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【修司】
土曜日、クオンの亡骸は、小さくなった。
家族みんなで、骨を拾い、小さな骨壺に納めた。
胸にぽっかりとあいた穴は、簡単には埋まりそうに思えないけれど、
父の運転で帰宅している途中で、修司にメッセージを送った。
すぐに
「迎えに行く」
という返事が返ってきた。
LINEの着信音に気付いたのか、母が
「修司君?」
と尋ねてきた。
「うん・・・・・・・迎えに来るって」
「いいな、車持ち。ね、大学まで、送ってくれないかな?。」
妹の智香が、冷やかすよう、ちゃっかりと言った。
修司は実家住まいで、千葉の少し田舎だから、車が無いと身動きが取れないと言う事情もある。
それに、都内で一人暮らしをしていたら、とてもじゃないけど、自家用車は持てない。
「電車の方が早いでしょ。駅なら、お父さんに乗せていって貰えば?」
「え~けちんぼ」
智香は、口を尖らせるが、父に頼んだりはしない。
普段寡黙だけれど、怒らせると怖い父の事を、智香は苦手なのだ。
子供の頃は、二人とも、母より父に懐いていたけれど、娘というのは父親とは微妙な関係にある。
父も、会話を聞いていても、無言を貫いている。
「修司君、最近忙しいんじゃ無いの?」
取り繕うように、母が言った。
「そうみたい」
「たまの休日なんだから、ゆっくりさせてあげたらどう?」
母のお節介に、私は苦笑するしかない。
たまの休みだから、少しでも早く私に会いたいのだ。
会って、「したい」のだ。
勿論、そんな事は口には出来ない。
私も、「あれ」が、嫌いではない事も。
時々、凛子にアリバイを頼んで、修司と旅行に行くことは、母とは暗黙の了解だ。
つきあい始めた頃、すぐに修司を家族に紹介した。
母は修司を気に入っていて、結婚するものと、すでに懐勘定に入れているふしがある。
でも、父は・・・・・・・・父はどう思っているのだろう?
私は、無言で車を運転している父の、後頭部へ目を移す。
「たまには、あちらの家に、行っているの?」
「あ・・・・・・・・・うん」
本当は、滅多に行かないのだけれど、母の質問の主旨はわかっているだけに、
曖昧な返事しか出来ない。
専業主婦の母は、「女の幸せは、いい人と結婚すること」と、固く信じているし、
呪文のように私に繰り返す。
そして、「結婚するなら、若いうちに」とも。
確かに、今の環境は、母にとって幸せなものだろうと思う。
父は、無口で気むずかしいところはあるけれど、不器用なだけで、心はとても優しい人だ。
母を泣かせるような事もしたことがないし、これからも。
修司も、私を泣かせる事はしない人だ、きっと。
私も、母のようにいい奥さんになろう・・・・・・・・・・修司を大事にする。
きっと、修司も大事にしてくれる。
ちらっと、クオンの死んだ夜の電話の会話が蘇ったが、その時の事は
心奥深く封印しよう。それがいい。
その時、ふいに、雅さんの姿が脳裏を過ぎり、自分でも、どきっとした。
抱きしめられた感触が蘇り、密かに心が騒ぐ。
雅さんは、結婚しないのだろうか?
恋人は?
雅さんのプライベートは、謎だ。
社内のニュースメーカーの凛子も、ほとんど把握していない。
ただ、「本社工場の重役とデキている」という噂を耳にした事があった。
「鈴音のお父さんから、何か聞いてない?」
と、凛子に聞かれた事はあったけれど、堅物の父は、そういう噂には疎い。
それに、その噂の根拠らしいものはなく、ただ、広告代理店の営業担当だった
雅さんを引き抜いたのが、重役クラスの人物だった・・・・というだけの事で
、その噂はすぐに沈静化した。
家につくと、仏壇にクオンの写真を飾り、全員で手をあわせた。
涙を抑えながらも母は家事を初め、大学生の妹は大学へ出かけ、
父は趣味の山登りへと出かけていった。
あっけないほど、「日常」が始る事が、私には切なかった。
悲しんでばかりいられないと、頭ではわかっていても。
そういう私も、修司に会うために、化粧をし、洋服を選ぶ。
修司は、ファッションにはさほどこだわりは無い。
ただ、世の男性の大半がそうであるように、派手なメイクや服装は好まない。
凛子ほど、徹底的な「モテスタイル」は私には無理だけれど、少しでも
可愛いと思われたくて、少しだけでも頑張る。
そうだ、今度、給料を貰ったら、洋服を買いに行こう。
修司は、そういう買い物には、付き合ってくれないだろうけれど・・・・・
車に乗り込むなり、
「大丈夫か?」
と、修司が聞いてくれて、心が緩む。
うんと、うなづいたけれど、うっすらと涙目になってしまう。
修司に見られないように、横をむいて、指で涙を押さえる。
車が、動き出す。
「何処へ行くの?」
とは聞かない。
映画だとか、水族館だとか、夢の国だとか、そういうものは、つきあい始めた頃に
行き尽くして、今はブティックホテルに直行するのが、当たり前になっている。
行きつけのブティックホテルの施設が、とても充実しているのも、その要因だ。
カラオケも出来るし、大画面テレビで映画も観られる。
ゲームも出来るし、近所の飲食店から、デリバリーも出来る。
「泊まりなら、ビールも飲めるんだけどな」
と、言いながら、立ち寄ったスーパーで、わざわざソフトドリンクを買い求める修司を、堅実
な人だと思う。
実家暮らしだと、こういうホテルを利用する事になるけれど、家賃や光熱費、食事の
事を思うと、二人とも、一人暮らしをする気にはなれない。
いつも利用するホテルは、人気が高く、朝からチェックインしないと満室になっている
場合が多い。
今日は、出遅れたせいで、一番高い値段の部屋しか、空いていなかった。
「他に行く?」と聞くと、「ま、たまにはいいか」と、修司は、部屋のボタンを押した。
もう数え切れないほど、こういうホテルの部屋に入ったのに、いつも少しだけ気恥ずかしい
気持ちになるのは何故だろう。
それに比べて、修司は、いつもと変わりないように見える。
部屋は、値段だけあって、いつも使う部屋よりも、広々としていて、内装も豪華だった。
調度品が、今まで利用していた部屋とは、高級感が違う。
テレビを見るためのソファーも、革張りで重厚さがあるし、大きなマッサージチェアーまである。
それにこの広さ!
実家の部屋とは比べものにならない。
お姫様が寝るような天蓋付きのベッドに、私は、舞い上がりそうになっていた。
「すごい・・!!!」
「だろ?」
会計は、いつも割り勘なのに、まるで自分の部屋のように言うのが可笑しい。
修司が、背後から抱きしめてくる。
すでに呼吸は荒く、押し当てられた男根は固くなっているのがわかる。
がっちりとした、大きな体。
いつもなら、守られている気持ちでいっぱいになるのに、何かしら違和感のようなものが、心に引っかかる。
そうだ、雅さんだ。
雅さんの体は、修司とは、全然違っていた。
ほっそらとしていて、柔らかくて、とても良い香りがした。
そして、泣いている私を、壊れ物のように、そっと抱きしめてくれた。
とても優しく・・・・・・・・
と、私はふいに不安に襲われた。
「ね・・・・・・・愛してる?」
修司は、私の体をベッドに押し倒し、服を脱がせながら、
「そうじゃなかったら、こんな事しないだろう?」
と、答えながら、私の唇に自分の唇を押し当てて、キスを繰り返す。
まるで私の言葉を遮るかのように。
違う・・それは、私が欲しかった言葉じゃない。
欲しかったのは・・・・何?
柔らかな光のような、暖かくて柔らかくて・・・・
その記憶を手繰ろうとしたけれど、やがて修司との行為に夢中になり、その記憶も飛んでいく。
修司の愛撫も快感もすっかり覚えてしまった体は、すんなり修司を受入れ、ピストン運動と共に
あえぎ声が部屋に響く。
時々体位を変えながら、浅くついたかと思うと、私の体の奥深くに沈み込ませ、うめき声をあげる修司。
いつもならタイミングをあわせながらイケるのに、その日は、私が達する前に、修司が果ててしまった。
どさっと、修司が、私の隣に体を横たえる。
しばしの沈黙の後、修司が私の胸に、手を這わせてくる。
2回戦の予告。
いつもなら、私も徐々に、昂ぶっていくのに、その日は違った。
私の体の熱が少しづつ引いていき、閉じた目から、涙が流れていくのがわかった。
「・・・・・・・泣くほど、良かったのか?」
私は、2回戦に入りたくなくて、体を起こし、バスルームへと向かった。
なんだか、修司に対して、言葉にならない怒りのようなものを覚えていたのだ。
シャワーを浴びて、ソファーに座ると、バッグからスマホを取り出した。
LINE着信。
雅さんからだった。
「虹の橋」
という言葉と、アドレスだけ。
アドレスをクリックすると、愛らしい犬の映像が流れ、綺麗な音楽が流れてきた。
『虹の橋』
という、ホームページだった。
私は、その文章を食い入るように読んだ。
死んだペット達は、みんな、『虹の橋』という場所に行くという、架空のお話だ。
そこでまた、飼い主とペットは再会出来るという・・・・・・・・・・・・・・
『この世を去ったペットたちは、天国の手前の緑の草原に行く。
食べ物も水も用意された暖かい場所で、老いや病気から回復した元気な体で仲間と楽しく遊び回る。
しかしたった一つ気がかりなのが、残してきた大好きな飼い主のことである。
一匹のペットの目に、草原に向かってくる人影が映る。
懐かしいその姿を認めるなり、そのペットは喜びにうち震え、仲間から離れて全力で駆けていきその人に飛びついて顔中にキスをする。
死んでしまった飼い主=あなたは、こうしてペットと再会し、一緒に虹の橋を渡っていく。 』
それを読んだ私の目から、大粒の涙が、ぼろぼろとこぼれ落ちる。
大好きなクオンの姿が、目に浮かぶ。
そして、どうして自分が、修司に対して腹立たしい思いを抱いたのかを理解した。
「また、泣いてるのか・・・・・メール?誰から?」
私は、天蓋付きのベッドに、下半身を露出したまま横たわっている修司に、スマホを見せた。
画面を読んだ修司は、ふっと笑い
「あるわけないだろ、こんな所。俺は、天国も神様も信じてないし。」
「あるわよ!!!絶対ある、きっと。クオンは、今頃ここにいるんだよ・・・」
そう言いながら、私は両手で顔を覆った。
その私の肩を、修司が抱き、耳元でささやいた。
「な・・・・・・・泣くなよ。もう一回して、俺たちも、一緒に天国へ行こう。」
心の中に押し込めていた感情が、爆発する波動を、全身で感じた。
「修司のバカ!!!!」
手早く、身支度を調え始めた私に、修司は流石に少しあわてて、脱ぎ捨てたGパンを履いて
歩み寄って来て言った。
「まさか帰るのか?悪かったよ・・・・機嫌直して。この部屋、いくらすると・・・・・・・・・・・」
私は、財布から1万円札を抜き出すと、テーブルの上にたたき付けて、外に出た。
勢いで出てしまったものの、ホテルへは、いつも車で来ているから、駅がどちらの方向かわからない。
とりあえず、川沿いの道へ出て、左右を見渡すと、右手の方に建物が密集しているのが見えた。
その方向へ歩きながら、凛子に電話をかける。
「もしもし?」
凛子の声が、小声だ。
「凛子、聞いて・・・・・・・・・・私・・・・・・・」
「ごめん、鈴。今、婚活パーティー中。。。。」
「あ。」
頭に血が上ってしまっていた私は、すっかり、その話を忘れていた。
「いい、ごめん。またね」
そう電話を切ったものの、このまま、家に帰る気にはなれなかった。
修司は追ってこない。
いや、追ってきて欲しくない、今は。
振り向いた視線の先に、黒塗りの車が近づいてくるのが見えた。
タクシーだ。
手を振ると、車は止まった。
「どちらまで?」
年配の、きちんと制服を身につけた運転手が、バッグミラーごしに私を見ながら尋ねた。
一瞬、言葉に詰ったけれど、ふいに浮かんだ駅の名前を私は口にしていた。
総務課の私は、定期券の手配もしている。
雅さんの、最寄り駅くらい、覚えている。
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