0人が本棚に入れています
本棚に追加
『悪いねえ、毎回毎回。ちゃんとなおすからよ、かんにんよ。…愛ちゃん、紅茶入ったよ』
横の水場にたってなんかしていると思ったら紅茶を入れてくれていたらしい武田さん。てらてらと光る、筋肉を模したプラスチックの手に握られたカップ。その中で紅茶が暖かい湯気を出している。
そんな、本当に悪かった、みたいな声で謝らないでほしい。私だって、いや、見つかったら困るけど、自由に歩かせてあげたいと思うのはやまやまなんだから。つらくなってくる。
「すみません…ありがとうございます」
一気に気が抜けちゃった。冷えた手に、体に暖かい紅茶が嬉しい。本当に嬉しい。
…本当に、この人は助けてあげたかった。
「おいしいです」
『よかった』
武田さんはそう言って笑ったんだろうけど、実際は無表情の人体模型がうんうんとうなずいただけだ。わかっていても結構不気味で怖い。
『武田さん、今度僕にもおいしい紅茶の入れ方教えてください』
『お、ええぞ。誰ぞ飲ませたい人がいるんか』
『もちろん、うちにいてほしい薬剤師ナンバー1の愛ちゃんに』
大西さんは茶化した感じで私の方を見てくる。その体はこうして一か所にとどまっているのをよく見ると向こう側が透けて見える。
「やめてください」
私はため息をつく。
「もっといい人材他にいるでしょ」
『いーや、いないね。これからのびるかもしれない上に、こうして僕らと話ができる』
「伸びるかどうかは…」
『伸びなくても、とりあえず話せればそれでよし!』
いいんかい、のびなくて。きりっとした顔で言い切る大西さんに内心突っ込みを入れる。
『てのは冗談として。きっと伸びるよ。上司のなんていった、清野さんもいってるんでしょ』
『ほんとだといいですね』
腕組みをしながら話を聞いている、半分は筋肉で半分は内臓が出ている人体模型とその横に座る人懐っこそうな笑顔を浮かべる、用務員のような恰好をした大西さん。その上に、いつの間に寄ってきたのか和美ちゃんがラッコのような恰好をして漫画を読み続けながら興味なさそうに相槌をいれる。こんなところ、他の人が見たら、さみしすぎて人体模型相手に話しながら一人でお茶を飲んでたやばい薬剤師、というレッテルを張られるのはまちがいない。
そこに車椅子にのった背中のまがったおばあちゃんがきて
『配給はまだかい?ここでくばっとるって聞いたんやけども!』
不思議そうな顔で私に聞いてくる。
『お、三木さん、おはよう。今日はあたりやな。夜じゃないのに珍しい』
大西さんが適当に机の上にあったお菓子を、配給だよと言って渡すと三木さんはありがとう、と頭を下げながら帰っていった。その後ろ姿が掃除機で吸われたようにひゅっと消える。
『また来たんだあのおかしいおばあちゃん』
『こら、和美ちゃんおかしいなんて言わないの。いつか和美ちゃんだって認知症になるかもしれないんだから』
『どうせ私は認知症になってもおかしくないくらい根が暗いですよ』
『え、そういうわけじゃないって。え、ちょっと!』
いじけたように宙を飛んで天井からいなくなった和美ちゃんを追いかけて大西さんの体も天井にうまっていく。おおい、まってよ!というやたらにでかい大西さんの声だけがまだ聞こえる。取り残された漫画がバサリと床に落ちる。…これちゃんと返しておいてくれるんでしょうね。
『愛ちゃん、今日は皆いるからいい日になりそうやねえ』
大体毎日やっているこの追いかけっこに、雰囲気的に(模型だと表情分からないし)にこにこしながらのんきに言う武田さんに
「…ほんとですね」
私は苦笑いしながらうなずくしかなかった。
ほんと、2か月前まではこんなに幽霊だらけのところで当直してお茶を飲むなんて考えもしなかった。
最初のコメントを投稿しよう!