先生の証言

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先生の証言

教師を始めて幾年か経ったころ、中学二年生のクラス担任になった。そのクラスには望月伽耶という女の子がいて、道徳の授業で非凡な回答をするので、面白い子だなぁと思っていた。 冬頃に、クラスでいじめが起こった。なかなかな性格の子が外見についていじめられるようになった。いじめられる側にも原因はある。けれどいじめはいけない。そう思っても立場上、ハッキリ言えないことが多かった。 「今からクラス会を始めます。何故いじめが起こったか、どうするべきだったか、これからどうするべきか意見を出してください」 司会進行は学級委員2人に任せる。自分は横に座っていた。当然ながら手を挙げる者はおらず、学級委員が名指しをしていく。 「…水上くんと矢野くんはどう思いますか」 「……悪かったとは思ってるけど、俺らだけが悪いわけじゃねぇ」 「俺もそう思う。みんないい気味って思ってただろ」 主犯の主張を黙って聴いた。目はあくまで学級委員2人をとらえ、座っている彼らは極力見ない。 「それはないでしょ。悪いと思ってないのに」 「……なに、ジュリはアイツの友達?アイツのこと好き?」 「別にそうは言ってない。でも、こういうの良くないから」 「では、ジュリさんは今回のいじめについて出来たことはあったと思いますか」 「私はやめとけって言った。私は悪くない!」 佐藤ジュリの声が大きくなる。酷く傲慢だなと思ったけれど、まぁ忠告はしていた。 「ジュリちゃん、別に誰もジュリちゃんを責めてないよ」 「そんなこと分かってるから!」 フン、と乱暴に椅子に座る。学級委員がハァ、と小さく息を吐いて、目を移したのが望月伽耶だった。 「望月さんは、どう思いますか」 頬杖をついて、ボーッと前を見ていた伽耶がゆっくり顔を上げた。それからノソノソ立って、ニコ、と笑った。 「…話して良いのですか?」 「どうぞ」 「そうですね…。私は『自分は悪くない』と言いきれるほど素晴らしい性格ではありません。けれどまぁ、因果応報ではありませんか。あの人は、ずっと人を虐げてらっしゃったから」 教室内が微かにザワ、とした。国語の成績の良い数人はフッ、と笑う。頭の悪い大半は、何言ってんの、と奇異の目で笑っていた。 「そうですか。望月さんは、どうすれば良かったと、自分に何が出来たと思いますか」 「……私がいじめの対象になる、ということが出来たと思います」 これには全員がビックリして、途端にザワザワし出す。私も思わず伽耶の方を見た。落ち着いていたのは学級委員の1人だけであった。 「ちょ、みんな静かにして!」 片方は皆を静かにさせようと声を上げるが、なかなか誰も黙ろうとしない。 「……お話、続けてよろしいですか?」 ニコ、と冷たい笑みで誰にともなく伽耶が言った。張り上げていないのによく響く声だった。教室はシンとして、張り詰めた空気が降った。もう伽耶を見ていない者はいない。 「どうぞ」 「はい。まず第一に、いじめはいけません。如何なる理由があっても、いじめとは法を犯す行為です。けれど世界は残酷なので、被害者はとことん苦しみ、加害者は悪びれもせずのうのうと生きていきますね」 澄んだ瞳はどこも見ておらず、いつもより緩やかな話し方だった。いつも凛とした様子の彼女を見慣れているから、とても違和感がある。 「…少し話が変わってしまいますけど、私、いじめを知らんぷりした人が一番悪いって風潮が大嫌いなのですよ。加害者が悪いのに、なぜ同じように責められなければならないのか」 「そりゃ助けなかったからだろ。俺らと同じ加害者だわ」 「…水上くん。見て見ぬふりをした人は皆、被害者ですよ。そりゃあそうですね、自分が山崎さんのように皆さんに慕われていて、行動力があって、皆が納得してくれるような人間だったら助けているのですよ。いじめなんかやめなさいと強く言えます。でもどうですか?見て見ぬふりの方の中に、そういった人はいますか?」 「…………いや?」 「そうでしょう。所謂『陰キャ』とか、確実に『陽キャ』ではない人たちですよね。私たちは身分を弁え自分を守っただけなのです。注意したところで、誰も聴きゃしない。『何熱くなってるの?』と笑われて終わり」 「そんなんただの言い訳じゃん。加害者側だろ」 「最後まで聴きなさい。見て見ぬふりをする人の大半はね、助けこそしないけれど優しい人が多いのですよ。だから『助けられなかった』『悪い事をした』という思考が止まなくて、大きな傷になることが多い。暴言を聞いていて心が痛くて仕方ない人や息苦しい人はたくさんいる。いじめられている人が誰かに関わらず」 非常に冷たい声だった。彼女が今、大切なことを話していると大半は分かっていなかった。生唾を飲み込んで、伽耶の言葉を待つ。 「傷はいじめられた人と同じで、治りません。戒めとして背負っていく人がほとんどです。そういった意味で、被害者なのです」 「そんなん気にしなきゃ良くね?」 「……?え?お前の母語は日本語だよな?」 もうここに来ると鳥肌と脂汗が止まらなかった。急に口調が変わった伽耶から笑顔が消え、本当に戸惑ったように水上や矢野を見ていた。 「あ、ごめんなさい。君、あの人のことを『醜い』と罵ったでしょう。『自意識過剰、性格やばい』と言ったでしょう。それこそ気にしなければ良かったじゃない…訳が分からない…」 「…………」 みんな黙った。もういいよ、と言おうとしたところで学級委員が口を開いた。 「望月さん、それで『自分がいじめの対象になる』ってどういうことですか」 いやもう、学級委員も怖かった。機械的でよく働く子だけれど、そこまで進めなくても良いのに。 「はい。前述の通り、私は見て見ぬふりとやらをしましたが、中途半端に善良さがあるのです。悪人にされるのを耐えられません。ですから、私がいじめの対象になればあの人はいじめられず、私は中途半端な十字架を背負わないで済むのです」 「なるほど。ありがとうございました」 「はい。長々と話してしまってすみませんでした」 伽耶がゆっくりと座って、本を読み出した。後は勝手にやってください、とでも言うように。 「他に意見がある人はいますか」 もちろん誰も手を挙げなかった。少しずつ、ザワザワと伽耶の話が始まる。学級委員は「どうしますか」とでも言うように私の方を見る。 あの後、どうやって意見をまとめて何を話して授業を終わらせたのか覚えていない。 ただただ望月伽耶が恐ろしくて汗が止まらなかった。彼女の倫理観は齢14にして完璧に形成されている。思考している量が、常人のそれではないのだと気付いた。 伽耶は空気が読める。そんな彼女が同級生には難しい言葉を使って長い話をしたのは、きっと怒っていたからなのだ。奇異の目で見られ興ざめだと笑われるのを理解していながらも諭していたのは、いつもよりニコニコしていて浮ついた声だったのは、気分を害していたから。 その後クラスでいじめは起こっていない。伽耶は腫れ物扱いされるようになったけれど、決して無視をされているとかそういうことではなかった。足りない頭ながらも子供たちは伽耶が「やばい」と理解したのだ。彼女を害したら、多分報復される。 バケモノだ、と思った。彼女が話したことは最もなのだけれど、中学二年生がそれらしく語ったところで痛々しくていたたまれない気持ちになる。しかし、それが伽耶にはないのだ。蔑ろには出来ない、不思議な魅力を感じる話し方であった。 望月伽耶は独裁者になれる。そう悟るのに時間はかからなかった。よくとんでもないバケモノがいるクラスの担任をしていられたものだ、私は。
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