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episode 16. 幸運のお守り
夜。窓の外にはつららが見えるが、暖かく快適なホテルの中で、寝間着に着替えたトレフル・ブランがシャワー室から戻ると、ユーリが三種類の薬草を前にしかめっつらをしていた。初級魔導士認定試験の課題に取り組んでいるようである。
ちらりと除いたところ、薬草の種類は、課題の「嘔吐薬」を作るために必要な材料と合致している。あとは調合を間違えなければ完成するはずなのだが。
それでは、ユーリのこの険しい表情はなんなのか。
トレフル・ブランは小さく息を吐き出すと、「何を小難しい顔してるのさ」と水を向ける。
「いちおう自力で正解にたどり着いたみたいだから言っちゃうけど、薬草の種類は合ってるから。あとは調合だけでしょ。そう難しい作業じゃないはずだけど?」
ユーリは恨みがましさのこもった黒い瞳で、トレフル・ブランを見た。
「葉っぱが嫌いじゃない人間には分からないのさ。俺は、こいつらと向かい合ってるだけでもう、鳥肌が立つぐらいイヤな気持ちになるんだよ」
「……シャワーでも浴びてくれば?」
相手をするのが面倒になったトレフル・ブランは、話題を変えた。
気分転換の必要性を認めたのか、ユーリも「そうするよ」と乾燥した薬草の粉に透明なガラスのケースをかぶせ、着替えを持ってシャワールームへ消えて行った。
ちなみに部屋割りは、ソーカルが一室、キーチェが一室、トレフル・ブランとユーリで一室である。
トレフル・ブランは、机の上に散らばる道具に目をやった。
幾種類かの薬草の粉末が入った小瓶、使いかけの薬包紙、大小の匙に、古道具屋で見つけた天秤。薬草学の本が数冊と、嘔吐薬の調合方法が記されたページが開かれた分厚い『新薬草学分類図鑑』。
このままでも課題は仕上がるだろうと思われたが、トレフル・ブランは念を入れておくことにした。
『新薬草学分類図鑑』のページにそっと指先を這わせ、
(どうか、無事にユーリの嘔吐薬が完成しますように)
と、祈りを込める。
俗に『幸運のお守り』と呼ばれる魔法である。巷のほとんどの魔法使いが、一番にかかる、あるいは覚える魔法と言っても良い。対象に触れ、その無事や健康、成功などを祈る。すると、対象物に『幸運のしるし』が灯る。魔の審美眼などを通してみると、うっすらと優しく輝いて見える魔法だ。母が子の健康を祈ってキスをする、兄弟同士が手をつないで笑い合う、友人の背を叩く、そういった些細な触れ合いでかかる不思議な魔法で、詳しいメカニズムは解明されていない。
効果のほども不明で、「多少は運気があがる気がする」といった程度のものだ。よって、このぐらい手助けしたうちには入らないだろう。
(俺は一度も、『幸運のしるし』なんてもらったことないな)
孤児院でも、養子に引き取られた家でも、そして先生のそばにいるときも――。
トレフル・ブランは本から手を離すと、ユーリがシャワールームから戻る前に、さっさとベッドに引き上げた。
ユーリ自身に『幸運のお守り』をかけようという気分には、どうしてもなれないのだった。
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