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昼間の出来事を思い出し、楊武は大きくため息をついた。
ため息と共に揺れた髪は、肩につくかつかないかの長さで整えられていた。
「楊武様」
ぼんやりと窓の外を眺めていると、鄭 博麗が夕餉を運んできた。
「やはり、気になりますか?」
無意識に触っていた髪を指摘され、気まずさから視線を泳がせ、やんわりと手を下ろした。
その姿を見て、博麗は伏し目がちに言う。
「太子は……その……幼い頃より、気兼ねなく話ができるご友人が居られませんでした。ですので、あのような言い方に……」
「いえ。太子のおっしゃる通りでした。あの方はお若くてもとてもご聡明です。踏ん切りがつかなかったのは、拙の方です」
膳を受け取り、湯気の立つ粥を匙で掬う。
二、三度、息を吹きかけてから楊武は言葉を続けた。
「太子に助けられなければ死んでいた身で、たかが髪ぐらい、何を躊躇う必要があったのでしょうか」
自嘲した楊武は、続けて言う。
「王氏の失脚云々に関してはなんとも言えませんが……。国史編纂は、できたらやりたいですね」
意思のこもった目が天を仰いだ。
迷いのない真っ直ぐなまなざしが、今はまだ見えない道を見据えていた。
「今日もおいしいです」
数拍の間をおいて、下がりきった目尻の楊武が博麗を見る。柔らかな笑みで謝礼を述べ、一口、また一口と匙を進める。
楊武は、間違いなく生かされていた。
博麗は楊武の食べている姿を横目に、今日一日を思い返していた。
慕っていた孫師父のたった一人の弟子とあってか、央晧は随分と楊武に心を許しているように思える。
幼いながら皇太子と言う立場上、央晧は生まれてからずっと策謀の渦中に居た。
周りに配慮ができる賢明さを持ち合わせているため、子供らしさに欠ける部分も多い。
そんな央晧が自分と弟以外の存在に、猫を被ることもなく「素の央晧」で楊武と話していたのは、少しばかり、いやかなり嬉しかった。
この数日、博麗自身も楊武と日中を共にしているが、孫師父の弟子とあって利口者で、現状をどこまで理解しているかわからないが、空気は読めると察した。
胸中に思うことはあれど、自身の立場も理解している彼のことだ。央晧に不利益をもたらすことはないだろう。博麗は、楊武をそう評価していた。
色々と――特に央晧の行動が――無茶苦茶ではあったが、あの二人のやり取りには肝が冷えるような駆け引きもなかった。
央晧と楊武の相性は存外悪いわけではないかもしれない。
博麗は少しばかり肩の力を抜いて、楊武の食べ終わった膳を引き上げた。
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