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2か月前。1週間の夏休みから戻った私はカルテを開いて背筋を凍らせた。武田健司さんの名前が病棟のどこにもない。一般病棟から救命に映ったのかもしれない。一縷の希望のもとに名前を検索すると。
「外来—武田健司 61歳」
…外来。カルテを開くと真っ先に死亡診断書についての記載があった。そんな、という気持ちがあったが、全く予想していなかった、といえばうそになる。やっぱり、とも思った。私が夏休みに入る前から、正直危なかった。でも、40度の熱が出ても、病室に会いに行くと、
「今日はいつもよりええ気分よ、大丈夫なきがする」
なんてへらっと笑うおじいちゃんだったから、なくなるなんて現実味がなかった。亡くなったのは、昨日の明け方だったようだ。
まだ若かったのに。私のおじいちゃんでも70まで生きたのに。脳腫瘍とわかって1年たっていなかったそうなのに。
などと悶々と考えていたら、当直の4年目の先生から、この人の抗菌薬の使い方について注意された。すぐに終わる注射ではなく、長時間かける点滴だと効果が落ちることがあるらしい。
「これ、前に副担当の先生には伝えて使い方変えてもらったんだけど、また主治医の先生が処方したら戻ってて。もしこれで効果落ちてたら、このせいでって思うともやっとしていたんだけど。主治医の先生にはいってた?」
言った。いいましたよ。でも、副院長レベルの先生がこれでって言ったから、私はもう何も言えなかった。60超えた医師と2年目薬剤師の差は大きい。知識も、力も、経験も。もっと私が強く抗菌薬について、抗がん剤について医師に提案できていたら違ったんだろうか。もっと生きてほしかった。生きさせてあげたかった。だってこの前お孫さんも来て病室で誕生会してたじゃないか。良くなった気がするって笑ってたじゃないか。今日は腕も動くよって、軽いよって。まだ、生きたかっただろうに。
武田さんに申し訳ないと思いながら一日が過ぎた。残業も終わらせてやっと帰ろうとしたとき、ふと、病院の正面玄関に人がいることに気が付いた。こんな時間、正面玄関は締まっている。
「あの、この時間は救急の入り口じゃないと…!」
声をかけてからその顔を見て声を失った。
武田さんだった。入院してきたばかりの時の、まだ普通に歩いて元気そうにしていた時の、武田さん。
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