三節「白い風」

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 一人か。  暫くこうやって歩いている記憶がないのはどういうことだろう。  そんなことを思いつつ、地下の街を歩き。この場所の家路を辿っていく。まあ、いろいろと脳を休めるにはいい時間だ。  住宅地に入れば人通りも少なく、空気の流れもないので、低い音程の環境音だけが耳に入ってくる。その感覚に酔いそうになりながら、それでも新しい感情を愉しんでいた。  思考の奥底で揺れる記憶が、なんとなく浮かび上がる。  どことも知れない場所の中で、ニアと出遭ったとき。  彼女は今から六千年前と言ってはいたけれど、どうしても僕にはその実感が湧かない。あくまで僕にとっては夏休みの昼間に遭遇した、異常な結界の中での出来事でしかないのに。  それとも、あれは本当に時間を越えていたのか。  何かと何かが繋がった場所に迷い込んだとか、そういう話なのだろうか。  首に掛かっているルチルのネックレスを取り出してみた。特に変わりなく、透明に輝いている。あの時に光っていたこれも、何か関係があるのかとも思うけれど。  ノエルは、それを見越していた?  考えるほどに解らなかった。 「意味のあることなんかないけれど、意味の分からないことは多いかな」  それこそよくわからないけれど。  僕の頭で難しいことを考えても意味がない。そう思えてしまうとなんだか哀しかった。それでも良いさと開き直れる感覚は、僕の中にはない。  いろいろと、知りながら考える必要がある。たかだか十五の中学生に、世界のすべてを知ることなんてできやしないけれど、知らないことを知って行動することくらいはできるんだ。  剣士であり、策士であり。しかしそんなことは僕にとってはさほど価値のあることじゃない。  本当にやるべきことなんて、とっくに決めているから。  それでも降りかかる問題を斬り払うために、剣の修行を続けている。  忙しいのは仕方ないけれど、それを面倒がって放り出すことができなくなったのは、誰の為か、誰の所為か。 「自分の為、自分の所為。それだけの話なんだけどね」  かつん、と足を止める。視線を上げれば、家の目の前に立っていた。  懐かしい気がするけれど、錯覚だろう。  鍵は開いている。不用心というより、単に人が居ないから放っておいただけのことだろう。  二階に上がって自室に入る。  少しだけ眠りたい衝動にかられたけれど、そこを抑えて机から武器を取り出す。 「どうしたものかな」  まあ、あいつを相手にするわけでもないし、通常の装備でいいような気もする。式を相手にするとなると、こっちは命懸けにならなくてはならないし、必然、装備も多くなるけれど。  必要だと思うものを持って、上着のポケットに仕舞いこんだ。本当ならば鞄に詰め込むところだけれど、戦闘中に手間取るのは致命的だった。  自分の脚を軽く打って、家を出ていく。急ぐことはないけれど、あまり悠長なことをしている暇もないのだった。  家を出たところで、何かとすれ違う。しかし瞬間ではその姿を捉えることはできず、ただ漂っていた血の匂いを知覚しただけだった。 「…………っ!」  ざわり、と背筋に悪寒が走る。危険性を認識するのが遅すぎるくらいだ。  くそ、何が通った……?  そこで漸く振り返る。時間にしては一秒も経っていないけれど、既にそこには誰も居ない。まるでミサキ風のような嫌な感覚は消えやしないまま、僕は背後を見つめ続けていた。  首筋に冷たい汗が伝う。 「なんて……」  いや、もういいと切り替える。今やるべきことを見つめて、そこに向かうべきだ。
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