚が動かない。喉も震えない。
遥か前方の二人には、今の僕は触れられない。
「何であっても、オレにはできることしかできない。それだけの話さ。オレには場所が必要なだけだよ」
「そうかもな。私にはどうにもできないからこそ、こうして助言を送ることになったんだがな」
ざわ、と一瞬だけ風が吹いた。
「さ、行くといい。おまえの行く先はこの扉の向こう側だ」
太陽をバックに、影しか見えないけれど、そこには巨大な扉がいつの間にか存在していた。
足音を鳴らして、彼は歩き出す。これからあの世界で生き、僕と出遭うことになるであろう、その歴史の始まりだった。
扉が重い音を立てて開いていく。その奥にあるものこそが、さっきまで僕達が対峙していた「くらやみ」そのものに見えた。
がごん。そんな音を立てて閉じた扉は霧のように消えてゆく。
「で、だ。遅かったな、仁」
はっと気付けば、目の前でさっきの声が発されていた。眩しくて影しか見えないその人は、どうやら女性のようだった。声の特徴で大体の予想をつけるが、年齢までは判らなかった。
「随分と回り道をしていたな。まあそれで助かった部分もあるけれど―――ふむ、あまり動揺はしていないな」
「どうでしょうね。僕はこの光景になんとなく懐かしささえ覚えてますけど」
「そうだろうな。この空間は仁、おまえ自身が生み出した世界の狭間だからな。見覚えくらいはあるだろう? 例えば、あの城とかな」
そう言って彼女が指差した城。西洋の城塞に日本の城の天守閣を混ぜ合わせたような奇抜なデザイン。本当にこんなものを僕が描いていたのか、はっきり言って思い出せない。
ただ、僕が思い描いていた空気感はそのものだった。
この感覚が、いつまでも続いて欲しいと願った、その一瞬。それを顕した世界は、確かに僕の感性だ。
「永遠の黄昏、その記憶。それがおまえが付けたタイトルだったよな」
「そうですね。夏の夕暮れが、気に入っていましてね」
彼女はそうかと頷いたようだった。それが僕にはよく判らなかったけれど、何かを納得したのは判る。
「行こうか、ここで皆が待っている」
行くって、どこへ?
そう問おうとする前に彼女は僕の右腕を引っ張って、大きく跳び上がった。衝撃に内臓が歪む感覚があったけれど、それを確認する前に僕の視界は既に頂点に達したところにまでズレていた。さっきまで立っていた地面は遠く離れ、彼女の脚は、視界の奥にあった巨大な城に向かっているのを認識した瞬間、重力に従って落下を始める。
着地の音に意識を揺らすと、しかしそれでも死にはしないことに対して、やはり現実ではないのだなあと場違いなまでに感心してしまった。
「ほら、立ちなよ」
促されるままに立ち上がるとそこには巨大な門が圧迫してくるようなスケールで構えている。僕はここまで緻密にデザインした覚えはないんだけど。
開け放たれている扉を潜って、先を行く彼女の背中を追う。よく見ると、この人何故かリクルートスーツを着込んでいた。そんな格好でよくさっきの大ジャンプができたな、と感心していると、階段を上っていく。
「あの、どこへ向かっているんです?」
「王の間。この城に王なんていないけれど、皆そこに集まってるから」
「…………?」
皆、というのが大体予想つくけれど、しかしその声色に何か不思議なものが混じっている気がして、深くは訊けなかった。
長い階段を上っていくと、高さにして十メーターはあるだろう巨大な扉の前に辿り着く。こういう建物ってどうしてこんなでかいものばかりなのだろう。巨人でも住んでいたのだろうか。
「おらあ!」
女性はその扉を乱暴に蹴り開けた。衝撃音というか衝撃波が発生して頭がくらりと揺れた。
重苦しい音を立てて開いていく扉の奥には、やはり広大な空間が広がっていた。最奥の一際高い位置にあるのが王座だろうが、そこには誰も座っていない。その代わり、一番下の床の部分にテーブルが置かれていて、そこに見知った顔が並んでいた。
バシリカに似た構造の細長い空間を進んでいくと、そちらも僕に気付いたようだった。
「兄ちゃん、遅いよー」
「待ってたぞ、仁」
「にーくん、何してたの?」
涼と藍樹と糸識さん。そして。
「ふふ、久しぶりだね。仁くん」
「ニアータ? どうしてここに」
不思議そうな表情をして、碧い眼で僕を見ているその印象は、さっきまで地下施設で一緒にいた時と同じだ。ただ、服装が違う。モノトーンのワンピースから、ブルーバイオレットのドレスに身を包んでいる。小柄で幼い顔立ちとのミスマッチが言いようのない雰囲気を醸している気がした。
「兄ちゃん、本当にニアさんと知り合いなんだね」
「本当に、ってどういうことだ?」
「だって、六千年前に知り合ったとかよくわからないことを言うから」
六千年前? 僕にとってはついさっきの感覚だけれど。ニアータを見ると、嬉しそうに笑った。
「ちゃんと覚えてるよ。仁くんが地下に閉じ込められてたわたしを解放してくれたこと。あの後突然いなくなったから、心配してたんだよ?」
どういうことかよくわからない。あの草原と地下施設は幻覚じゃなかったってことくらいは言葉を聴けば解るけれど、そんなピンポイントに時間を越えることなんてあるのだろうか?
「どれほど否定しようとも、目の前にあるのが現実なんだぜ」
むう。
「ニアさん、今は日本に住んでるんだって。昔の『プロローグ』の影響をほとんど受けなかったから、生きていられるってさ」
プロローグ。現代においては一般的な知識になっている『創世の大火』は、日本では全くその影響を及ぼさなかったらしい。故に前世界の魔術体系が高水準で生き残っているとか。
「そんな幸運があって、名古屋で覇久磨家を興したんだ。やることもなかったし、暇潰しには丁度よかったよ」
真祖は不老不死だからね、と面白そうに笑った。何が楽しいのかは解らないけれど。
「ま、元気そうでよかったよ」
「うん。ありがと」
なんとなくニアータの碧い髪を指で梳いてみる。手入れしているのかは解らないけれど、癖のある髪がふわふわと広がっている。
「仁くん、これからどうする? わたし達が今ここに居る理由は、まだ聞いていないよね?」
「まあ、さっき来たばかりだし。皆はもう知っているってことか」
ニアータはそれに対して首を振った。
「詳しいことは聞いてないよ。皆もね。ただここに集められただけだから、あの人の意図が全く読めないんだ」
「兄ちゃん、おなかすいた」
「話の流れを読めよお前は」
ニアータはそれを見て面白そうにしている。それだけでなんだか心が傾いだような、進もうとしていた道からズレたような、奇妙な感覚が心臓に残った。
時計を見ると、時刻は午後六時を過ぎようとしている。僕の時間感覚とはどこかズレがあるので、それを簡単に信じることはできなかった。
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