壱―出会いと王墓

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 どすどすと音が聞こえそうな大股で、央晧は寝台に一直線で向かう。  博麗はいつも通り一礼していたが、寝台に腰を下ろしていた楊武は、目の前へ迫る央晧に反応が出来ず茫然と座ったままであった。 「お前を助けたのはお前のためではない。師父(せんせい)のためだ」  央晧は楊武の顔を覗き込んで目を丸くした。 「驚いた。お前、ちゃんとすればそれなりの人間に見えるではないか」  寝台に乗り上げると、博麗が結い上げた髪に触れて感嘆する。 「腐っても名家の子か。……いや、すまぬ。話がずれた」  楊武の隣に座った央晧は、先ほどまでの憤慨もなく冷静に話を続けた。 「師父(せんせい)は余にとっても勉学の師でな。あの日も屋敷が燃えていると聞いて真っ先に宮城を抜け出したのだが……間に合わなかった」  頭一つほど背の低い少年の、遠くを見つめる横顔が次第に俯く。後悔がにじみ出る儚い姿に、楊武は言葉を発せなかった。 「師父(せんせい)の顔は、親よりも見ていた」 「……」  寝台の傍で控えていた博文と博麗の視線も下がる。  楊武も瞬きの向こうに、師父と兄弟子たちと過ごした三年という月日が映った。 「東宮様」 「なんだ?」  聞くなら今しかないと、意を決した楊武が尋ねる。  少年とは思えない憂いの含まれた流し目が楊武を射抜く。 「東宮様は先日、師父の屋敷を襲った犯人に心当たりがあると申されました」 「……ああ」 「偶然ですが、拙にも心当たりのある人物が一人居ります」 「それは奇遇だな」  改めて姿勢を正し、央晧を真摯に見る楊武に対して、目を細めて央晧は鼻で笑う。  まるであざ笑っているようであったが、楊武ではなく、垣間見えた犯人へと向けられていた。 「お前の想像通り、十中八九、(おう)氏の仕業であろうな」  人払いのされた宮城の一角に、緊張が走った。  王氏。祭祀や教育を司る礼部(れいぶ)の長で、官職名である王尚書(しょうしょ)や、王長官、王氏と呼ばれていることが多い。  代々礼部の重役に着任している一族の嫡子で、本人の能力も相まって、王一族で初めて長官に就任した実力者である。  また、王氏は皇太子府において、第二席となる太子少傅(たいししょうふ)と呼ばれる地位も兼任している。  皇太子府の上席は名誉職にあたるため、実務はないが、孫師父亡き今、皇太子府の責任者とも呼べる人物だ。  冠に収められた白髪に、整えられた顎髭。まさに貫禄という言葉がふさわしい。  王氏を先頭に、数百人の部下が颯爽と歩く姿は礼部の名物となっていた。  彼はまごうことなく、この嘉国を実際に動かす官人の一人である。  央晧の様子に、楊武は確信を得て返答した。 「王長官が師父にあたりが強くなったのは国史編纂を任じられてからと聞いています」  嘉国で王氏に意見の言える人物はそう多くない。それこそ皇帝や皇族、他の長官ぐらいだろう。  その王氏が孫師父に対抗心を抱き始めたのが、国史編纂の勅命であった。  祭祀や歴代皇帝の陵墓の管理を中心に、教育にも範囲の及ぶ礼部の長官にとって、孫師父という後ろ盾も実歴もほぼ無い、名ばかりの地位で成り上がった男が、皇帝の権威を後世に残す偉業を命じられたのが気に食わなかったと思われる。 「私もそのような噂を聞いたことがあります」  央晧の側近である鄭 博文も楊武に同意する。  博文は皇太子府における事実上の采配者であり、次期皇帝の側近として宮中の些細な動きにも敏感であった。宮城で働く文官や武官、宮女や宦官にいたるまで協力者を用いて情報を収集している。  特に文官同士や武官同士のいざこざはよく耳にしていた。 「皇太子府の長官にも選ばれず、歴史の編纂も勉学や国の司祭に関わる礼部には全く声がかからず……。不満がたまっていたのだろうな」 「すでに国史編纂の後継は王氏が有力と言われております」 「……奴の狙い通りと言うわけか」  央晧は博文からの情報を聞き、眉間に皺を寄せる。  楊武も師父が兄弟子たちと共に、一から調査を行い、少しずつ形になってきた成果を他人――しかも仇敵に横取りされるかもしれない事実に愕然とした。 「そんな形のないものの為に、優れた人材を根絶やしにするなど、国の不益極まりないがな」  顔を楊武へと向きなおし、央晧は提案した。 「そこでだ。お前、王氏を失脚させろ」 「え……!?」 「師父(せんせい)と兄弟子たちの仇、取りたくないかと言っただろう?」  すぐ隣に座る央晧が勢いよく人差し指を向けると、楊武もその分だけ体をのけ反らせた。 「で、お前が国史編纂の後釜に入れ」 「い、いや、さすがに無名の拙では、礼部の長官を失脚させるなど現実的に不可能では!?」  慌てふためく楊武に、人相の悪い笑みを浮かべて央晧は詰め寄った。 「だから、まずお前は功績をあげろ」 「こ、こうせき、ですか?」 「そうだな……まずは名と姿をどうにかせねば」  話についていけない楊武の姿を、足の合間に入り込んだ央晧が満足げに見上げる。 「前に言っただろう、余の師父(しふ)になれと」  寝台から離れたところで見守る鄭姉弟は、央晧の玩具となりつつある楊武に心の中で同情した。
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