三節「白い風」

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……  地下深くの空間まで辿り着くと、そこには地上を丸々コピーしたような街並みが広がっていて、そこには普段と同じように人々が行き交っていた。 「これって……」 「驚いたか? この町全体を移し替えて保存するための施設であり、緊急避難空間だ。今までには殆ど使われてはいなかったんだがな」  母の台詞にはわずかに面白さが含まれている。  意地の悪い人だとは、思わないが。 「すっごいねー、街をまるまま持ってくるなんて。複製品ってわけじゃあないんだよね?」  ニアも驚いたようで、今までの暗さを打ち消すような感心の色がその表情に浮かんでいた。 「そうだな。コピーじゃなく、そのまま地上にあるダミーと入れ替えている。かつての戦争で解明された技術の応用でな、今では重複存在として地上と地下の同時に存在を置くこともできる」  地上には、限られた人間しか居ないんだ、と母は言った。  その言い方に何か含みがあるように聞こえたけれど、それが何なのかまでは判らない。 「で、僕らはここに居ろっての? リン、いや、詩歌さんから頼まれたのは僕たちなんだぜ」 「勿論仁にも動いてもらうよ。そもそも、彼らの目的はこの街から仁を連れ去ることなんだから、おまえが出なければ疑似餌にもならん」  言い方は乱暴だけれど、僕が目的なのならば、そこに対して動かなければならないのはやはり僕自身だというだけのことだった。  そういえば、と。 「先生はいないのか? この状況で動いていないとは思えないんだけど」 「実明は地上で敵の監視に当たっているよ。彼は正確には守護者でも管理代行者でもないから、先陣切って戦うのは不可能なんだ」  どれほどの力量を持っていようとね、と無感情に言い切っていた。 「時間制限もある。今の地上は毒に似た気体で覆われているからな。一定時間ごとに戻ってくるように言付けている」  そっか、と息を吐く。そのタイミングで、背中に大きな衝撃が突き抜けた。 「兄ちゃんっ! 待ってたよ遅かったよ心配したよー!」 「痛たた……。相変わらず唐突だよな、お前」  子犬のように懐いてくる涼を引きはがして落ち着かせる。 「ずっとここに居たのか?」 「んーん。地上で変なのと戦ってたら、お母さんが迎えに来たんだ。地面にあるチューブに飛び込んだらもう一つの家の前ってオチで」 「あ、そう……」  涼はもっと早いタイミングでここに来ていたということなのだろう。僕らとは違う場所に飛ばされていたことの理由は、判らないままなのだけれど。 「変なのってのは、呪影のことか?」 「うん、多分ね。斬っても斬っても消えないから、逃げ回るしかなかったけど」  確かに、呪影は人間の力で倒すのは厳しい。そもそもあれが何なのかは、一般の人間の知るところではないのだから、勘案するだけ無駄な気もするのだ。  霊力を持たない真祖は対抗できても、霊力を内包する人間には倒せない。不思議な三竦みが出来上がっていた。 「まあいいや。これからどこに向かうんだ? 涼はもう聞いているのか」 「うん。町の中央部の御神体に働きかけて、結界の中心を探るんだってさ」  よくわからないけれど、と付け足して。  僕は、まあ解るけれど。しかし。 「僕らにその権限があるのか? どちらかといえばそれは萌崎家の役目なんじゃないのかな」 「何を言っているんだ。萌崎がここに来る前から、白羽はこの土地の守護者だ。彼らは管理を行っているだけで、いざって時には私たちが出張る必要があるんだよ」  ま、これは爺さんからの受け売りだがね、と母は言う。  初めて聞く話に困惑していると、不安がることはないだろうさと言われた。そういうことじゃないんだけどな。  ともかく、次にやるべきことは決まってしまっているらしいので、おとなしく先を行く母についていくことにした。 「参ったな。これで何度目の面倒事だよ」 「兄ちゃん、何か言った?」 「いや。何も」  藍樹と糸識さんとはここで離れた。これ以上ついてくる必要はなく、というか戦闘とかになると足手纏いにしかならない可能性が高すぎるのだ。 「このシステムっていつ頃出来たんだ?」 「かなり昔としか聞いていないが、まあ呪術が実用的になった段階だろうな。それがいつのことかは知らないけれど」  少なくとも、魔術より歴史は古いんだろうとマリィは言っていたがね。  そんな言い方で誤魔化された気がする。  歴史に関して、絶対的に正しいと言えるものはあまり無いと言われてはいるけれど、この世界が続く六千年間全てを見通せる存在もまた、どこかには居るのだった。 「渦錬さんはそういうことを出来ると言っていたけど」 「こういう場所であまり口に出すな。ただでさえ『檻』の人間のことは秘匿されがちなんだから」  そうだった。  どうしても舎人が近くにいるから、そういうことに関して口が軽くなりがちだ。気を付けなければ。 「ん?」  ポケットの中で端末が震えた。取り出してみると、その舎人からメッセージが届いている。 『元気ですか、まだ生きてますか。海奈さんが同行しているでしょうけれど、地下も安全とは言い切れないですからね、気を付けてくださいね。  ところで、敵の呪術師が仁さんを狙っているっていうのはもう聞いていますよね。理由もすでに察しているとは思いますけど、だからって簡単に靡かないようにしてくださいね。仁さんは呪術に耐性がないんですから、無意味に対抗しようとしても無駄ですしね。  僕の方で結界の破壊の方に動いてますけれど、彼女たちがそれを成功させられるかは皆さんの働きに左右されますよ。  仁さんも知っている人がこっちの管理チームに居ますから、精々死なせないように頑張って下さないね。  しかし、この守護者システムも面倒ですよね。いくら、家単位で指定されるとは言っても、その方々はある程度町というか土地に縛られるんですから。自由な社会が確立している日本では既に時代遅れだとは思いませんか?  僕だっていつまでも管理者をやっているわけではありませんけれど、少なくとも兄さんが戻ってこない限り、陽山を離れられませんからね。  なんていうか、修業とは言ってもうんざりしますよ。こんな生活――――』  途中まで読んでアプリを閉じた。  一つ一つの文章が長いのは彼の仕様ではあるけれど、それをこうも連ねると読みづらいことこの上ない。最後の方は愚痴になっているし、意味のないことは送ってこないで欲しいんだけれど。  もう一度端末が震えた。 『先日、進学で県外に行った友人に会ったんですけれど――――』  続けるな、話を。  というかスクロールバーが見えねえんだよ。この短時間でどんだけ打ってんだよ。どこぞの小説家じゃああるまいに。 「…………」  電源を落として、ポケットに仕舞い直した。こんな地下でも電波は飛んでいるんだなあ、となんとなく感心していた。  地下空間では天井部分に無数のLEDライトが灯っている。一つ一つが割と光量があるので、暗いとは感じない。  街並みを抜けていくと、街の中心部の町役場に着いた。  霊的なことならば神社なのではとも思ったけれど、どうやらそういうわけでもないらしい。  五人で入っていくと、しかしその内部は無人だ。ここで行う仕事はないのか、それとも単にここだけが管理から外れているのか。 「んー。こっちだな」  母は迷うことなく階段を上っていく。そこは僕は入ったことのない場所なので、少し尻込みしてしまうけれど、今更恐れても仕方ないとは思う。  さして広くもない役場の建物の一番奥に、「奉納殿」と書かれたプレートが掲示してある。  入っていくと、四畳半の空間の中に小さく祠が置かれていた。 「これは?」 「地上の神社の御神体とリンクしている呪具。ここから、霊的なサーチができるんだ」  疑似的なコンソールだけれどねと言いながら、その祠の中にあるルチルに触れた。  瞬間、白色に淡く発光する投影型ディスプレイが表示され、母の目の前には入力用のキーボードが浮かんでいた。  霊的な手段であれば、こういう技術も再現できるということらしい。 「これ、ホログラムっていうものかな」  ニアが不思議そうに呟くと、母はまあそうだなと返す。 「本当は柳廉で採用されているARディスプレイを組み替えただけなんだけどな」 「ほえーん」 「気の抜ける反応だな……」  感心しているようだったけれど。まあ可愛いからいいや。 「此処の土地神は誰なのかな」  うん? と母がキーボードを打つ手を止めた。それから少し考えて、よく判らないと返していた。 「霊的な守護者じゃないからね。そこまで気にかけてはいなかったよ。私には、意味のない問いだな」  そこら辺は萌崎家が代行しているからな、と特に関心もなさそうだった。 「分担しているのも珍しいけど。わたしの所だと管理は全部覇久磨家でやってるから、かなり忙しいよ」  土地によりけりなんだろうけどねー。
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