【二度目の訪問】

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【二度目の訪問】

二度目の、雅さんの部屋だ。 急の訪問にもかかわらず、ほとんど部屋は乱れていない。 すぐには、人を通せそうも無い自分の部屋を思い比べてしまう。 こういうところが、大きな『差』なのかも。 「お邪魔します・・」 「どうぞ」 雅さんは、そう言いながら、洗面台で手を洗い、新しいタオルを私に手渡してくれた。 洗面所で、手を洗いながら、鏡を見て、ふとネックレスに気づいた。 修司に、心の中で、「ごめんね」と言いながら、ネックレスを外してポケットに入れた。 雅さんは、髪の毛を一つにまとめたヘアスタイルで、スーツ姿のまま、デパ地下で買ってきた総菜を盛り付けていた。 「あ・・私も、手伝います」 私も、シュシュで髪の毛をまとめると、並んでキッチンに立った。 「そう?じゃ、これを適当に食器棚の器に、入れてくれる?」 「洗い物が大変ですよ。このままでも・・・」 「お気遣いありがとう。でも、器に移した方が、美味しそうに見えない?プラスチック容器は味気ないわ」 そう良いながら、パスタ鍋に水をたっぷり入れて、IHのスイッチを入れる。 「パスタ、作るんですか?」 「早ゆでのだけど。手抜きでごめんなさいね。早く食事をすませて、見てみたいの」 「え?」 「あなたの『絵』。すごく楽しみなのよ。」 雅さんは、本当に嬉しそうに微笑んだ。 ここへ来るタクシーの中でも、言われた。 本当は、もっと時間のある日にゆっくり・・・・の予定だったのだけれど、一緒にタクシーに乗り込んでしまったのは、私の買い物袋の中のものを、すぐに家に持ち帰る勇気が出なかったせいだ。 「期待されると、辛いです・・・」 総菜の入った袋を開封し、食器棚から合いそうな器を選び出し、盛り付けていく。 それだけの作業だけれど、雅さんと一緒にしていると思うと、『特別』な気がしてくる。 「イメージで良いのよ。ささっとね。色鉛筆と鉛筆と、スケッチブックはあるから」 「もしかして・・雅さんも、絵を描かれるんですか?」 「『絵』と言えば、そうかも。でも、風景とか人物とかそういうのじゃないの。」 「時計のデザインとか?」 「そうね・・・・・・・・・・」 曖昧な返事をしながら、雅さんは、沸騰しているパスタ鍋に塩を入れて、パスタを投入し、タイマーをセットした。 「ニンニクを入れないソースだと、カルボナーラしか出来そうもないけど、いいかしら?」 「カルボナーラ、大好物です!」 「ふふ・・・そんな顔してる」 そう言われて、思わず、自分の頬に両手を当てる。 「本当に、可愛いわね、蔵前さんは」 軽い調子で言われたお世辞にも、赤くなってしまう。 思わず、本気にしてしまいそう・・・・・・ 冷蔵庫から、手早く材料を取り出すと、フライパンでベーコンを炒め始めた。 その横で、カルボナーラソースを作る。 手際の良さに、見惚れてしまう。 あっという間に、二人用のテーブルの上に夕食が並んだ。 ランチョンマットに、テーブルランナーやナフキン、銀製のフォークスタンドが、より食卓をゴージャスに演出している。 「素敵!!!」 私は、目を輝かせて、湯気を上げているカルボナーラの香りを、胸一杯に吸い込んだ。 クリームの濃厚で少し甘い香りに、アクセントの黒こしょうの香り。 「酔わない程度にね」 そう言いながら、グラスに注がれたのは、ハーフボトルのシャンパンだ。 「ありがとうございます。頂きます」 「酔うと、理性を失いかねないわ。さっきの、貴女の姿を思い出して・・・・・・」 フィッティングルームで下着姿を見られてしまった事を思い出し、私は顔を赤くしていた。 雅さんは、そんな私を見てふっと笑うと、人差し指の横で私の頬を軽く撫でた。 あ、雅さんの目がまた、遠くなる・・・・・・・・・ 私の向こうを見ているような気がする・・・・・ どこを見ているんですか? その質問は、なぜだかわからないけれども、してはいけないような気がした。 言葉をぐっと飲み込む。 実家の母の手料理になれているせいか、デパ地下総菜も私には珍しくてそれなりに美味しかったけれど、やはりカルボナーラは絶品だった。 「今度、カルボナーラの作り方を、教えて下さい」 「いいわよ。」 「雅さんて、本当に何でも出来て、完璧な女性ですね」 「完璧じゃ無いわよ。」 「え?」 雅さんは、グラスに口をつけて、少し、自嘲的な笑みを浮かべた。 「結婚もしない、子供も産まない・・・・何より、男を愛さない。女じゃないわよね。体は女だけど」 踏み込んではいけないエリアに踏み込んでしまったのかと思ったけれど、聞かずにいられなかった。 「雅さんは、男になりたいんですか?」 「そうじゃないわ」 即答だった。 「ごめんなさい、そういう知識も無いのに、浅はかな質問をして。失礼でしたら謝ります」 「そんなに、大げさに言わないで。こういう世界は、多種多様の人がいるから。性同一性障害の人もいるけれど、私はそうじゃないの。私が女だから、愛し合えた・・その感動が忘れられないの。」 そこまで雅さんを惹きつけた女性って、どんな人だったんだろう・・・・ 胸の奥がチリチリと、嫉妬で焼けるようだった。 「私、正直、同性愛ってよくわからないんです。でも、雅さんを見てると、素敵だなって思って、憧れてます」 「ありがとう。でも、憧れっていうのも、少し寂しいわね」 そう言う、雅さんの目は、憂いを帯びていて、寂しそうに見えた。 胸の奥が、また熱くなる。 こんな気持ち・・・・久しぶり。 この気持ちは、恋愛感情なの? ううん・・・私には、修司が居て、修司の事が好きで・・・でも、すごく惹かれてる。 引き込まれそうになる、危うい自分が居る事は、間違い無い。 ポケットの中の、ネックレスを無意識に押さえる。 許して、修司。 「あ、ごめんなさいね、恋人の居る人に、こんな事。それより、絵、描いてみて」 雅さんは、そんな私の複雑な心を知ってか知らずか、話題を切り替える。 片づけたテーブルの上に、広げられた白いスケッチブックと、デッサン用の鉛筆と消しゴム。 真新しいから、きっと、私の為に用意してくれたに違いない。 だけど、スケッチブックも鉛筆も、かなり本格的な品だ。 そういえば、雅さんも、『絵』を描くって、言ってた。どんな『絵』か教えてもらえなかったけれど、かなり上手な気がする。 総務に回ってきた伝票の文字が、とても綺麗だったもの・・・・・・ そんな雅さんに見られていると思うと、緊張してしまって、描きづらい。 「あの・・・・・緊張するんですけれど」 「そう?」 「ちょっとだけ、一人で描いてみても良いですか?」 「見てたいけど・・・じゃ、洗い物を片づけるわね」 そう言い、雅さんはキッチンへと洗い物を持って移動してくれた。 集中、集中。 自分に言い聞かせ、アウトラインを引いていく。 クオンの顔は、脳裏に焼き付いている。 それを思い出すだけ・・・・クオン・・・今でも大好きだよ。 愛おしさを込めて、デッサンを続ける。 「・・・・・可愛い・・」 はっと気付くと、雅さんが、向かい側の椅子に座り、絵を眺めていた。 『可愛い』の主語が、絵の事でなく、自分の事のような気がしたのは、自意識過剰?。 「蔵前さんに、こんな才能があったなんて。新たな魅力の発見だわ。」 「才能ってほどでは無いです・・」 人から、褒められる事があまり無い私は、いざ、褒められるとどうリアクションしていいのかわからなくて、まごまごしてしまう。 雅さんと違って、私はずっと裏方で、地味で平凡に生きてきたから。 学校の演劇とかでも、雅さんは主役をやっていたにちがいない。 私は、いつも、その他大勢の役だったし、それで良いと思って来た。 勇気を出してみて良かった。 憧れの人に、褒められるって、すごくパワーが出て、眠っていた何かが揺り起こされているような感じ・・・それが心地良いと思っている私がいる。 「いい提案を本当にありがとう。言うときに、すごく勇気がいったんじゃない?」 私は、小さく頷く事しか出来ない。 「なんだか、前向きな姿勢が見えて素敵よ。蔵前さんは、もっともっと輝けるわ。頑張って」 「ありがとうございます・・・」 気恥ずかしい気持ちで、手元に視線を落とす。 雅さんの視線が気になって仕方なかったけれど、なんとかデッサンを完成させる事が出来た。 「こんなイメージでどうでしょう?もう少し、変えるところがあったら・・もう少し細かく描きましょうか?」 「エンボスにするから、シンプルなデザインが良いのよ。」 何枚かデッサンを描いてみて、二人でその中の一枚に決めた。 雅さんが、ハトロン紙を出してきて、それにラインだけを慎重に描いていく。 「完成ね」 ほっと、肩の力を抜いた私の手に、そっと雅さんが手を重ねた。 ドキッと心臓が跳ねる。 手と手が触れているだけなのに、ときめきが止まらない・・・・・ 「ありがとう。明日にでも、緊急ミーティングを設定して、提案させてもらうわね。」 「本当に、こんな絵で良いんですか?」 「いい絵よ・・・いい絵だと思うわ。気持ちがこもってる。このエンボスの入った時計の蓋を触る度に、自分のパートナーの盲導犬の事を思い出すのよ、きっと。」 雅さんの目が、また遠くなる。 「私も、心に刻まれたエンボスがあるの。今も、愛おしくそれを撫でるわ。忘れられない・・・」 そう言い、胸を手で押さえまぶたを閉じる姿は、私の目には、とても尊い姿に見えた。 まるで、柔らかな光が、雅さんのまわりを取り巻いているような・・・・・ 雅さんが愛したのだから、その方は女性ね。 きっと、素敵な女性に違いない。 そう思うと、雅さんが凛子の手に触れたときのような、嫉妬が心の中でくすぶるのを感じた。 修司の事を、愛している。 でも、雅さんに対する気持ちは・・・この気持ちは、愛なの?憧れなの? 何か尋ねるのも怖い。 走り出したいけれど、走るのが怖い。 ゆらゆらゆれる吊り橋の上にいるかのような、アンバランスな私の心。 「素敵な女性だったんですよね。」 私の問いに、雅さんは、まぶたを開けると、ふふっと小さく笑った。 「昔のお話よ。」 それ以上は、聞けない、聞かせない声だった。 「遅くなってしまったわね。お仕事で疲れているところごめんなさい。約束の手料理が、こんな手抜きになってしまったから・・・別の日に、改めて、ご馳走させて。」 「行きたいです!是非」 「ドレスコードのあるお店なんだけど、大丈夫?」 「え?ドレスって、どんなドレスですか?」 「どんなって・・・・そうね、たとえば・・・」 雅さんが、クローゼットから取り出してきたのは、オフホワイトのワンピースに、紺色のベルベットのボレロだった。 オフホワイトのワンピースは、しっかりとした作りの木製のハンガーにかかっているだけで、美しいシルエットを描いていて、見た目だけでも高級感が漂っていた。 ベルベットのボレロの光沢も、ボレロの止め金具に配されたジュエルの輝きも、私が、友人の結婚式に来ていたワンピース達とは、レベルが違う。 「着てみる?他にも・・・そうね・・・」 雅さんが、クローゼットの扉を広げて、中の衣類を眺めながら、いくつかのセットアップを取り出してくれたけれど、どれも大人っぽくて、最初の白のコーディネイトが一番似合いそうな気がした。 「似合いそう」というより「着てみたい」というのが本音だ。 こんな高級そうな洋服を、身につけたことは無いもの・・・ 別室で、手にしたワンピースは、手触りだけでその上質感がわかった。 裏地も、なんだかすごくすべすべしていて柔らかい。 指先から伝わるような、ファスナーを降ろす音さえも、心地良い。 ブランドタグは、読めない。 どこの国の言葉? 自分の洋服を脱ぎ、いざワンピースを着ようとして、ヒップの部分でそれ以上上に上がらない事に気付いた。 ファスナーを確認するが、ぎりぎりまで降りている。 ショック!! サイズタグを見るけれど、国産表示では無いのでわからない。 ただ、もう少し痩せないと着られない~という事だけははっきりした。 ショックを引きずりながら、自分の服に着替えて、リビングに戻ると、雅さんが、ちょっとびっくりしたように見た。 「すみません。サイズがあいませんでした・・・」 「あら、そうなの?残念ね。デザインでも、サイズは変わるから。そんな顔をしないで」 ワンピースとボレロのセットをクローゼットに戻すと、 「今度の、土曜日か、日曜日、あいてる?」 「あ・・・・・・・・・・えっと・・・都合つけます!」 「もしかして、二日ともデート?」 「はい・・でも、彼の方も、友達と遊びに行ったりっていう事もあるし、用事があるって言えば都合つきます。特に、どこへ行くとかそういう約束じゃないんで」 「彼には申し訳ないけど、貴女の一日を頂戴。そうね・・・テーマは、『マイフェアレディーごっこ』」 「ごっこ?」 「そう。『ごっこ』よ。」 雅さんは、笑顔で私の両手を取ると、優雅にダンスのステップを踏んだ・・・けど、私が、蹴躓いてしまって、すぐにダンスは取りやめになってしまった。 「楽しみにしてて」 よろめいた私を、軽く支えながら、耳元で笹や帰れて、私は、頷いた。 雅さんの声が、くすぐったくて、なんだか気持ちが華やいでしまうのはどうしてだろう・・・・ 「さ、そろそろシンデレラタイムに間に合わなくなるわ」 雅さんの視線の先にある時計の針が、恨めしい。 そして、冷静な雅さんも。 フィッティングルームでの事を思い出すだけで、体の奥が、熱くなるような思いがする・・・。 もっと、雅さんと一緒に居たい・・・・・・・そう思うのは、私だけ? 前に、好きって言ってくれたのは、戯れ? 色々な感情が心の中で交錯するけれど、どれも口にする事が出来ないまま、駅まで送って貰って別れた。 でも、電車に揺られて帰宅する間に、徐々に、熱が引いていく。 そして、自分がとんでもない『爆弾』(黒の下着セット)を、手にしていることに、はっと我に返ったのは、自宅の玄関に着いた時だった。 母に見つかり、父に知れたらと思うと、身が縮まる思いがした。 そっとカギを開けて、玄関に滑り込む。 みんな、もう寝ているようだった。 部屋に入り、薄紙に包まれた商品を、整理ダンスの奥深くに隠し、買い物袋をたたんでゴミ箱に捨てて、やっと、ほっと息がつけた。 今日は色々な事がありすぎた・・・・・・・・・・ 思い出すと、再び興奮した気持ちが蘇ってきて、修司に電話をしようとして、手を止めた。 一連の話題をするとしたら、『爆弾』の話題をしなくてはならない。 誰かにこの昂ぶる気持ちと、ときめく気持ちを伝えたい・・・・だけど、誰にも言えない。 言えば、きっと泡になって消えてしまう・・・昔読んだ、「人魚姫」を思い出す。 「口には出来ない思い」は同じ。 胸が痛い・・・・・・・・・・
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