episode 14. オーロラの下で

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 足音がした。身を竦ませて銀の万年筆を取り出したトレフル・ブランだったが、ゆったりとブランカが尾を振ったことで、相手が誰だかを知る。  予想通りの人物、(くわ)え煙草のソーカルが「よぉ、不良少年。こんな時間に何してんだ?」とうそぶきながら現れた。  トレフル・ブランは万年筆を懐にしまい込みながら答える。 「こんばんは、不良中年。こんな時間にほっつき歩いてるから、三人も子どもができたんじゃないんですか?」  ソーカルは嫌そうに顔をしかめた。 「お前、今そういう冗談言う雰囲気じゃなかったろうよ」  言いながら、「しっし!」と手を振る。  トレフル・ブランはしぶしぶ位置をずらし、一人分のスペースを空けた。ふかふかの特等席に、「よっこらせ」とソーカルが並んで腰かける。  しばらくどちらも星空を見上げていたが、最初に口を開いたのはトレフル・ブランだった。 「……俺、冗談言う雰囲気に見えませんでした?」 「そうだな。もうちっと、深刻そうに見えたよ」  満天の星空の下、紫煙を細くくゆらせながらソーカルが答える。  トレフル・ブランは、耳飾りの片方を取り外した。材質不明の金属でできた球体を、手のひらで転がしてみる。かつては、先生が身に着けていた品だった。(いわ)く、「完全な球、完全な円には、大いなる力が宿る」。ゆえに、先生から与えられたもうひとつの品、青銅の鏡も美しい円形だ。 「俺、自分で思ってるよりずっと、何にもできない人間なんだなって、考えてました」  そうか、とソーカルは煙を吐き出した。そして言う。 「俺だって、ひとりじゃ大したことはできないよ。誰だって、ひとりでできることはたかが知れてる。大きな魔法は、大人数で運用するのが基本だろ? 同じだよ、それと」  トレフル・ブランはしばらく躊躇(ちゅうちょ)していたが、新しい自分を発見したことによる好奇心がまさったので、ここはひとつ年長者の意見を参考にしてみようと考えた。 「いま、ユーリやキーチェたちといっしょに旅をしているけど、彼らは旅の仲間? それとも、友達?」  一瞬の沈黙ののち、ソーカルは遠慮なしの大声で笑った。静かな波の音だけが聞こえる雪の世界で、その声はひどく響く。近所から苦情が来やしないかと、ありもしない心配をしてしまった。  ソーカルは片腕を伸ばすと、トレフル・ブランの髪をくしゃくしゃに掻きまわした。 「お前、器用な魔法使いのくせに、対人関係は不器用だったんだなぁ。その発言、『今まで友達いませんでした』って宣言してるようなもんだぜ」  トレフル・ブランは体がカッと瞬間的に熱くなるのを感じた。が、ソーカルの言葉を否定することはできなかった。連れでも仲間でも友達でも、表現がなんであれそういうを持つことが人生初めての経験なのだから仕方ない。 (あ。恥ずかしいっていう感情が、こういう感覚なのか)  今日まで書物でしか知らなかった感情をたくさん体感し、脳みそが沸騰(ふっとう)しそうだ。  何がそんなにおかしかったのか、ソーカルはしばらく笑い続けたあと、ポンポンとトレフル・ブランの肩を叩いた。親しみを感じる触れ方だった。 「ま、今から色々体験していけばいいさ。そうすれば、答えは自ずと見つかる」  トレフル・ブランは小さく頷いた。  今日一日でこれだけのことを知ったのだ、これから先の長い人生の中には、どれほど心をゆさぶる感情が待っているのだろう。楽しみなような、自分が自分でなくなる不安のような、よくわからない気持ちが胸の底からじわじわと込み上げてくる。  新しい煙草を取り出したソーカルが言った。 「あれだな。お前の先生は、ずいぶんお前を大事にしていたんだな」  どうだろう、とトレフル・ブランは首をかしげた。その意見には、すぐには賛成しかねる。  以前、このパゴニア王国を訪れたとき。このシンセンスディート橋で無理やりバンジージャンプをやらされた記憶がよみがえる。両足に括り付けた紐の先端を、先生が笑いながら握っていて、笑いながら突き落とされた。きっと魔法で強化された紐だったのだろうと思うが、その辺で買ったふつうの紐だったらと考えると、今でも空恐ろしい。でも結局のところ、何かあれば、最後には助けてくれただろう、先生は。  トレフル・ブランは、もう一度星空を見上げた。  緑色の帯が広がり始めた。星空をまたぐオーロラだ。この光の帯の下、どこかの大地を、先生も旅しているのだろうか。そして、また出会うことがあれば尋ねてもよいだろうか。「先生は、俺のことが大切ですか?」と。  そう考えて、さすがに恥ずかしすぎる、と頬を掻いた。  ソーカルがにやにやしながらこちらを見ているのが腹立たしい。それでいて居心地がいいのだ。何故だろう?  やがて、ソーカルが静かに立ち上がった。 「そろそろ戻るぞ。ゆっくり眠って、経験を自分の中に落とし込め。そうしたら、明日は、今日よりひとつ大人になった自分に会える」  ソーカルに続いて歩きながら、トレフル・ブランは言った。 「教官。今夜はずいぶん教育者めいたことを言いますね……ちょっとキモチワルイかな」  後半は小声だったのだが、波の音しか聞こえないこの橋のふもとでは、丸聞こえだったようだ。 「調子が戻ったようで何よりだが、お前、もうちょっと俺への対応について考えろよ」  くすっと、自然に小さな笑みがこぼれた。 「考えるくらいは、考えてみてもいいですよ」  ソーカルは両肩を竦めたが、何も言わずユーリたちの眠る小屋の扉を開けた。
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