5人が本棚に入れています
本棚に追加
一人か。
暫くこうやって歩いている記憶がないのはどういうことだろう。
そんなことを思いつつ、地下の街を歩き。この場所の家路を辿っていく。まあ、いろいろと脳を休めるにはいい時間だ。
住宅地に入れば人通りも少なく、空気の流れもないので、低い音程の環境音だけが耳に入ってくる。その感覚に酔いそうになりながら、それでも新しい感情を愉しんでいた。
思考の奥底で揺れる記憶が、なんとなく浮かび上がる。
どことも知れない場所の中で、ニアと出遭ったとき。
彼女は今から六千年前と言ってはいたけれど、どうしても僕にはその実感が湧かない。あくまで僕にとっては夏休みの昼間に遭遇した、異常な結界の中での出来事でしかないのに。
それとも、あれは本当に時間を越えていたのか。
何かと何かが繋がった場所に迷い込んだとか、そういう話なのだろうか。
首に掛かっているルチルのネックレスを取り出してみた。特に変わりなく、透明に輝いている。あの時に光っていたこれも、何か関係があるのかとも思うけれど。
ノエルは、それを見越していた?
考えるほどに解らなかった。
「意味のあることなんかないけれど、意味の分からないことは多いかな」
それこそよくわからないけれど。
僕の頭で難しいことを考えても意味がない。そう思えてしまうとなんだか哀しかった。それでも良いさと開き直れる感覚は、僕の中にはない。
いろいろと、知りながら考える必要がある。たかだか十五の中学生に、世界のすべてを知ることなんてできやしないけれど、知らないことを知って行動することくらいはできるんだ。
剣士であり、策士であり。しかしそんなことは僕にとってはさほど価値のあることじゃない。
本当にやるべきことなんて、とっくに決めているから。
それでも降りかかる問題を斬り払うために、剣の修行を続けている。
忙しいのは仕方ないけれど、それを面倒がって放り出すことができなくなったのは、誰の為か、誰の所為か。
「自分の為、自分の所為。それだけの話なんだけどね」
かつん、と足を止める。視線を上げれば、家の目の前に立っていた。
懐かしい気がするけれど、錯覚だろう。
鍵は開いている。不用心というより、単に人が居ないから放っておいただけのことだろう。
二階に上がって自室に入る。
少しだけ眠りたい衝動にかられたけれど、そこを抑えて机から武器を取り出す。
「どうしたものかな」
まあ、あいつを相手にするわけでもないし、通常の装備でいいような気もする。式を相手にするとなると、こっちは命懸けにならなくてはならないし、必然、装備も多くなるけれど。
必要だと思うものを持って、上着のポケットに仕舞いこんだ。本当ならば鞄に詰め込むところだけれど、戦闘中に手間取るのは致命的だった。
自分の脚を軽く打って、家を出ていく。急ぐことはないけれど、あまり悠長なことをしている暇もないのだった。
家を出たところで、何かとすれ違う。しかし瞬間ではその姿を捉えることはできず、ただ漂っていた血の匂いを知覚しただけだった。
「…………っ!」
ざわり、と背筋に悪寒が走る。危険性を認識するのが遅すぎるくらいだ。
くそ、何が通った……?
そこで漸く振り返る。時間にしては一秒も経っていないけれど、既にそこには誰も居ない。まるでミサキ風のような嫌な感覚は消えやしないまま、僕は背後を見つめ続けていた。
首筋に冷たい汗が伝う。
「なんて……」
いや、もういいと切り替える。今やるべきことを見つめて、そこに向かうべきだ。
最初のコメントを投稿しよう!