一節「蒼い夢」

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「チョコレートはそんなに好きじゃないんだよ。歯にくっつくだろ」 「味は好きだけどねえ」  涼と僕が選んだものには入っていない辺り、共通した性質なのだろう。似ているということか、単なる偶然か、判断はできない。  コンビニの窓に面したイートインスペースでそれぞれにダレていると、結局はいつも一緒に居る四人が揃ってしまう。世界のありようというより、そういう風にできている関係性ということだろう。  涼はチリペッパー味のポテトチップスをつまみながら、二リッターボトルのスポーツドリンクを呷っている。もともと大食らいというわけではないはずだけれど、根底でそういう性質があるのかなと思っていると、糸識さんが面白そうにそれを見ていた。  常に笑顔な彼女の心を覗き込むのは難しいけれど。  必要ないか、と口にクロワッサンを詰め込んだ。 「なあ、仁。課題ってどこまで進んだ?」  藍樹がそんな風に言い出した。夏休みの課題のことだろうと簡単に予想はつく。さっきまで手をつけていたコピー用紙の束を思い返して答える。 「七割くらい。先輩に聞いてたとおりに三年生だけ課題の量が段違いだよな」 「そうだなあ。礼吐(らいと)君が警告してたけど、予想を軽く上回ってきたしな」  終業式の日に配られたプリントの山には流石にビビらされた。高校入試を意識したものであることはすぐに解るけれど、一ヶ月の休みにこなせる量でないとはすぐに判ることだろうに。 「金が入るんなら喜んでやるけどね」 「手段と目的が逆転してるだろ、それ」  アホなことを言い出す藍樹だった。学習は金貰ってやることじゃあないのにな。それ以前の前提としての知識のことなのだから。 「仁は何もなくともできると?」 「もっと先を見据えろよ。基礎的な積み上げの段階だろ、今は」 「むむぅ」 「義務教育ってのはそういうものだろ。僕はそのほかにやりたいことがあるだけだ」 「兄ちゃんのやりたいことって、何?」  涼は知っているくせに訊いてくる。 「色々。いちいちそんなこと教えるか」 「別にオレも詮索する気はないけどさ。やりたいことか。何だろうな、オレの目標って」  自覚がないのか、それとも本当に考えていないのか。僕は藍樹の頭が空っぽだとは思っていないので、おそらくは自分を理解しきれていないだけのことだろう。 「人生は短いっていうからね。考えるのは大事だよね」  糸識さんはなんだか投げ遣りな風に、気のない台詞を吐いた。何を考えているのか、今ひとつ読めないけれど。まあ、この人がそんな初歩的なことを考えていないとも思えなかった。 「暇を潰せない奴の気持ちなんか解るかって?」 「心の声を捏造するな。そんなこと考えてねえよ」  時々恐ろしいことをしてくるから、警戒が解けないんだろうが。糸識さんは根っからの嘘吐きだと、母から言われていたのを思い出した。 「あはは」  笑えないって。 「にーくんは元から笑わないじゃないの」 「いいだろ、別に。好きでこんなんやってるわけじゃねえっつの」 「確かに、兄ちゃんが笑ったところ見たことないなあ」  とんでもなく無愛想に思われていることは知っている。心底からつまらない人間だと噂されようと僕は気にしないけれど。それでも、表情を失っていることに不便を感じているのは確かだった。  小学生の頃にそれを心配されて、母親に心療内科に連れて行かれたこともあった。診察の結果はPTSDに似た何かだとしか判らなかったけれど。 「何かあったの?」  涼は不思議そうに訊いてくるけれど、正直に答えるわけにはいかなかった。何せその原因を作ったのはその当時の涼自身だったのだから、どれだけ気を配ってもこいつを糾弾するような結果にしかなり得ない。 「話せない。絶対に話せない」 「……。拒絶してくるなんて珍しいね」  確かに、他者の言葉や要求を一言で突っぱねるのは嫌いだ。それでも侵されたくないラインを超えてくる相手には、優しくしてやる理由なんて無い。  境界線なんて、人によって違うファジーなものでしかないと知っているけれど。 「ごめんね。もう訊かないよ」  哀しそうな声で笑っていた。その表情は、いつまで経っても変わらない。どこまでも、変われない。記憶の中にあるその表情が、僕の知らない誰かに似ている気がして―――  ずきり、と頭蓋の裏側にひび割れるような痛みが走った。 「いっ…………痛ぅ……」 「え、どうしたの? 大丈夫?」  頭を抑えてテーブルに突っ伏した僕を、三人とも驚いたように見ている。今までに無かった症状に困惑しているようだった。  痛みに涙を浮かべて耐えていれば、すぐにその痛みは薄れていったものの、頭が割れそうになる感覚は初めてだった。  涼の持っていたボトルをひったくるように掴んで、中身を一気に飲み下す。  その行動に三人が呆けている間にボトルを戻して、小さく息を吐く。  痛み自体は既に消えていたけれど、残響のようにわだかまる痛みの余波が思考を乱してくるのを冷静に感じていた。  耐えるように俯いていると、髪に何かが触れるような感覚がある。視線を向けると、涼が左手で僕の頭を撫でていた。不安げにしているのは、どういう心境か、よくわからない。 「…………おかしい」  心底で感じた言葉が、無意識に漏れていた。  何も判らないのに、ただ直感だけがそう告げている。ぼやけた視界で感じる世界が、どこかで歪んでいる。直感に追随して、理性が違和感のディティールを次々に言葉にしていた。  ぐるぐると視界が回る中で、しかし自分の内部にあるものだけがひどく重く自分を支えている。僕の中にそんな核があることを確認しながら、次の違和感を処理していた。 「眠っている?」  視線を上げたその先、涼も、藍樹も、糸識さんも、椅子にもたれたまま眠りに落ちている。  肩を揺すっても反応はなく、仕方なく僕は一人で動くことにした。そして真っ先に気付かなければならない異変も、ようやく理解する。  周囲が夜の闇に落ちていた。窓から空を見れば、吸い込まれそうに深く蒼い夜空に、いくつかの星が瞬いている。だというのに、店内には灯りは灯らず、外の蒼色が空間を暗く照らしているだけだった。 「出られるのか?」  ガラス戸を押し開く。  瞬間、冷たい突風が吹き付ける。  目を閉じた瞬間、肺を鮮やかな緑の匂いが満たしていくのを感じる。  葉擦れの音、乾いた空気、どす黒い殺意。  すくみ上がるほどに鮮明な―――
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