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観光シーズンから外れているため、キルリク駅にほど近いこのホテルでは、ひとりにつき一室、部屋が割り当てられていた。
トレフル・ブランがシャワールームから出てくると、ユーリが椅子に腰かけて待っていた。
嫌な予感がしたので見なかったことにしたいが、簡素なベッドがひとつ、テーブルと椅子が一脚ずつおかれているだけのこの狭い部屋で、訪問者を完全にスルーすることは難しいだろう。
というか、何故いるのだろう。確かに鍵はかけていなかったが、ふつうは一声かけるものではないだろうか。
「トレフル・ブラン! これ、飲んでみてくれ!」
と差し出されたのは、ガラスケースに入った黄色い粉末。それが何なのかは、尋ねるまでもなく理解できる。
「つまり、嘔吐薬が完成したんだね?」
「そうだ! ちゃんと出来ているか、飲んで欲しいんだ!」
「いや、なんでそんなもの飲まなきゃなんないの。飲むわけないでしょ」
正しく作られた嘔吐薬ならば、約十分間の間、胃の中のものを吐き出し続けなくてはならない。
トレフル・ブランは、ユーリからガラスケースを受け取ると、その黄色い粉末を分析魔法にかけた。これは魔の審美眼とは異なり、魔法の術式ではなく、物質の素材・組成を調べる魔法である。
トレフル・ブランの見たところ、原材料は過不足なく揃っており、製法も誤ってはいないようだ。
「まぁたぶん大丈夫だと思うけど。どうしても効果が気になるなら、教官のコーヒーにでもこっそり混ぜてみたら?」
ユーリはひきつった笑みを浮かべた。
「……さすがに冗談だよな?」
「まぁね。でも、俺より詳しく分析できると思うから、見てもらうのはアリだと思う」
「分かった、そうする!」
ユーリの黒い瞳がらんらんと輝き、「ありがとう、トレフル・ブラン!」と両手を握って揺さぶられた。
(眠気が吹き飛んで、いいか)
と、トレフル・ブランはあえて肯定的に捉えることにし、ユーリの背中を押して、ドアの外へ追いやった。
結局この日も襲撃はなく、それどころかそれから三日間、どの町も襲われることはなかった。
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