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【想い】
修司と合流し、食事をして帰宅した。
ずっと心がどこかへ飛んでいたのも、別れ際のキスをとっさに拒んでしまったのも、私がまだ怒っているのだと思ったようだった。
修司の車を見送り、家に戻る。
玄関に、クオンの姿が無い事に、まだ慣れない・・・・・・・
もう、両親は寝ているようだった。
妹は、まだ帰ってきていない。
私が大学生の頃は、少しでも帰宅時間が遅くなると、両親から酷く叱られたものだけれど。
2番目には、両親も抗体が出来ているせいか、甘い気がする。
妹にも恋人がいるらしいけれど、まだ家には連れてきていない。
もしかしたら、結婚は妹の方が早いかもしれないと思うと、姉としては焦りを感じずにいられない。
部屋に戻り、スマホを取り出す。
凛子から、『ごめんね』スタンプと、『デート中だと思うから、また電話するね。お休み』のコメントが入っていた。
時計を見ると、23時を過ぎている。
明日の朝、電話してみよう・・・・・・・
LINEに、雅さんを登録する。
『無事に帰宅しました。ありがとうございました』
と、メッセージを送ってから、ありがとうというのはどうなのだろうと思い直した。
送ってしまったものは仕方が無い。
すぐに、返信が帰ってきた。
『おやすみなさい』
1行だけ。
スタンプも、顔文字も無い。
雅さんらしい・・・・・・・と思った。
今夜は、中々、眠れそうも無い気がした。
あのキス・・・女性の唇が、男性の唇と違って小さくて柔らかいことは想像出来ていたけれど、「あの」雅さんが、あんなに情熱的なキスをするとは思っても見なかった。
『3度目のキス』は、外国映画のワンシーンみたいにスマートで、でも、すごくエロティックだった。
私の唇の間に滑り込んできた、滑らかで柔らかな雅さんの舌が、私の舌に絡んだかと思うと、軽い音を立てて吸われた。
それから、軽い、フレンチキスを・・・2回?3回?
覚えて無い・・・夢中だったから。
雅さんの深いキスが欲しくて、自分から雅さんの唇の間に入っていったら、つぅぅっと舌の間を舌先でなぞられて、また吸われて・・
そんな唇と舌のやり取りが、全然下品じゃなくて、無駄の無い動きが尚更私の心をかき立てた。
そして、舌は驚くほど巧に動くのに、合わせた唇と唇との間に、絶対に隙間をつくらないあの密着感。
そして、鳥のさえずりのような、軽いキスの音・・わざとさせてるのがわかった。
キスをしている間、その音が耳に響いていて・・・・・・・・・あれから、ずぅっと耳から離れない。
それに、顔を近づけたときに、すごくいい香りがした。
雅さんは、口紅以外はつけていないから、フェイスクリームの香りかしら。
花のような、淡い香り・・・男臭いキスは忘れたいくらい、心地良いキスだった。
思い出すだけで、胸が熱くなる。
あの『キス』は、私の心の中で、大切にしておこう。
これからずっと。
ああ、今夜、眠れるかしら・・・・・・・・・・・・・・・
翌朝、朝食の後、父が席を外すとつかさず母が
「今日も、デート?」
と、尋ねた。
「お昼から待ち合わせ。」
「そう・・・・・・・修司君に、『宜しく』ね。たまには、家にも寄って頂いたら?」
修司にとって、我が家の敷居をまたぐ事は、気の進む事では無いことは、尋ねなくてもわかる。
でも、母の気持ちもわかるので、
「伝えるね」
とだけ答えた。
部屋に戻り、凛子に電話をかける。
凛子は、寝ていたらしく、あきらかに寝起きの声で出てきたけれど、昨日の婚活パーティーの話しは、どうしてもしたかったらしく、勢いよくしゃべり始めた。
凛子が入会しているのは、普通の婚活クラブとは少しレベルが上の、いわゆる『プチセレブ』との婚活クラブだ。
男性は年収1000万円以上の、医者か、弁護士か、国家公務員に限定。
女性は、学歴と勤務先の確認と、写真選考がある。
入会が承認された時は、それこそ、大騒ぎだった。
だけど、それからが大変だった。
エントリーするためのポートレートの撮影に、10万円近くかかったと言っていた。
その他、入会金が30万円、毎回の食事会が数万円・・・・・・・・・・・・
「初期投資よ」
と、凛子は、胸を張って言っていた。
それだけの初期投資をしたのだから、すぐにでもお相手が見つかると二人とも思い込んでいたけれど、状況はあまりかんばしくないらしい。
「上には上がいるのよ!!!それに、男って、どうして、ああも、若い女が好きなのよぉ!!!!。」
凛子は、切なげな声で、愚痴る。
自分の年齢を考えて、焦る気持ちは、私も同じだ。
本社の同期で、独身は私たち二人だけだから。
結婚や恋人の有無を尋ねる事がセクハラになる時代だからこそ、表だっては言われないけれど、噂は伝わってくる。
男性だけの飲み会で、どんな会話がされているか・・・・とか。
凛子は、そういう噂にも敏感だ。
凛子は、新入社員の時から親しくしているけれど、学生時代までの友人とは全然タイプが違う。
私と違う・・・・・・・・と言った方が良い。
良くも悪くも自分に正直だし、私と違って、思っている事を割合はっきりと主張する。
「男性に媚びすぎ」と、陰口を言う人もいるけれど、私はそれほど気にならない。
むしろ、そういう正直さが羨ましくもある。
社内にも、得意先にも、凛子に好意を抱いてそうな男性はいるのだけれど、凛子はそういう人に目を向けようとはしない。
「結婚するなら、人から羨まれる結婚をしたいの。だって、それが『私の価値』だから」
二人きりの時に、凛子はいつもそう言う。
私は、結婚についてそこまで考えた事は無い。
両親も、私が、ちゃんとした家庭を一緒に作ってくれる人であれば、それほど高望みをしている気配は無い。
『女の価値』って、何だろう。
そんな事を考えていると、ますます眠れない・・・・・・・・・・・・
凛子との電話を終えると、近所のショッピングモールへ出かけた。
久しぶりに、新しいルージュが欲しくなったのだ。
本来、気の弱い私は、美容部員と、化粧品カウンターは苦手。
それでも、そんな気持ちになったのは、きっと雅さんとの、キスのせい・・・・・・・・・
雅さんがつけていたのと同じような色を選んでみたけれど、全然似合ってなかった。
あきらめて、美容部員さんに勧められた色にした。
雅さん、気付いてくれるかな?・・・そんな事を考えながら、化粧品コーナーを出たところで、
「鈴!」
と、懐かしい声が呼び止められた。
幼なじみの、絵里香だ。
生後間もない乳児を、前抱きにしている。
「絵里香、久しぶり~元気にしてる?えっと、二人目?」
去年、まだ妊娠中の時に連絡を貰って、お茶をして以来だ。
あの時の、ぽっこりとしたお腹から出てきた赤ん坊だと思うと、出産経験の無い私には、ちょっと生々しい。
「そう、ショウタって言うの。ほら、ショウタ、鈴ちゃんだよ~」
絵里香は、にこにこしながら、赤ん坊を私に見せる。
「こんにちは~ショウタ君。鈴ですよ~絵里香に、似てるね」
「そう?ちょっと、髪の毛薄いけどね~。ね、ちょっと、お茶しない?時間ある?」
「あ、うん・・・・あと1時間くらいなら大丈夫」
「は~ん、デートだな。修司君でしょ?元気?」
「あ、うん、元気だよ。」
「いいな~デート。うちは、おちび二人いると、色気も何もなくて」
「いいな」っていう台詞も、絵里香が言うと、余裕にしか聞こえない。
「スタバ行く?」
「うん」
「ちょっと待って、ダンナに電話しとく」
「旦那さんも来てるの?」
「うん、一人じゃ、買い物も大変でしょ。休みくらい、付き合って貰わないと。それに、ダンナも今、自分の服を見るとかで・・・・ちょっと待って」
絵里香は、電話をしながらも、ゆったりと、子供をあやすように動いている。
子供を二人も産んだせいか、すっかり体も貫禄がついてきている。
子供を抱く姿も、エコバックも、似合いすぎだよ、絵里香。
『類は類を呼ぶ』という言葉通り、私の学生時代からの友人は、真面目でどちらかというと大人しいタイプが多い。
でも、思春期にはそれなりに、みんな好きな人が出来て、恋バナに夢中になっていた時期があった。
好きな人の事で、一喜一憂・・・それも、「目が合った」とか、その程度の事で盛り上がっていた可愛い時代を経て、大人のおつきあいへと階段を登っていった。
それぞれの「悩み」を、みんなで分かち合い、時には泣き、時には笑い、何でも話し合えた。
そんな友達に巡り会えた事には、感謝している。
絵里香は、何回かの失恋をしたあと、あっさり見合い結婚をした。
その頃、友人達が結婚ラッシュで、お祝いやら新しいフォーマルドレスやらで、経済的に大変だった事を思い出す。
友達がかぶっていると、同じ服で記念撮影に写りたくないから、仕方のない事なのだけれど。
みんな、ウェディングドレス姿は、それぞれ、本当に綺麗だった。
「人生最良の日」というキャッチフレーズそのままに、輝いていた。
どちらかというと、地味なグループだった私の友達でも、あれほど輝けたのだから、雅さんなら・・・・あ、雅さんはドレスを着ることは無いんだ。
そう思うと、雅さんには大きな御世話かもしれないけれど、とても勿体ない気がする。
スタバで、子供をあやしながら、絵里香はキャラメルフラペチーノのトールを飲みながら、饒舌にしゃべった。
子供の事、夫の事、夫の両親の愚痴・・・は、聞いていて面白くは無いけれど、友達としては聞いてあげないと仕方が無い。
学生時代の友人は、すでに、全員結婚している。
彼女達とは、頻繁に連絡を取っているらしく、私の知らない話題も出てくる。
やっぱり、『既婚者』同士だから、話せる事もあるのだろう。
未婚の私との間に、見えない溝があるような、マイナス思考が脳裏を過ぎる。
「鈴、修司君とは日取りとか、まだ未定なの?」
「あ・・・うん」
「あのね。せかしてるように取らないでね。」
「うん」
「子供産むなら、若い方が良いよ。体力消耗、すごいから」
幼馴染みの絵里香だから、言える台詞だ。
「わかってるんだけど、あっちがね。わかってるんだか、わかってないんだか」
「男なんて、気軽なんだから。妊娠するのも出産するのも女の方って、なんか、不平等だと思わない?」
「男も妊娠すればいいと思わない?」
「それいいかも、マタニティスーツとか着たりして?」
二人で、想像して笑う。
絵里香を含めて、5人の仲良し組は、美術部だった。
部室で絵を描いていたのは、半分くらい。
あとの半分は、こんな感じで、くだらない話しや恋バナではしゃいでいた。
無邪気で無責任だった、あの時期が、とても懐かしい・・・・・・・・・・
「鈴、もう、絵は描いてないの?」
絵里香がふいに言った。
絵里香も、私と同じ事を考えていたのかもしれない。
幼なじみで、青春時代を一緒に過ごした友人は、血の繋がった妹よりも、考える事が似ていると思う事が多々ある。
「絵か・・・・・・・・そういう余裕が無くて」
「描けばいいのに。鈴は、私たちの中でも、一番上手だったと思うよ。」
「美大行きたかったな・・」
私は、ぽつっと言った。
「残念だったね」
美大を受験したいと言ったときに、両親に猛反対されたのだ。
将来的に、画家で食べていける人は、ほんの一握りで、そうなれるかと問われると、返す言葉が無かった。
無難に文学系の女子大に入り、父の勤める会社に入った・・・いや、「入れて貰った。」が、正しい。
修司に知り合ったのも、凛子がお膳立てしてくれたコンパだった。
私、人生の節目というべきものに、自分で決断してきている?
・・・・・・あった。
つい、昨日。
私は、自分から雅さんを訪ねた。
そして、生まれて初めて、女性から「好き」と言われ、キスをされた。
思い出すだけで、体がふわふわする。
こんな感覚、私の周りの誰も知らない事に違いない・・・・・・・・・・・・・
月曜日は、いつも会社に行くのが憂鬱なのに、今日は違った。
雅さんに会える・・・・そう思うだけで、胸焦がれる想いだった。
10代だった頃に、話しかける事も出来なかった憧れの先輩に、片思いしていた事を思い出す。
でも、その先輩に対する『好き』の濃さが違う。
そう思えるのは、キスをしてしまったから。
軽く、唇を吸われただけだけれど、キスだけで、あんなに体が火照った事なんてない。
朝の支度をしながら、鏡に映る自分の顔を見ながら、自分の唇を指でなぞる。
雅さんに逢った時に、平静で居られる自信がなかった。
勿論、キスの事は誰にも言っていないし、誰にも言うつもりはない。
言うと、その思い出が『けがされる』気がするから。
昨日、修司と会った時に、新しい口紅はつけなかった。
なんだか、いや だった。
出来たら、雅さんに最初に見て欲しいと思ってしまう自分が、浮ついた気持ちになっている事は自覚しているつもり。
真新しい口紅を、紅筆にたっぷり含ませて、唇のラインからはみ出さないように慎重に色を塗る。
勧められたとおり、少し顔色が良く見える気がした。
私にしては、上出来だと、鏡の中の自分に納得する。
月曜日の朝は、全体朝礼だ。
全部署が、最上階にある一番大きな会議室に集まる。
不自然に思われない程度に、雅さんの姿を探す。
いた!
宣伝部と商品企画部が並んでるあたりに、黒のスーツに身を包んだ雅さんが、いつもと変わりない様子で立っている。
その綺麗な立ち姿は、無理が無くて、自然で美しい。
スーツの仕立てが良いからかしら?
いつも、ダーク系のパンツスーツで、インナーの色は日替わりで、今日は白だ。
黒のスーツとのコントラストが、整った顔を際立たせている。
ほっそらと長い首を飾る小ぶりのネックレスが、きらっと光るのが見えた。
雅さんは、どうしてあんなに、立ち姿が綺麗なんだろう。
雅さんを見た後、逆の意味で、姿勢の悪い人へ目が行く。
内勤の女性は、みんな同じ制服を着ている。
白のブラウスに、グレー系のチェックのベストと、タイトスカート。
だから尚更、体型や姿勢の差が目立つ。
自分でも、背筋と、胸を開くように意識してみる。恥ずかしいから、ほんの少しだけ・・
と、凛子が
「口紅変えた?」
と、小声で聞いてきた。
「うん」
「すっごい、似合ってるよ」
「ありがとう」
凛子や他の人には、ただ、いつもと色が変わっただけの唇にしか見えなくても、私と雅さんはお互いの唇の感触を確かめ合ったのだ。
心の奥底からわきあがる、甘くて熱いものを、ぐっと飲み込む。
それは二人だけの『秘め事』だから・・・
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