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序章 「邂逅の時」
オーストリア、ドナウ川が見える小さな村の墓地。そこに一人の男が現れた。
時刻は夜半を過ぎ、獣たちが目を光らせ、人々は静かに眠り、夜番につく若い衆も眠りこける時。その奇天烈なシルエットの男は現れた。
大きな嘴を生やした、その奇抜な顔が月明かりに照らされた。黒死病の流行が落ち着きを見せ始めた頃に、それを着用する医者は少なくなっていた。しかしその男は大袈裟なマスクを被って、まるで死を招く鴉を体現しているかのようだった。人相は一切わからない。ペストマスクと呼ばれる、のっぺりとした仮面に大きな嘴をつけたようなその奇妙なマスクは一際異彩を放っていて、朧気な月明かりの中で目にしたならば十中八九身の毛もよだつ思いをし、ある人は腰を抜かし、またある人は泡を吹いて倒れることだろう。
それほど、彼の姿は異形じみていた。
「アイテールの反応はわずかだ。けれど確かにここが発生源に間違いない」
男は墓場の隅の方で方位磁石のような道具を確認し、そう呟いた。
「まったく、なんで僕がこんな時間にこそこそ隠れてなきゃならないんだ。別に墓を荒らしに来たわけじゃないのに」
恐ろしい装いに反してその男の声は調子が軽かった。
墓は新しい石彫りのものから木を刺しただけの簡易な墓まであり、時代を超えてこの村が続いていることを示していた。
男は背負っていたショベルを構えると、徐に足元を掘り出し始めた。彼の言うとおり、そこには確かに墓は無かったが、どうみてもその姿は夜の帳にまぎれて墓泥棒をしている姿にしか見えない。
遠吠えが微かに聞こえ、月は天を過ぎ傾き始めている。周囲には男が土を掘り返すのと、夜鳩が時折唄うのが聞こえるだけだ。
「はぁっ、はぁっ」
上着を脱いで作業を進める男の息は荒い。彼が墓地の隅を掘り返して随分時間が経った。男の回りには土が散乱し、穴は男の身長ほどになっても、彼は作業をやめなかった。
その姿は立派な墓荒らしのそれだった。
「まだか、反応は……」
男が小さい悲鳴を口にしたとき、突然ポケットに入れていた方位磁石が震えはじめた。ビィーンと高い音が、何かの反応を知らせている。
「来たっ!」
男はショベルを放り投げると、手を使って慎重に掘り進めていった。
果たして、指先が柔らかいものに触れた。人の肌のそれに近い。土を掃うと顔の半分、目と鼻、頬が見えた。興奮で男の手は震えていた。
「ん……」
墓の土の下に埋まっていた顔が喉を鳴らした。そのか細い声は鈴を優しく鳴らしたような、甘美な響きがしていた。
男は慈しむようにゆっくりと掘り進め、やがてその全体を掘り起こした。
土の下で眠っていたのは、金の髪をした年端もいかない少女だった。か細い体躯は一糸まとわぬ生まれたままの姿で埋もれていた。体に付着した土を掃ってやっていると、彼女は間もなく自然に蘇生した。
「初めまして。僕はサミュエル・J・セイレム。見て通りの医者で、薬師で、錬金術師で、宗教学者で、天文学者で、魔術師。そして」
嘴が静かに上下し、マスクの向こうで赤い瞳が妖しく光った。
「君の味方だ」
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