52人が本棚に入れています
本棚に追加
episode 3. 雪の大国、パゴニア王国へ
一般人が指すところの「移動用の魔法陣」というものは、大きく分けて2種類ある。物質(非生命体)を移動させるための転送用魔法陣と、人間などの生命体を移動させるための移動用魔法陣である。ソーカル・ディーブリッジ率いる一行は、むろん後者を使ってパゴニア王国に降り立った。
「さ、寒い! 寒い、寒い……」
重い雲が垂れ込める灰色の町の中、とことん暑苦しい性格だが寒さは苦手なユーリが、大きな体を縮こませて繰り返す。キーチェも同様に寒いらしく「よしなさいよ。余計寒くなるでしょ!」と叱りつけていた。ユーリが意図しない限り寒いと呟いたぐらいで気温が下がるはずはないが(加えて、広範囲に影響を及ぼす魔法はかなり高度な術式が必要)、まぁ聞いていて暖まるものでもないし、黙ってもらうのが賢明だろう。
トレフル・ブランは無言だった。吐き出した吐息が、白いきらめきとなって吹き散らされていく。喋ると肺の中に冷気が入り込むため、余計な会話で体力を消耗するつもりはない。
ソーカルは、本格的な準備はこちらへ来てからと言っていたが、やはり事前に眷属狩りを行い、純白の毛皮を手に入れていたのは賢明な判断だったと自画自賛する。
眷属というのは魔王の魔力によってこの世に顕現した存在であり、生命体ではないため解体の処理も必要なく、知識さえあれば適切な魔法で素材に分解することはそう難しいことではなかった。そしてその知識を蓄えている専門家が「魔法騎士」、白き闇を祓うことを生業とする魔導士である。トレフル・ブランたち三人はその見習いとして、各地を転々としながら経験を積んでいるのだった。
「ちょっと、お前ら。なんでお前らだけいい毛皮着てんだよ!」
ローブの下に着こんだ毛皮を見つけたらしいソーカルが眉をいからせている。
「パゴニア王国は雪国だから、白い野犬から素材をとるのがちょうどいいって……」
舌の根があわないのか若干ろれつのあやしいユーリが答え、ふたりがトレフル・ブランを見た。
「もうすぐ、冬だし」
トレフル・ブランの最小限の言葉に、「そりゃな。旅先のことを自力で調べて対策すんのも、魔法騎士としての修行の一環だから、そこは評価するけどよ」そう言いながら、ソーカルは力を込めてトレフル・ブランの両肩に自分の両手を食い込ませた。
「先生の分も準備してやろうって優しさがねぇのか、お前には」
「先生なら、準備できてて当たり前じゃないんですか?」
「……」
なお、トレフル・ブランの発言にそれほどの悪意はない。
ソーカル・ディーブリッジと言えば、見た目はものぐさな中年男だが、白き闇祓い魔法の使い手としてはけっこうな有名人だ。魔導士協会から、複数の勲章を授与されるほどの。
旅から旅へ、各地の白き闇に関するトラブルを解決してきた彼は、トレフル・ブランたちよりよほど多彩な旅の心得を持っているはずである。
なお、トレフル・ブランにこの手の心得があるのは、先生に引っ張りまわされて世界を旅した経験があるからだ。観光名所を外れた辺鄙な土地ばかりだったので、旅というより、トレフル・ブランが驚くのを見て楽しむ、という余興感覚だったのかもしれないが。
それはともかく、「俺だけ仲間外れにされたようで、気に食わん」というソーカルの主張も分からないではなかったので、
「あとでいい道具貸してあげますから。まぁそれで勘弁してください」
と、トレフル・ブランにしては比較的素直に融和を求めた。
もちろん、ソーカルも本気で腹を立てていたわけではないので、「ま、お前さんがそう言うからには、期待してるぜ」と、軽く肩を叩いてトレフル・ブランの傍を離れていった。
代わりに、やってきたのはユーリである。自慢の赤髪に白いものを積もらせた彼は、無言でぎゅっとトレフル・ブランを抱きしめた。
「まぁ!」
キーチェが驚きとわくわくの入り混じった声をあげて、興味津々観察してくるのが腹立たしい。
「……ユーリ。これはなんなの?」
「君で、暖を、とりたい」
それ以上話す気力がないらしい。本当に寒さが苦手なようだ。
「分かったよ。あとで、外套の下に暖気を巡らせる魔法かけてあげるから、離れてくれないか」
ため息まじりのトレフル・ブランの言葉に、ユーリが食いついた。
「今すぐ! 今すぐその魔法をかけてくれ!!」
「今すぐ? じゃ、今すぐ外套脱いで」
「……あとで、いいよ……」
おー便利な魔法知ってんなぁと、のんきに高みの見物を決め込んでいるソーカルも腹立たしい。あちらにも等しく災厄が降り注ぐべきである。
「ユーリ、キーチェで暖を取ったらどうかな?」
「いや、女の子にそれは、ちょっと……」
想定内のリアクションである。
「じゃ、教官で暖を取ったら? 女の子じゃないんだから、なんの問題もないでしょ?」
対岸の火事を決め込んでいたソーカルは、うっかり煙草を取り落としかけた。
「おい、お前、教官をなんだと思ってんだ!?」
「教官は、俺たちの面倒見るのが仕事でしょ。ユーリ、ゴー!」
犬にでも号令するように、トレフル・ブランはけしかけた。
寒さのため、少し思考が低下していたユーリは「教官……筋肉質、暖かい」と呟いている。ソーカルは慌てて、ユーリから距離を取った。
結局、わずかな時間でも湯たんぽを手放すのがイヤだったらしく自分から離れようとしないユーリをべったりと背中に張り付けたまま、トレフル・ブランは別のことを考えることにした。現実逃避とも言う。
最初のコメントを投稿しよう!