【クオンの死】

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【クオンの死】

昼間は、まだ残暑が厳しい暑さだというのに、一階のショールームは、すっかり秋冬モードだ。 まだ発売前の腕時計の新製品モデルが、ラインナップにあわせたイメージのカラーや小物で演出され、ライトアップされている。 先週、東京フォーラムで、オールアイテムの新作発表会があったばかりで、ここにあるのは、その中でも、主力商品のみ。 来客への宣伝効果を兼ねているので、ディスプレイにも力が入っている。 「すっかり秋ねぇ・・・」 一緒に、受付の位置についた、同期の佐原凛子がフロアを眺めながら言った。 朝のメイクに40分を費やすと言うだけあって、今朝も気合いが入っている。 淡いピンクの、ぷるぷるのグロスの唇。 まつげは、常に上向きキープ。 少し強めの「ミスディオール」の、甘やかな香り。 すっぴんになると、びっくりするほど普通の顔になる事は公然の秘密だ。 そんな凛子の、「愛され女子」意識の高さは、尊敬に値すると私は思っている。 凛子は同期入社で、同じ総務に配属されて約3年。 お局様以外の総務の女子は、交代で受付を担当することになっていて、凛子と組むことが多い。 一緒にいる時間も長いので、社内では、凛子が一番親しい同僚だ。 「あのね・・・」 私は、ここ数日、心の中に抱いてきた重たい気持ちを告白したくて、口を開いた。 「ん?」 「あのね・・・うちのクオンなんだけど」 「レトリバーのクオンね、どうしたの?」 「それが・・・」 そこまで言いかけた時に、来客用の自動扉が開いて、大きな段ボールを抱えた営業の金田と、蘇芳雅が入ってきた。 「金田さん、社員は、通用口を利用して下さい」 すぐに、凛子が注意を促す。 「ごめん、ごめん。ディスプレィのトレーだから、こっちが早いから・・・・・・・・・重いんだよ。これ。」 「次からは、課長にいいつけますよ」 35歳で独身、その上太っていて、頭も薄くなりかけている金田に、凛子は容赦ない。 「このあたりに、置いて。ありがとう」 凛子の事は、全く意に介さない様子で、雅さんが金田に指示をする。 金田は、段ボールを置くと、ふぅ・・・・・・と、ため息をつき、腰を叩いた。 いつも思う事だけれど、この二人が、同じ年齢だという事は、会社の中の七不思議の一つだ。 ブラック系のスーツに、黒のパンプス。 だけど、とてもスタイリッシュに見えるのは、雅さんのスタイルの良さと、少し冷たく感じるくらい整った顔立ちのせい。 セミロングの黒髪は、いつも艶やかで、色白の顔を引き立てている。 子供の頃からバレエを習っていたと、噂で聞いた時に、納得した。 小顔で、首はほっそらと長く、歩く姿は優雅で独特だ。 大手広告代理店から、この時計会社に転職してきて、商品企画から宣伝広告、時には営業もこなす。 特に、役員クラスのおじさま方の、公然の「お気に入り」だ。 そんな雅さんに憧れているのは、男性社員だけではないけれど、どこか近寄りがたい雰囲気があるのも確かだ。 頭が良い人にありがちな、端的な物の言い方や、結論ありきの発言を苦手とする人も少なくない。 私も、話しをする時には、少し緊張してしまう。 でも、・・・・・・・・・・・仕事を軽々とこなしていく雅さんの姿を見るのは好きだ。 「どう?このディスプレイは?商品は全部、見た?」 雅さんが、私たちの方を向いて、話しかけてきた。 「すごく、シックで良いと思います。流石、蘇芳さん!私、ハートシリーズの限定モデルが気になるんですけど、生産数少ないですよね?」 凛子は、少し甘えた口調で答えながらも、ちらりと金田にも視線を送る。 人気の限定モデルは、販売店だけで完売してしまうので、社員でも手に入れるのが難しい。 凛子は、金田が自分に好意を寄せている事を知っていて、ちゃっかり保険をかけているのだ。 私も、限定モデルに惹かれていたけれど、それをすぐに口には出来ない、損な性格だ。 「佐原さん、SNSは、何かやっている?」 雅さんが、受付カウンターに歩み寄ってきた。 「はい、インスタしてます。」 「フォロワーは、何人?」 「えっと・・・・・・・・・・・」 凛子は、受付カウンターの下に隠していたスマホを取り出し、電源を入れる。 受付カウンターでは、スマホの電源は切る決まりになっているけれど、雅さんの依頼なら話しは別だ。 「10万7858です」 え?と、私も驚いた。私も、凛子のインスタはフォローしているけれど、賑わっているくらいの感想しか持っていなかった。 「なかなか、凄いわね。どんな画像をアップしているの?」 「メイク動画とかが、メインです。結構人気なんですよ。化粧品メーカーから、モニター依頼とかも来るんです」 流石、メイクの達人。 「洋服やアクセサリーは?」 「アップしてます。」 「ライバル会社と契約している商品は、アップしてないでしょうね?」 「えっと・・・・・・・・・・・・・確認して、もしあったら削除します!」 「あと、セクハラにひっかかるようなものは?」 「それは、無いです」 凛子が、必死に否定するのがおかしい。 「限定モデルの、モデルをしてくれたら、進呈するわよ。どう?」 「本当ですか????」 凛子が、嬉しそうに声を上げる。 羨ましい!。 あのモデルは、私も、心惹かれていたから。 雅さんに手招かれて、凛子が、限定モデルのショーケースの前で、腕時計をつけて自撮。 手慣れた様子で、コメントを入れると、 「これで良いですか?」 と、画面を見せた。 「良いわね。私も、フォローするけどいい?」 「はい!」 「蔵前さんは?」 「私もインスタと、Facebookをしてますけれど、そんなにフォロワーはいなくて・・・でも・・」 「いいわよ、自撮する?」 「良いんですか?嬉しい」 そんな私を見る雅さんの、切れ長で涼やかな目が、少し温かい光を帯びたたような気がした。 「ここ数日、特に今朝は元気が無さそうだったけど、今くらいの笑顔でお願いね。」 「え?」 老犬のクオンの事が心配で、気持ちが落ち込んでいたけれど、自分では精一杯明るく振る舞っているつもりだった。 それに、雅さんが気付いていた事が、とても意外だった。 「大丈夫です」 私は、そう言い、カウンターの下から、スマホを取り出し電源を入れた。 クオンに何かあったら、母からLINEが入っているはず・・・・それがとても気になっていたので、素早く確認する。 母からの、メッセージはなく、ほっとしながら凛子から限定モデルの腕時計を受け取り、ディスプレイの前で、自撮りをした。 「二人とも、コメントが入ったら、PRよろしくね。あ、蔵前さん、Facebookの登録をするから、電話番号をお願い。」 「私も、Facebookしようかしら」 凛子が、私のスマホの画面を覗き込みながら言った。 「あ、僕も、やってます」 背後から、金田が声をあげたけれど、雅さんは振り返ることもなく、 「限定モデルは、女性用」 と、ばっさりと切り捨てた。 「蘇芳さん、フォローはすごく多いのに、何もアップしてないんですね」 少し驚いたように、凛子がスマホを見ながら言った。 「SNSは、市場調査の為よ。はい、スマホタイムは終わり。電源落として」 「はい」 私と凛子は、スマホの電源を切り、カウンターの下へ戻した。 「金田君、私は部長と打ち合わせの時間だから、トレイの交換をお願いね」 「僕も、出かけないといけないんだけどな・・・」 「アポイントは無いんでしょ。宜しく」 雅さんは、そう言うと、綺麗な足取りでエレベーターフロアへと消えていった。 「やったね、限定モデル」 凛子が、カウンターの下で、拳を握りしめる。 「流石、雅さんだね」 「本当。今日も、一段と雅だったね。それより、鈴音、元気ないのってもしかしてクオンの事?」 「そうなの・・・・・・・・もう、ほとんど動けなくて・・それでもね、私を、玄関まで這って、待ってくれているの。」 そう、話しているだけで、胸がつまって、涙が溢れそうになってくる。 「健気ね・・・ほら・・受付で涙は禁物よ」 凛子が、カウンターのしたのテッシュを一枚抜き取り、横から手渡してくれる。 「うん・・・ごめん・・」 私は、テッシュで涙を押さえながら、必死に気持ちを切り替える。 定時になったら、ダッシュで帰る。 残業は、絶対にしない。 待っててね、クオン!まだいっちゃだめだよ。 そう、心に誓ったとおり、定時のチャイムが鳴ると同時に席を立ち、会社から最寄り駅まで全力で走り抜けた。 何度も、スマホを確認しながら。 母からのLINEメッセージが無い事を確認するたび、クオンの無事を祈る。 もう、老衰なのはわかっている。 でも、もう少し一緒にいたいよ、クオン・・・・・・・ 電車を降りてから、全力で人混みを抜け、タクシーに飛び乗る。 徒歩15分の距離だけれど、それすらも、今はもどかしい。 「クオン!」 玄関の扉をあけると、クオンの姿は無い。 「クオン!」 リビングの扉をあけると、床に体を横たえたクオンの横に寄り添う、母と妹の姿が目に飛び込んだ。 母も、妹も、泣いている。 「クオン!クオン!」 かけより、クオンの頭をそっと撫でる。 「・・・・クオン・・・鈴よ。わかる?」 母が、涙声でクオンに話しかける。 クオンは、うっすらと目をあけ、力を振り絞って頭をあげて、私の手をひとなめして、そしてそのまま崩れるようにして息絶えた。 「クオン!!やだ・・・・いかないで、目を開けて、クオン!!!」 クオンの体にしがみつき号泣する私の背中を、泣きながら母が撫でる。 「クオンは。。。。鈴ちゃんを、待っていたのよ。」 妹は、声を上げて泣いていた。 夜遅く帰宅した父は、クオンを見て、言葉も無く目を背けた。 父も、クオンをとても可愛がっていたのだ。 その夜、私と妹は、リビングで、永久の眠りについたクオンと一緒に眠った。 毛布をかぶり、その金色の毛並みを優しく撫でながら・・・・・・ 翌朝、見事に目を腫らせた私を見た課長は、驚きの表情を浮かべたが、あえて理由は尋ねず 「蔵前さん。今日は、受付は他の人が変わるように。」 と、言った。 みんなが、同情的な視線を送ってくれるのがわかる。 課長以外のメンバーは、全員LINEで繋がっているので、みんな私の事情は知ってくれているのだ。 課長が優しいのにも、理由がある。 みんなには隠しているけれど、私の父は、本社工場で重役を務めていて、そのコネで入社しているから。 わかっているけれど、こんな時は、ありがたい。 「私が変わります。備品ストックの確認、お願いします」 ひとつ年下の、森末さんが手を上げてくれた。  森末さんにお礼を言い、席を離れる。 備品室に入ると、堰を切ったように涙が溢れてくる。 電気のスイッチもいれないまま、棚に体をもたれかけると、嗚咽をかみ殺し、ハンカチを口に当てる。 クオンの死の悲しみは大きい。 だけど、その心の傷に刺さった小さなナイフがあるとしたら、恋人の修司の言葉だ。 昨夜、ひとしきり泣いた後、修司に電話をかけた。 ただ、ただ、慰めて欲しかった。 修司は、IT関係の企業に勤めていて、帰宅するのは大抵は真夜中近く。 平日は、酔っている事も多い。 昨夜も、少し酔っ払っていたのもわかっていた。 「クオンが死んだの。クオンが・・・・目の前で・・・それでね・・・」 なきじゃくりながら、クオンの話しを続けようとしたら、 「仕方が無いよ、寿命だから。」 と、言われたのだ。 私は一瞬、言葉を失った。 それは、期待していた言葉では無かった。 欲しかった言葉ではなかった。 「・・・・・・・・・仕方が無いの?」 「そうだろ?人間よりも、犬や猫は早く死ぬもんだ。犬にしては、長生きしたんじゃないのか?。それに、病気で苦しんだわけじゃなくて、老衰なんだから、犬も幸せだっただろう。」 「・・・そうじゃない。私がこんなに悲しいのに・・・」 「わかってるよ。あれだけ可愛がってたんだから。」 「明日、会社行きたくない・・」 「何、甘えてるんだよ。家族が死んだわけじゃないんだぞ」 「クオンは、家族だよ!」 私は、そう叫んで、電話を切った。 涙が次から次へと溢れた。 修司は、冷たい人ではないと思う。 でも、動物や子供が苦手で、うちに遊びにきても、クオンを撫でたこともなかった。 そう、ただ、苦手だから・・・それに、思考回路は私と違って、理数系だからだ。 自分にそう言い聞かせたけれど、修司の言葉が耳から離れない。 思い出したくないのに、その言葉が思い出されて、悲しさが心の奥底深くまでじわじわと沈み込んでいくようだった。 とめどなく涙は流れ、メイクも流れ、鼻水まで。 きっと、ひどい顔をしている・・・・ カチャッと、ドアが開く音に、思わず飛び上がった。 驚いて振り返ると、雅さんだった。 泣き顔を見られた恥ずかしさに、思わず顔を、ハンカチで隠した。 「見ないで下さい・・・・・・」 ヒールの足音が、近づいてくるのがわかった。 だけど、自分の体が、抱きしめられたことに気付くまで、しばらく時間がかかった。 え? 「泣いていいのよ・・・・・・辛かったでしょう。大事な犬だったのでしょう?休まずに、よく頑張って会社に来たわね。えらいわ。」 思いがけない優しい声と、爽やかでノスタルジックなユニセックスの香り。 濁流のごとく押し寄せてきた悲しみが、堰を切ったように溢れ、私は声を出して、泣いていた。 雅さんの胸で・・・・・・・ 泣きじゃくりながらも、私は、そうして抱きしめられていることに、今まで感じた事の無い、心地よさを覚えていた。 幼い頃の記憶にある母親の体とも、恋人の修司のがっちりとした体でも、ふざけてハグした女友達とも。 ひとしきり泣いて、嗚咽がおさまりかけると、私の髪の毛を撫でていた雅さんの手が止まった。 私は、自分の子供じみた振る舞いが、急に恥ずかしくなって、 「すみません!」 と言って、体を離した。 「いいのよ。もう落ち着いた?」 雅さんの口調も、いつものあまり温度のない、でも耳障りの良い、よそ行きの声になっていた。 「はい・・・・・・・あ!」 私は、自分が顔を埋めていた雅さんのブラウスに大きなシミを見つけてしまった。 電気をつけると、べったりとファンデーションと口紅とアイシャドウの色が、にじんで大きなシミをつくっていた。 「本当に、すみません。クリーニング代、出します。」 「別に良いわよ。・・・ロッカーに、着替えはいくらでもあるから」 「このまま歩けないですよね、私、ロッカーから取ってきます。」 「その方が良さそうね。お願い。ブラウス、どれでもいいから」 雅さんのロッカーのカギを預かり、ロッカールームへ。 誰も居ないことに、ほっとしながら、雅さんのロッカーをあけると、ふわりと、さっきまで私を包んでいた香りが漂ってきた。 抱きしめられていた感触が蘇り、恥ずかしさと、何かしら心騒ぐ思いを感じながら、何枚かかかっていたブラウスの一枚を取り出す。 このブラウスが、雅さんのあの体を包むのね・・・・・・ そんな事を、ふと想像してしまい、あわててその妄想を打ち消した。 私は同性愛者でもないし、ずっと共学だったし、今まで男性とつきあってきた。 今の彼とは、いずれ結婚するつもり。 だから、雅さんに対して憧れの気持ちを持っているのは確かだけど、そういうのは、思春期の女子学生が、上級生の綺麗な先輩に憧れるようなもの。 でも、女子校に進学した幼なじみが、同級生の中に「女同士でつきあってる」人がいるという話しは聞いた事があったのを思い出した。 その話を聞いた時は、女同士でつきあって、何が楽しいのだろう・・・・・きっと、女子しかいない環境だから、「男性のかわり」にしているだけに違いないと思った。 だけど、今、おかしな具合に、胸がときめいているのだ。 きっと、クオンが死んでしまったショックのせいだと思った。 悲しすぎて、ちょっといつもの自分と違うのだ。 きっと、そう・・・・・・・・・・
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