52人が本棚に入れています
本棚に追加
【秘 密】
「勢い」もあったかもしれない。
それに、かなり「恥ずかしい」所を、見られてしまったというのもある。
会社の中で、飼い犬が死んで号泣しているみっともないところを見られただけでなく、
その胸で泣いてしまったんだもの。
だからこそ、雅さんに電話をかけて、最寄り駅にいると、告げる事が出来たのかもしれない。
断られるかもしれないという気持ちもあったけれど、拍子抜けするほど雅さんは淡々と、快諾してくれた。
雅さんに教えて貰ったとおり、道順を運転手さんに伝えると、すんなりと到着する事が出来た。
タクシーを降り、エントランスで、教えて貰った部屋の番号を押すと、すぐに
「どうぞ」
という声がして、自動ドアの扉のロックがガチャリと解錠された。
雅さんの部屋は、想像していた以上に、整理整頓の行き届いた、素敵な部屋だった。
通されたリビングダイニングは、ネイビーと薄いイエローでまとめられていて、どの家具も、私が見た事もない高級感とセンスに溢れたものだった。
両親から買い与えられた家具をそのまま使い、インテリアコーディネイトなど考えた事も無かった自分の部屋が、恥ずかしく思えた。
出されたスリッパだけでも、自宅で使っているスリッパとは、全然履き心地が違うのがわかる。
入り口の左手にキッチンがあり、目の前に、小ぶりのダイニングテーブルと椅子。
リビングのフロアは、フローリングの床がぽっかり空いていて、大きな鏡と、バーが壁にあるのを見て、バレエの基礎レッスンをまだ続けている事が想像出来た。
「うわ・・・・・・・・素敵な部屋ですね。」
「ありがとう。座って。」
「バレエのレッスン、続けてらっしゃるんですね」
「気分転換に良いのよ。体を伸ばすと気持ちいいから。何か飲む?」
私服の雅さんは、生成りのポートネックのカットソーに、ぴったりとした黒のデニムというシンプルな服装だった。
シンプルだけれど、私が普段買っている大量生産品の大手チェーンメーカーのものとは、あきらかに違う。
そう見えるのは、立っているだけで様になる、雅さんのスタイルの良さと佇まいなのかもしれない。
「すみません・・・・雅さんと同じ物で」
「私は水しか飲まないから。ココアでいい?心が落ち着くわよ」
「はい。」
実は、ココアは私の好物だ。
社内の自販機で、よくココアを飲んでいる事を知ってくれている?
まさか・・・・・・・
偶然だったとしても、さりげない心遣いが、胸にぐっとくる。
社内では、雅さんの事を陰で「冷たい女」という人がいるけれど、みんな知らないんだ・・・
もしかして、私だけが、知ってる?
ただでさえ、雅さんのプライベートは厚いベールの向こうというイメージだし、部屋に入れて貰えたのもきっと私だけに違いない。
雅さんの、スーツ以外の服装を、目にするのも。
そんな、『特別感』に、心が高揚する。
雅さんがいれてくれたココアは、会社の自動販売機とは比べものにならないくらい、濃厚で薫り高い、まるで別の飲み物のような味がした。
「すごく、美味しい・・・」
「そう、良かった。」
心地良い座り心地のソファーの隣の席に、雅さんが並んで座る。
軽い揺れに、カップの中のココアの表面が、さざ波立つ。
「どう?少しは落ち着いた?」
「・・・・・・・・はい・・お休みのところすみません。」
「良いのよ、今日は午後からは予定が無かったから。気にしないで。それより、どうしたの?」
ブティックホテルに行っていた事は、流石に言えない。
だけど、彼と交わした会話と、自分が爆発してしまった事だけは話すことが出来た。
勢いで飛び出してしまった事への後悔と不安が、胸の中で交錯する。
「私・・・・・・彼に、酷い事を言ったんです。酷い事もしたかも。嫌われた・・・。」
「彼から、連絡は?」
「私からはしてなくて・・・・・」
私は、バッグからスマホを取り出してみた。
「着信も、LINE履歴も無いです。」
軽いショックが、体に広がる。
「今までも、喧嘩をした事はあるんでしょう?」
「些細な事で、口げんかをした事はありました。頭の良い人だし、いつもは優しい人なんです」
「付き合って、どのくらい?」
「2年です。」
「2年も、そう思えるって事は、そんな事くらいで壊れないと思うわ。自分から連絡をするのも癪だから、あなたからの連絡を待ってるわよ、きっと。」
雅さんは、あまりたいした出来事では無いと、思っている感じがした。
私が、修司を怒らせたと思っているのは、クオンの話しだけでは無くて、彼をホテルに放置してしまった事だ。
そして、セックスを拒否した事。
全てを言った方が、自分の不安をもっと理解してもらえると思いつつも、雅さんに情事の事は話しづらい。
気持ちが、悶々とするばかりで、脳内でうまく言葉を組み立てることが出来ない。
「ちゃんと、彼に、本音を言えてる?」
雅さんは、そう言いながら立ち上がり、キッチンへと歩いて言った。
「え?」
私は、自分の気持ちを見すかれたような気がして、ぎゅっと手を握りしめた。
「喧嘩の原因。今話してくれた事ばかりでは無いんでしょ?」
そう言いながら戻ってきた雅さんの手には、薄い琥珀色の液体の入った、ワイングラス。
「私も、飲ませて貰うわ」
「雅さん、水しか飲まないって・・・」
雅さんが、くすっと笑う。
「これは、気持ち良くなる水。神様の水。」
「嘘。ワインですよね」
私は、上目遣いに睨むフリをする。
「雅さん、お酒強いんですか?」
「長年、営業をしてたら嫌でも強くなるのよ。あなたも飲む?」
「はい!」
「その前に・・・」
雅さんのほっそらとした綺麗な指が、私のほほに触れた。
どきっとする。
何?
「泣いたんでしょう?お化粧が取れかけてるわよ。シャワーを浴びてらっしゃい。」
「え」
あわてて、両手で、自分の頬を覆う。
「こっちよ」
綺麗に掃除の行き届いた、バスルームに案内される。
「アトピーとかではないみたいね。クレンジングはこれでいい?」
「はい、大丈夫です」
「着替えを持ってくるわ。タオルはこれね。」
洗面台の横にある、磨りガラスの戸の向こうから、バスタオルと、タオル、そして着替えを取り出すと、脱衣籠に入れてくれた。
「ごゆっくり」
扉が閉まる。
洗面所の鏡を見ると、本当だ・・・メイクが取れかかっている。
恥ずかしい・・・・すっぴんの方がマシね、きっと。
バスルームに行儀良く並べられている、ボディーソープも、シャンプー類も、普段、私が目にしたことの無いパッケージのものばかりだ。
バスソープは、柔らかいハーブの香りがして、驚くほどきめ細かい泡で、洗い上がりの肌がつるっとするのには驚いた。
出してくれていた着替えも、とても柔らかい厚地のコットンの、シンプルなデザインのルームウエアだった。
リビングに戻ると、ローテーブルの上に、ワインとワイングラスが二つ。
そして、フルーツやチーズが小皿に盛られて用意されていた。
「さっぱりしたでしょう」
雅さんは、ワインを持っているのと反対の手で、ソファーの横で足を止めてしまった私を手招いた。
お風呂上がりのすっぴんの顔を見られてしまう事に気後れしながらも、雅さんの隣に座る。
「どうぞ」
「頂きます。」
綺麗なカーブを描いたワイングラスは、少し重みがあり、口当たりが良い気がした。
さっきのココアが入っていたカップも、無地の白い磁器だけれど、とてもスタイリッシュなデザインだったし・・・。
「どう?」
雅さんが、私の目を覗き込む。
少しドギマギしてしまったのは、食道から胃へと伝わるアルコール独特の熱さのせいだけではない。
「とても・・・美味しいです。飲みやすいです。すごく高いワインなんですか?」
「千円くらいよ」
「そんなお値段に思えないです!」
「高いから、美味しいとは限らない。お手軽価格のワインを、色々と試してみたら?自分好みのものがみつかるわよ。」
「私、そんなに飲めないから、1本飲みきれないです。」
「彼と、ワインのあるお店に行ったりはしないの?」
「付き合いだした最初の頃は・・・でも、最近は車のデートが多いから、飲めないんです」
「そう。それは、残念ね。あ、彼も、ワインが好きならば・・だけど」
「平日は飲んでるみたいですけど、多分、ワインとかじゃなくて、ビールとか、水割りとかだと思います。
あんまり、そんなお洒落じゃ無いというか、気取ったお店も好きじゃ無くて」
それも、心の奥底にある不満のひとつだ。
「たまには、思いっきりドレスアップしてみたら?彼をびっくりさせるの。そんな貴女を、エスコートしたいってきっと思うわよ」
「雅さんは、いつもそんなデートをしてるんですか?」
「そうね・・・・平日はとても会う余裕がないから、土日だけでしょう?気合いは入るわね。
とは言っても、今は恋人は居ないわよ。」
ふふふっと、雅さんは柔らかな微笑を浮かべた。
ナチュラルな色目のルージュに彩られた、綺麗な唇の形に、目がとまる。
よく見ると、雅さんは、口紅以外はすっぴんだ。
「雅さん、お化粧してないんですか?」
「今日は、休日でしょ。」
「すみません、お休みに押しかけて・・・・・」
「いいのよ。でも、顔色があまりいい方ではないから、口紅だけはつけてるの。」
「肌、綺麗ですね・・」
「触ってみる?」
「良いんですか?」
私は、ためらいながらも、好奇心を抑えきれず、そろそろと手を伸ばした。
雅さんが、その手を取ると、自分の頬に当てた。
ひんやりとしていて、そして滑らかな感触が伝わる。
「本当、綺麗・・・・・羨ましいです。美人で、スタイル良くて、仕事も出来て・・雅さんが羨ましいです」
「ありがとう。でも、蔵前さんも、とても可愛いわよ。きちんとした家庭で育ったって感じがするし」
「え・・・・私なんて・・・。」
「私なんてって言葉、私は好きじゃ無いわ。もっと自信持ちなさい」
雅さんの『好きじゃない』という言葉が、ちくっと胸を刺した。
「だって・・本当です。雅さんと私は、全然違うんです。」
「人は、みんな違うものよ。違うから面白い・・・って、誰かが言ってた。」
雅さんは、そう言い、ワインを飲み干し、ボトルに手を伸ばした。
「もう少し、どう?」
「あ・・・はい」
私は、自分のグラスに残っていたワインを、一気に飲み干した。
ほわっと、体が熱くなる。
二人のグラスに、ワインを注ぐ、雅さんの手つきというか所作が、本当に綺麗・・・
酔ってきていたのかもしれない。
「雅さんが好きになる人って、どんな人なんですか?」
私は、思い切って尋ねた。
本当の事を、教えてくれるかどうかわからないと思いながらも・・・・・
「そうね・・・蔵前さんみたいな人」
そう言うと、雅さんは声を立てて笑った。
「雅さんたら。。。」
はぐらかされたと思った私は、軽く、雅さんの膝を叩いた。
「教えて下さい。誰にも言いませんから。今まで、どんな人とお付き合いされたんですか?」
私は、少し甘えるような口調で、少し首をかしげてお願いしてみた。
雅さんが、意味深な眼差しで私を見ている。
「そういう仕草も、そっくり」
「え?誰にですか?」
雅さんは、暫く、天井を仰ぎ見ていた。
そして目を閉じた。
「雅・・・・さん?」
雅さんが、目尻を、両手で軽く押さえたように見えた。
涙?
だけど、私の方に向き直った雅さんは、女の私でもどきっとするような妖艶な微笑みを浮かべて言った。
雅さんが、一つにまとめていた髪の毛をほどき、手でさらりと解きほぐす。
「絶対に秘密にするって、誓える?」
「誓います」
私は、片手をあげた。
「じゃ、口止めね」
雅さんの細い指が、私の顎の下を軽く押し上げた。
え?
次の瞬間、いつもの雅さんの香りと共に、柔らかいものが唇に触れた。
小さな音を立てて、雅さんの顔が離れた。
「これで、秘密成立ね」
私は、言葉も無く、ぼおっと雅さんの綺麗な顔を見つめていた。
雅さんの潤んだ瞳の妖しさに、胸が熱くなった。
「・・・・口紅、ついてしまったわね。もう少しつけてみる?」
私は、子供のようにこくんと頷いた。
柔らかい唇が、軽く私の唇を吸い、小さな音を立てる。
キスが、こんなに美しくて、優しいものなんて知らなかった。
雅さんは、唇と私の顎の下に置いていた指を離すと、言った。
「誓ったから、教えてあげる。私の恋人は、みんな、女性なのよ。」
すぐには、その言葉を、信じられない気持ちだった。
ワインで少し酔っていたけれど、頭も耳もちゃんとしている。
だけど、もしかしたら・・・・・・この「もしかしたら」の気持ちは、何なのか自分でもわからないまま、ありきたりの問いかけをしていた。
「男の人を好きになった事は無いんですか?」
「無いわよ。」
あっさりと雅さんは、答えた。
「誤解しないでね。恋愛対象は女性だけれど、女性なら、誰でも良いわけでは無いのよ。それに、酔って、こんな事を言ってるわけじゃない。」
私は、頷いた。頷きながらも、その言葉が、にわかには信じられない気持ちだった。
雅さんが、私を好き?
あの、憧れの雅さんが・・・・・・・そんな夢みたいな事・・だけど、私の胸は、喜びに高鳴っていた。
「でも、貴女には、もう将来を約束した彼が居たけど。」
私は、自分の立場を思い出し、我に返った。
何を舞い上がってるの、鈴音。
そう、私には修司がいる。
だけど、雅さんとキスをしてしまった・・・・これって、浮気?
複雑な感情が、交差する。
「そんな顔しないで」
雅さんが、微笑みながら、私の頬に軽く触れる。
ああ・・・・・雅さんに触れられるのって、どうしてこんなに心地良いんだろう。
もっと、もっと触れられたい・・・
「私が好きになる女性は、同性愛者で無い場合が多いの。だから、いつかは、男性の方へ行ってしまう。慣れてるから、そういうの。」
「雅さんは、それで良いんですか?」
「そうね、少しは泣くかしら。でも、感謝の方が大きいの。ありがとうって、いつも想う。そして幸せを祈って別れるの。」
その言葉で、雅さんが同性愛者だという事が、すとんと納得出来た気がした。
雅さんは、すごい秘密を、私に打ち明けてくれたのだ。
私だけに・・・・・・・・・
その感動を、どう伝えたら良いか、言葉を選ぶ。
「私、同性愛に偏見を持ってません!!!おかしいとか、そんな事も思いません。でも、この事は誰にも言いません。絶対に!それに、私、ずっと雅さんは素敵な女性だって尊敬してて、今も変わらずそう思ってます。私なんかより、ずっと・・・・・・・・あ」
私は、雅さんに言われた言葉を思い出して、手で口を押さえた。
ふっと、雅さんが微笑んだ。
「まるで少女みたいに、ピュアで優しいところ・・・素敵よ。きっと、いいご両親に育てられたのね」
そういう目が、少し遠くを見ているような気がした。
「父は、寡黙なんですけど、本当は優しい人で・・・母は、専業主婦でちょっと世間知らずなところもあるんですけど、いつも、きちんと家の事をしてくれてて、父の事も母の事も尊敬してます。」
「そう・・・・・・・やっぱり、素敵なご両親ね」
「雅さんの実家は、どちらなんですか?ご両親は?」
ごく普通の質問をしたつもりだったけれど、雅さんの表情に浮かんでいた妖艶さが、すぅっと引いていくのがわかった。
立ち入りすぎたかしら・・・・・・?
「両親の事は、苦手なの。高校を卒業してから、会ってないわ」
ワインを淡々と飲み干す雅さんに、うっすらと影のようなものを見た気がした。
そして、そんな雅さんの体を、抱きしめてあげたい衝動に駆られる。
ああ、だけど、私にはそんな勇気は無い。
きっと、同性愛者ならではの悩みがあるに違いない。
ご両親とも、その事で疎遠になっているのかも。
私みたいに、普通に男性とお付き合いして、結婚して、出産して子育てして・・・・というレールの上を走っている人間が、立ち入れる事では無いのかもしれない。
でも、知りたい。
もっと、雅さんの事・・・・
「だから、今日のことは忘れて。彼に、電話なさい。きっと、あなたからの連絡を待っているから」
雅さんは、髪の毛を、再びヘアゴムで一つに結びながら言った。
忘れるなんて、出来ません・・・・・・・その言葉を、ぐっと飲み込む。
クオンが死んで、彼と喧嘩して、辛くて甘えて、その本心に触れた今、その言葉は言えない、言えるはずが無い。
そして、はっきり、雅さんを拒絶出来ない私がいる。
私って、ずるい?
「このネックレス・・・彼からのプレゼントでしょ?素敵ね。貴女に、よく似合ってる。きっと、悩んであちこち歩いて、買い求めてくれたんでしょうね。」
私は、雅さんの視線の先にあるネックレスに、思わず手を当てた。
これは、付き合い始めて最初の誕生日に、修司がプレゼントしてくれた、誕生石のガーネットのネックレスだ。
小さな石だけの、シンプルなデザインは、修司が選びそうなデザインだ。
私も、その控えめな輝きと、ルビーとは違う深い紅色がとても気に入っている。
「ここから、彼の声が聞こえてきそうだわ。」
苦笑しながら、雅さんは、「はい」と、テーブルの上の私のスマホを、手渡してくれた。
少し触れたその手のぬくもり・・・・なんだか・・離したくない・・・・
でも、私は、彼に電話をかける。
気持ちは千々に乱れ、胸の鼓動が早い。
呼び出し音が続き、ついに、留守番電話に繋がった。
「どうしよう・・・・・・・・・留守番電話になっちゃいました!」
「大丈夫よ。かかってくるから。」
雅さんの言葉通り、すぐに、修司から着信。
私は、あわてて電話に出る。
「もしもし?修司・・・・・・・・・・ごめんね」
『ごめんね』の言葉が重い。
「もういいよ。俺も、ごめん。ちょっと配慮に欠けたかもしれない。」
良かった、いつもの修司だ。
「今、どこに居るの?」
「ホテル。せっかくだから、フリータイムぎりぎりまでいないと、勿体ないと思ってさ。一人カラオケして、今、ゲームしてる」
なんだ、満喫してるじゃん!
私は、こんなにシリアスなドラマみたいな時間を過ごしていたのに・・・・
「鈴は、どこにいるんだ?」
「会社の先輩の家。」
「先輩?」
「うん・・・・」
「女?」
「当たり前でしょ!」
「だよな・・・でも、鈴、そんなに親しい先輩いたっけ。てっきり、凛ちゃんと居ると思ったら・・
どこ?迎えに行くよ」
「ちょっと待って」
私は、電話を保留にして、窓の外に目をやっている雅さんの膝を、とんとんと叩いた。
「迎えに来るって言ってるんですけれど。」
「来て貰えば?」
「ナビで来られると思うんで、住所教えて下さい。」
雅さんは、メモに、さらさらっと住所を書いた。
私は、それを修司に伝える。
電話を切ると、
「良かったわね」
と、雅さんが言った。
私は、少し気まずいものを感じながら、頷いた。
「そんな顔しないで。さっきも言ったでしょ?忘れて」
私は、心の奥が、ジリジリと焼けるような気持ちを、もてあましていた。
女性に対して、こんな気持ちは初めてで、この気持ちがどういうものなのかわからなくて、うまく言葉に変換できない。
「どうしたの?」
「・・・・もう一度だけ、口止めして下さい」
消え入りそうな小さな声で言うと、私は、小さく叫んで、ソファーのクッションに顔を埋めた。
恥ずかしすぎる・・・
そんな私の髪の毛を、そっと、優しく撫でる手。
「仕方ないわね・・・もう一度だけよ」
最初のコメントを投稿しよう!