三節「白い風」

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 くわ、とニアが小さく欠伸をする。  退屈そうに式神を砕いたのを見ると、やはり人間とは格が違うと実感せざるを得ない。 「うん。寝起きにはいい運動だよ」  そうは言っても、式神を殴った右手のナックルパートは皮膚が焼けていた。やはり霊力そのものに触れるのはよくないらしいが、彼女の戦闘能力に頼ってしまったのは僕らの責任だったから。  刀を収めて、僕はニアの腕を引っ張る。  その右手の皮膚に大きめの絆創膏を貼り付けて、その上から包帯で縛っておいた。 「そういうの、得意なの?」 「自分で手当てすることはあったからな。簡単な止血くらいまではできるよ」  そっかー、とニアは感心したようだった。 「ふふ、うちの式神たちをあっさり蹴散らすんやね。そこそこ強めのを差し向けたんやけど」 「!」  唐突に投げかけられた声に、反射的に振り向いた。  その姿は霧に隠れて見えないが、気配の位置で場所を探れる。 「誰だ?」 「化野イツミ。呪術師兼式神使いや」  化野、か。東の方の人間のようだったが、出自になど興味はなかった。  こつんこつんと足音が届き、霧の奥からその姿を見せる。  金色の長髪をうなじの辺りで結んでいる。前髪で隠れた隙間から、赤い視線が覗いており、危険性を確認させるような色だった。  和装とも洋装ともつかない服を翻して、イツミはいつの間にか手にしていた大太刀を振り上げていた。 「離れろ!」  その太刀が振り下ろされる。刃は真っ直ぐに僕に向かって落ちてくる。  反射的に抜いた影楼の刀身でその攻撃を受け止め、衝撃が全身を走り抜けるのを足元で感じていた。  アスファルトの地面にひびが入り、クレーターのように円形に凹んでいく。 「ぬっ、ぐう……」 「ほーう? 大太刀をそう簡単に受け止めるとはねえ」  簡単じゃねえよ馬鹿。  受け止めた刃が重く、弾き返すことはできない。鍔が無い刀なので受け流すこともできず、炎上する刀身をねじるように動かした。  ぎりり、と鳴る刃を押し上げて、視線だけをイツミに向ける。  その後ろから、礼吐くんが小石を撃ち出した。 「シュート」  単純な投擲技だが、意識を逸らすには十分だった。弾道がイツミの頭を狙い、それに対応するために刀から手を離すと、その大太刀は霧の中に紛れるように消えていた。  その瞬間にステップイン。間合いを一気に詰めて斬り上げる。 「おおっと! なかなかな剣速やね。流石に行村の弟子ってだけはあるわな」  だが、と彼女が嗤う。  瞬間、左脚が僕の右の脇腹を蹴り抜いた。 「がっ……!」  重い! 内臓に直接衝撃が伝い、大きく吹き飛ばされる。  直後にニアに殴り飛ばされるイツミを見ながら、冷静に受け身を取った。 「あのね、わたし達は無意味に連れ立ってるわけじゃないよ?」 「解っとるわ。うちも、そうやからな」  イツミは頬に傷を刻みながらにやりと笑う。その手には、無数の呪符が収まっている。 「来な、式神」  叫ぶと、その手から無数の獣が飛び出してくる。マズい、と思う前に全員が下がっていた。しかし、涼だけが式神の群に跳び込んでいた。  じゃきり、と強く握った薙刀の穂先に黄色の光が灯る。 「天闢・圏聖鬼牙―――輝刃円陣昇!」  黄色の光がうねり、竜巻になって上昇する。その連撃が周囲の式神を吹き飛ばすが、倒すには至らない。 「あっはっは、かいらしいなぁ。その程度で倒せるほど甘い造りにゃなっとらんわ」 「うにー!」 「涼、そんな煽りに乗るな! 戻ってこい!」  放っておけばムキになって次の攻撃を出すだろう妹を、声圧で抑え込む。涼はその指示に従ってバックステップで脱出してきた。 「そんなんで、逃げたつもりかい?」  何、という間もなく、周囲の式神が僕らを取り囲んでいる。きれいに円陣を組んで、隙を見せない檻と化していた。 「どうするんだ、これ」  そう呟いた礼吐くんに、ニアが応えた。 「こっちも同じ手で対抗するだけだよ。おいで、ニナくん! ルルくんもそろそろ行くよ!」  ニアの連れているぬいぐるみ、ニクラ=ナウォルとルーウィンルクスが動き出した。  三水を縛り付けたままだが。 「あぎゃああああああああ!」  叫んでいた。うわあとは思うけれど、敵対している状況で解放するほど僕らも甘くはない。  ニナとルルは真っ直ぐにイツミに向かって進んでいく。作戦は一点突破だった。 「はは、術師を真っ先に狙うんは正解やけどな」  イツミは右手で印を切ってニナに向けていた。その指先に真紅の光が灯る。  その術は明らかに呪術ではない。 「……魔術だと⁉」  弾けた光がニナの腹部に当たり、こっちに向かって吹き飛ばす。その間にルルが右腕を振りかぶって突き出すけれど、それも難なく躱してみせた。 「厄介だな……、こいつだけにかかずらってる暇はねえのにさ」 「その口ぶり。結界の仕組みを理解しているようやね。ちゅうか、術師を狙うのを知っているっちゅうこと自体、経験があるから取れる戦法なんやけどな」  あんさん、どこでそないな術師と見える機会があったん?  そんな風に問うてくるイツミに僕は何も返さない。どうだっていいことを不用意に喋るほどに、甘い性格なんかしていない。 「燃えるぜ!」  刀を抜くと同時に霊力を解放した。赤く光る焔を前方に向けて撃ち出していく。  バックドラフト・レッド、という威嚇技。  うお、相手は大きく跳び退る。霊力は触れればダメージになることを解っているから、こういった攻撃は生身では受けることはないのだ。 「あははははは、面白いなあ。同じ赤でも、こうも質が違うもんなんやな」  イツミは笑っている。何がそんなに面白いのやら、僕には全く解らない。 「だが、それじゃあまだ不十分や。霊力しか扱えんと、式君には全く通じんよ」 「……………、あんな奴の名前を出すなよ。鬱陶しい」  しゃりん、と刀を地面に擦り、思いきり振り上げる。切っ先に集束していた霊力を撃ち出して、地を這わせる。 「赤火―――」 「言わんでもええ。『旱南風』やろ?」  何、という間もなく。僕の目前に同じ攻撃が返ってきていた。しかもより大規模になって、道路に居る全員を呑み込む。  躱しようがない。どうする、と考える瞬間。  ごおおおおん、と重い音を響かせて。熱を乗せた霊力が爆発する。 「――――起きや、死んでへんやろ。うちはそんくらいの加減はできるんでな」  いや、と呟くように言う。 「そもそも受けてすらおらんか。流石に真祖の使い魔には霊力は効かんのか」  イツミの言うとおりだった。  僕たち全員がニアの操るぬいぐるみの陰に隠れて、難を逃れている。 「使い魔ってなんだろ。真祖は霊力も魔力も持ってないから、そういうのは違うんだけどな」 「惚けたこと言ってる場合か。動こう」  ぽやー、としているニアを立たせつつ、再び臨戦態勢に戻る。  しかし、相手が光牙流を知っているのには驚きなのだが。そこまでメジャーだっただろうかと考えても意味はないように思える。 「間合いが遠いか」  構えながら、相手との距離を保ちつつ。しかし攻撃可能な距離を探っていく。  戦闘において、自分が攻撃しつつ相手に攻撃させない行動は基本だけれど、それは熟練者の在りようであって、弟子クラスの僕らにはできない戦い方だ。 「ここで鋼糸を使うには早いだろうからなあ」  一応預かってはいるものの、なるべく使うなとも言われている。 『……、仁。そこに化野衣津美が居るのか』  と、イヤホンの向こうから母の声が伝ってきた。ああと返すと、そうかと呟き。 『化野家は京都の呪術師の家だな。しかも衣津美となると三百年は生きている化物だ。少なくともおまえが敵う相手ではないはずだよ』 「だろうな。レベルの違いは感じているよ」  多分、ニア以外では立ち回る以前の問題だ。全てにおいて上回る相手とは戦わないに限るけれど、どうしたものか。 『そいつは日本最大の呪術師組織、皇輝韻の元第五席だ。何が理由でそこを離れたのかは判らないが、それほどの実力者では、どうしようもない』  正攻法でも嵌め手でも意味がない。  搦め手なんて見抜かれる。戦闘特化の術師だと言い切った。 「なんで、そこまで知っているんだ? そもそも知り合いって感じじゃないようだけど」 「そら、知っていて当然や。あんさんの爺様とうちが殺し合ったことがあるからや」  イヤホンから、応えはなかった。イツミの言っていることが正しいと、認めたからだろう。 「まあ、もっとも化野家自体が白羽家と対立関係にあっただけだけどな。その感覚が、今には引き継がれてはいないだけで」  海奈ちゃんはようやっとるわ、と心底感心したように呟いた。  なるほど、今は特に敵対してはいなくて、それをとりなしたのが母だってことなのか。 「僕とは何の関係もないけれど」 「うちからすりゃあ、仇敵以上の化物集団やけどな、白羽家は」  なぜなのか、と問おうとしてやめた。敵でしかないなら、潰し合いをするだけなのだから、そこに言葉などは本来要らないものだろう。 「敵ですらないよ、僕には」  正面に立つイツミは、うん? と首を傾げる。純粋に不思議そうに、色のない眼で僕を見ていた。 「あんたが僕をどうしようと、僕には何も為す術が無いのだろう? ならば、敵対する意味なんかないじゃないか」 「それは、降参を意味するんか? 案外あっけないもんやな。光牙流の使い手は、もっと頑健な奴が多いもんやけど、そういうところからも外れとんのか、己は」 「頑固でも、頑健でも、血の気が多いわけでもないんだ。単に僕には、割り切る心しかない。それが良いことかどうかは判らないけどさ」  だけど、それは諦めを意味しない。自分だけでどうにもできない事実なんて、いくらでも見てきたし、それを乗り越えてきたのは。 「スパートショット・スティレット!」  しゃがみこんだ僕の後方から、礼吐くんの攻撃が飛んできた。 「おおっと、危ないな」  イツミはその散弾を丁寧に躱しきってみせる。弾速は相当なもののはずだったけれど、それを上回る動体視力で見切ってみせるのは大したものだった。 「は、そういうことか!」  笑う。楽しそうだった。 「陣形とか、チーム戦術とかか⁉ そんな甘ったるいもんを押し通せるような人間に見えるんかい、うちが!」 「何を言っているのかな、きみ」  イツミの後方でニアが拳を構えている。人形のような見た目からは想像もつかない格闘技術で戦うのが彼女だ。 「チームすら成立してないんだよ、わたしたち」 「そういうこと。僕らは単に好き勝手やってるだけさ」  ニアが脊椎に向けて掬い上げるブローを放つ。同時に僕は大上段から刀を振り下ろして、シンクロ攻撃を仕掛ける。  がんっ、とイツミはその攻撃を受け止める。僕の刀身を握って受け止めてしまうのはともかく、ニアの打撃を左手だけで受けきってしまうのは無理があるように思える。  ニアが続けざまに左の鉤打ちを繰り出す。僕の刀を掴んだ状態で受けるのは不可能だと判断したのだろう、イツミはその場から離脱する。真横に跳んでから車道に移り、跳び上がってすぐ近くの歩道橋にまで逃れる。  僕の刀を握りながら。 「仁くん?」  ニアが不思議そうに見上げてくるけれど、僕はそれを相手にしている余裕はなかった。本命の仕込みをここで放つだけだった。 「影楼、弾けろっ!」  叫んだ瞬間、刀身から赤い光球が拡がる。霊力の焔を直接ぶつけるのは難しくとも、こういった手段で当てるなら、難しくはないだろう。 「覇焔。ある種の必殺技だが、どこまで通じているのかな」  呟いていると、アスファルトに刀が落ちる。鋼鉄の刀身ががろん、と鳴っているのを確かめてから拾いに行く。  霊力の爆発ならば、イツミは呪術で防ぐことは予想できていたから、最低限目晦ましにはなるだろう。少しは効いているだろうけれど。  刀を拾い上げて、煙る上空を見上げる。そこには橋の欄干で不満そうにこちらを見据えているイツミが居る。 「ふ、あははは。そんな手を隠していたんか。面白いな、白羽仁くん?」  まるで効いていないようだった。その態度が強がりでなければ。 「君は剣士というより策士やね。もっとうまくすれば、うちと遭遇することもなかったわけかな。くく、期待しかでけへんて、こんなん」 「…………何を言っている?」  その問いにイツミは応えず、霧の奥を指差した。 「進むとええ。うちはそこまで積極的には参加しとらんし。見極められればええんや。だが、この先に居る三納薫はうちみたいには甘くないで」  みのう・かおる。それが術師の名前なのか、それとも。  進むしかないことは解っているので、考えるだけ無駄かと思考を切った。
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