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戦争があった。二十五年も前のことだ。
小国同士の争いから始まり、途中で隣国をいくつも巻き込み、そのうちどことどこが戦っているかも分からなくなり、最終的に大陸全土に波及して五十年近くもだらだらと続いていたこの戦争は、最後の二年で急激に進行した。事実上の技術戦争と化していた中に、人の身にて人ならざる能力を持つ規格外の兵士が投入されたのだ。
その兵士は美しい着物をまとった少女の姿をしていて、唐傘に擬装された無尽蔵の銃弾を放つ大口径の火器を操り、その機敏さと破壊的な威力をもって戦陣や要塞を単騎で突破した。銃撃や砲撃はどういうわけか唐傘によってことごとくいなされ、近づく者は全て殺された。そのほかに確かに分かっていることといえば、これと同じような戦闘能力をもつ少女が数人いるということだけだった。
間もなく戦闘の中心は拠点戦から遊撃戦へ移行した。少女を撃破するには遠距離からかつ広範への破滅的な攻撃しか有効でなかったからだ。発見し、囲い込み、爆撃の雨を降らせる。幾度となく作戦は失敗し、そのたびに国土は荒れ、人が死んだ。
やがて少女の正体が推定された。長い間ただの伝説だと思われていた魔印の技術。その中でもとりわけ幻とされていた死者を操る技によって生まれたのが、彼女たち幽屍である。特定ではなくあくまで推定なのは、この古の技術をわざわざ研究しようとする者がほぼおらず、幽屍のこともわずかな書物に辛うじて「禁術」と記されているのみだからだ。しかしこの一握りの情報をもってして、彼女たちは『幽屍部隊』と呼ばれるようになった。
どこの国に所属しているかは分からない。だがそんなことは戦場では誰も気にしなかった。どこが相手だろうと、叩かれているから叩き返す。その連鎖だけでこの戦争は成り立っていた。
やがて戦争は終わった。誰が終わりと言ったわけでもない。単純に、幽屍によって戦力が失われたため継戦不能になったのだ。長い戦争で軍国主義化していた国々はもはや国家の体をなしておらず、民は良く言えば自由に、悪く言えば無秩序に暮らすようになった。
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戦争が終わった後に生まれたユウにとって、戦争は身近な現実ではなく伝聞の歴史だ。だからこそ、そこに恐怖よりも魅力を感じることができた。禁術が事実そこに成っていて世界を破滅に導いたことから逆算すれば、魔印の技術は機械文明を超越しうる強大な力を持っているはず。その限りなく不確かだが夢のある命題に囚われて、彼は魔印に人生を捧げるに至ったのだった。
魔印が伝説、つまり創作された虚構であるとされてきたのには、その再現性の難易度が背景にある。極めて簡単な部類の、ユウの部屋を煌々と照らすあの陽の印でさえも、正しく発動するためには複雑な条件を要する。印の正確性はもちろんのこと、太陽の角度、空気の温度と湿度、明るさなど、その条件は多岐にわたる。それらを仮に全て突破したとしてもようやく得られるのが現代の電気技術で容易に再現できる部屋の照明程度の灯りなのだから、まず研究のしがいがないのだ。そうでなくとも生半可な研究では発動すら叶わず、ユウが次々と発動を成功させているのは幼さゆえの観察力と天性の才能、そして運によるところが大きい。
そもそも、どの国でも投資は常に機械技術に対してなされており、存在も有用性も疑わしい技術の研究に割く金も人も各国は持ち合わせていなかった。幽屍部隊の出どころが判明しなかったのもこれが理由だ。研究していないのだから、国家として幽屍を作り上げ他国を攻撃させることなどどの国にもできるはずがない。結局、戦中はそんなことよりも戦場での対策が優先され、戦後は国家が消滅したため魔印や幽屍が組織的に研究されることはついになかった。
そこでユウは自分で仮説を立てた。これは国家ではなく個人の仕業であると。この世界のどこかに、幽屍の禁術を成功させて無敵の少女たちを世に放った怪傑がいると。長引き過ぎた戦争に終止符を打たんとして、世界そのものにまで終止符を打ってしまった愚かな偉人がいると。考えれば考えるほど辻褄が合い、やがてそれは彼の中で確信に変わっていった。今となっては、その彼または彼女に出会い弟子にしてもらうのがユウの夢だ。
もっとも、彼の魔印研究はそれ自体が半ば自己目的化していて、『幽屍が今もこの世界のどこかで新たな破壊目標を探して彷徨っている』などといういたずらに恐怖を煽ろうとしただけの噂を信じて何年も幽屍を探していたのは、それを手がかりにかの怪傑を探し出そうと考えたのも半分はあれど、結局のところ幽屍を一目見たいという単純な願望があったからに過ぎない。
要するに、彼は馬鹿なのだ。
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