【ジェラシー】

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【ジェラシー】

全体朝礼の後、各自、自分の部署に戻り、ミーティングが始る。 課長から、今日の15時に、ショールームで4課のクライアントの商談が入っている旨を伝えられた。 商談は、打ち合わせスペースごとに、パソコン管理されている。 わざわざ、口頭で報告しなくても・・・と思っていると、 「盲導犬支援のNPOの方と、盲導犬を連れた目の不自由な方がいらっしゃいます。くれぐれも、犬を見て騒いだり、触ったりしないようにご案内を徹底して下さい」 あ、そういう事か・・・・盲導犬という事は、レトリバー? 胸がズキッとする。 課長の視線が、私へと向けられる。 「蔵前さん、シフト変わっても良いですよ」 私は、凛子ほど空気の読める女では無いけれど、みんなの心の声が聞こえた気がした。 『コネ入社の甘ちゃん』 「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です!」 私は、笑顔を作って言った。 課長の心遣いが、『思いやり』なのか『忖度』なのかはわからない。 でも、仕事はちゃんとしたい。 雅さんに、笑われない仕事を。 午後の受付カウンター。 凛子と並んで立つ。 総務部で仕事をしている時は、外部の人間に見られる事はないので、楽なぺたんこの靴を履いているけれど、受付ではパンプスだ。 凛子は、受付のシフトの日は、ブラウスもパンプスも、いつもとは違う。 同じ白いブラウスだけれど、凛子は小ぶりのフリルの立ち襟の、デコラティブなブラウス。 私が、近所のショッピングモールで買い求めたものとは、印象がまるで違う。 パンプスだって、凛子は海外の高級ブランドのパンプスだ。 得意先の目を意識して、常に、外見に気を配っている。 仕事で、得意先と会う機会の多い雅さんも、やっぱり服装に隙が無い。 自分の、意識の低さを、改めて考えてしまうのも、「あの出来事」のせい・・・ 口紅の次は、ブラウスかしら・・・・・・・・そんな事を考えていると、自動ドアが開いて、3人の男性と、盲導犬を連れた女 性と男性が一人づつ入ってきた。 盲導犬は、ラブラドール・レトリバーだった。 見た目は似ているけれど、『クオン』じゃない。 思ったほど、心に動揺は無かった。 「いらっしゃいませ。」 凛子と二人で、声をあわせてお辞儀をする。 「4課の大谷さんをお願いします。お約束頂いていた、京極です。」 「承っております。どうぞこちらへ」 目で合図して、凛子が、カウンターから離れ、全員を商談ブースへと案内する。 私は、内線で4課に電話をかける。 「はい、大谷」 「受付です。京極様がお見えです」 「案内宜しく」 「受け賜りました」 凛子が、カウンターに戻ってきたタイミングで、エレベータが開き、大谷さんに続いて雅さんが降りてきた。 二人の視線が、こちらに向いた・・・けど、私の両目は雅さんしか見ていない。 姿を見るだけで、ドキドキしてしまう。 凛子が、手の平を上に向けて、商談ブースを指し示した。 歩いて行く二人の後ろ姿を見送りながら、 「すごい!雅さんが出てくるって事は、きっと、大きな特注ね」 と、凛子が囁いた。 4課は、オリジナル時計を専門に取り扱う部署だ。 企業や、団体の、大口受注がメイン。 商品部で宣伝と企画に関わる雅さんが出てくるという事は、大谷さんは、きっと一人では不安なんだ。 営業のサポートまでお願いされるなんて、雅さんて、やっぱりすごい。 年に2回ある、大規模な新作発表会の時に、舞台の上で商品のプレゼンをしていた雅さんの姿に、ときめいていた事を思い出す。 私だったら、きっと、足がすくんで、舞台の上に上がることさえ、出来ないに違いない。 雅さんて、子供の頃から、あんな感じだったのかしら・・・・機会があれば、聞いてみたい。 商談が終わり、お客様をお見送りした、大谷さんと雅さんが戻ってきた。 大谷さんは、浮かない顔をしている。 特注の場合、他の時計会社と競合している場合が多く、商談をしても他社に持って行かれる事も、しばしばある事だと聞いている。 雅さんが、カウンターの上に、ベルベットの貼られたトレーを置いた。 トレーの上には、普段、見慣れない時計が並んでいる。 時計の形はしているけれど、微妙に何処かが違う。 「あ、これ、目の不自由な方の為の腕時計ですよね」 すぐに、凛子が言った。 「よく、カタログを見ているのね。偉いわ。総務も、出来れば、カタログ商品は全部頭に入れてね。ここで、商品について尋ねるお客様も、いらっしゃるかもしれないでしょ?」 「え~全部は、無理ですよぉ」 凛子が、顔の前で手を小刻みに振る。 私も、カタログで見た事は記憶していたのだけれど、出遅れた・・・・ちょっと悔しい。 「こうやって、蓋を開けて・・・時間を指で確かめるの」 雅さんが、凛子の手を取り、時計の文字盤を触らせる。 「あ、わかります!現物を手に取るの、初めてです。目の不自由な方の、お役に立てると良いですね」 凛子は、相変わらずそつが無い。 「綺麗なマニキュアね」 雅さんが、凛子の手を取る。 凛子は、いかにも男子受けしそうな、ピンクベースで花びらのアートを散らした指を、少しそらして見せた。 少しでもネイルがはげると、速攻で定時退社してネイルサロンに駆け込むくらい、ネイルキープに心を砕いている。 私は、そっと、自分の何も手入れをしていない手を、カウンターの下に下ろした。 雅さんが、凛子の指を、つっと、自分の指で撫でた。 その時、確かに私は凛子に、ジェラシーを感じた。 それは、軽いものでは無かった。 『触れないで!』 その言葉を、ぐっと飲み込む。 「ありがとうございます。雅さんも、いつもネイルされてますよね。」 雅さんのネイルは、いつも肌馴染みの良い、派手ではないけれど、ほっそらとした長い指を綺麗に彩るカラーで、今日は、グレーとパープルの間のようなシックなカラーだ。 「仕事柄、手元は見られるから・・・お互い、手入れは大変よね」 「雅さん、爪、すごく短かくされてるんですね。伸ばせば、もっと綺麗なのに・・・」 今度は、凛子が、雅さんの指に触れる。 『触れないで!』 また、言葉を飲み込む。 雅さんは、すっと手を引いて 「毎日、パソコンのキーボードを、どれくらい叩くか知ってる?」 と、微笑んだけれど、私は理由を知っている。 耳知識だけれど・・・・レズビアンの人は、爪を短くしてるって。 それは、相手のデリケートな部分を、傷つけないため。 「でも、どこの時計会社も、こういう時計を出しているの。どれも似たり寄ったり。そうなると、精度と値段の勝負になるんだけど、うちの場合、値段はどうしても高くなるわね。」 背後で聞いていた大谷が、小さくため息をついた。 「やっぱ、駄目か~雅さん、せっかく、頑張ってくれたんだけどな。」 私じゃ、雅さんの役に立てない? 何か・・・・・何かないかしら・・・ 時計を指で触っているうち、ある考えが閃いた。 「あ・・・・・・・・・・・・あの・・・あの・・」 『あの』を二度も言ってしまったのは、正直、あまり自信がなかったからだ。 総務の私なんかの、アイディアなんて、笑われてしまうかも。 そう、どこかで思ってしまったから。 「この、蓋の部分に、レトリバーの・・・えっと・・上手く言えないんですけれど、レトリバーとわかるようにエンボスにしたり、ほら、目の不自由な方は点字を使われるでしょ?そんな感じで・・・何かの本で読んだんです。」 一瞬の間を置いて、雅さんは大谷さんを振り返ると 「今の聞いた?他社との、いい差別化になるかも。工場にすぐ問い合わせて。蓋の部分にそういう加工が出来るかと、加工する場合の見積もり。」 「了解!」 大谷さんが、急ぎ足で、エレベーターホールへと消えていった。 「ナイスアイディアよ、蔵前さん。」 にっこりと微笑まれ、私は危うくその胸に飛び込みたい欲求を、やっとの思いで押さえた。 すごいぞ、私! 雅さんに褒められる事が、アイディアを採用してもらえそうな事が、嬉しくて、嬉しくて、仕方が無い。 「デザインも、鈴がすれば?」 凛子が、私の腕を、つんつんと、つついて言った。 「ほら、クオンの絵を、飾ってたでしょ?」 「あれは・・・・・」 今は、見るのが辛くて持ち帰ってしまったけれど、入社以来ずっと、クオンの色鉛筆画を、デスクに飾っていたのだ。 「鈴音は、元美術部なんですよ。賞も取ってるよね~」 凛子が、雅さんに売り込む。 「そんな!昔の話しです。今は、全然描いて無くて・・・それに、下手で・・」 自分でも、顔が赤くなり、しどろもどろになっているのがわかった。 「ここに、有能なデザイナーが居る事を、ちっとも知らなかったわ。イメージしたいから、実際に、描いてみてくれない?デッサンだけでもいいわ。お礼に、ディナーくらいなら、ご馳走するわよ。シャンパンもつけるわ。どう?」 「え?」 びっくりしてしまったけれど、雅さんと、ディナー?ドレスアップして、黒服の居るフレンチのお店で二人で食事をするシーンが、脳裏を過ぎる。 それも素敵。 「わ~いいな。雅さんなら、素敵なレストラン、色々ご存じなんでしょう?」 凛子のテンションが高い。 付いて来そうな雰囲気だ。 嫌・・・・・・・・・・!ごめん、凛子。二人きりになりたいの。 「私、雅さんの、手料理が食べてみたいです」 「え?」 今度は、雅さんが驚いた顔をした。 でも、次の瞬間、ふっと笑い 「いいわよ。でも、覚悟しておいてね。胃薬持参。住所と時間は、メールするわね」 と言い、エレベーターホールの方へ、モデルウォークで去って行った。 「鈴、大胆~!あの雅サマに、手料理をおねだりするなんて!」 凛子が、ささやく。 「私も、雅さんの部屋を、見てみたいな。綺麗にしてそうじゃない?ついていっても良い?」 「だ・め」 そう言うと私は、ふふふっと、笑った。 しばらくの間、油断すると笑みがこぼれそうになって、それを堪えるのが大変だった。 それは、嬉しさと、優越感・・・・そして誰にも言えない『秘め事』への妄想の笑みだ。
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