2章 旅立ち その2

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2章 旅立ち その2

 まだ朝早い時間帯ということもあり、シャルロットたちは舗装された道をスムーズに進んだ。貴族たちの住む邸宅を抜け、商人の集まる豪商住居区、市民街、そして田園風景が広がる。  しばらくすると足場の悪い山道に突入した。陽光は密生した木々に阻まれ差し込まず、湿った土には苔が生えていた。これからは小型の馬車がなんとか通れるだけの狭い道がしばらく続く。  シャルロットはマルクに言われたとおり、前の馬が通った道筋を辿って走った。初めは楽しかったシャルロットだが、前の二人が顔を寄せ合って楽しげに話しているのを見て、マルクの後ろに乗っていれば良かったか、と少し後悔していた。  楽しげに、というのは会話が聞こえないシャルロットの思い込みで、二人の会話は穏やかではなかった。 「ウォルター陛下をお薦めしたのは、シャルロット様が興味を持たれると思ったからですわ。ルゼリエール宮を出られるのなら、どこでも良かったのです」 「どういうことだ?」  二人の会話の中心は、いつもシャルロットだった。 「シャルロット様があまりにも可愛らしくて、世俗まみれの社交界から遠ざけましたら、殿方へ関心を持たなくなってしまいました。私、責任を感じておりますの」  なにをしているんだ、とマルクは肩をすくめた。 「ですが、この旅でシャルロット様には成長していただこうと思っておりますの。そのために宮殿を離れる必要があったのです」 「なぜだ?」 「新しい出会いを経て、好意の種類がたくさんあることを知っていただかないと。今のシャルロット様は、“好き”が一種類しかないようですもの」  マルクは眉間の皺を深めた。 「お前は一体、なにを言ってるんだ」  アンヌは意味深な笑みを浮かべてから、声とトーンを変えた。 「シャルロット様が無防備に身をゆだねるのは、私とマルク様にだけですわ。子犬のような瞳で請われたら、どんな願いも叶えて差し上げたくなります。ねえ、マルク様?」 「一緒にするな」  マルクは肩をすくめて正面に顔を向けた。  アンヌはシャルロットを横目で見た。得意だと豪語するだけあり、シャルロットの手綱捌きは冴えていた。 「個人的に隣国王の不自然な噂が気になっていたので、一石二鳥ですわ」 「単なる好奇心ではないか」 「マルク様は、私に感謝することになると思いますわよ」 「……」  アンヌとの要領の得ない会話に、マルクは正面を見ながら嘆息した。  森は更に深くなり、地面は湿って滑りやすくなる。温度も下がり肌寒くなってきた。 「うむ?」   シャルロットは急に体の力が抜けたように感じた。その様子にアンヌが気づいて、マルクに伝える。マルクは馬を端に寄せて止めるように、後ろの二人に合図した。 「なんじゃ、どうしたんじゃ?」 「それはこっちのセリフだ」  手綱をアンヌに預け、まだ止まり切らない馬から飛び降りたマルクは、シャルロットが馬から降りる補助をする。そのままシャルロットのグローブを取り、手を握った。 「手が冷えている。俺の腕を力いっぱい握ってみろ」  マルクはシャルロットの手を自分の手首に乗せた。シャルロットは言われるがまま強く握る。 「もっとだ」 「うむむむ……これが妾の全力じゃ!」 「かなり握力が落ちているな。少し休むか」  木々がひらけて陽の差す一角を見つけ、馬を寄せた四人は休憩を取る事にした。 「お疲れになりました?」  アンヌはシャルロットの隣に座り、乱れた髪を指で優しく梳く。 「そうでもない」  シャルロットは強がった。アンヌはその髪に口づける。 「結び直しましょう」  そんな二人を少し離れた位置で見ていたピエールは顔を赤らめて、水筒の準備をしながらマルクに話しかけた。 「僕はあのお二人を見ていると、時々いけない世界を覗いているような気がします」  ピエールの言葉を聞き流し、マルクは周囲を伺っていた。まだ山の道のりは半分以上残っている。休憩するにしても警備隊の駐在所に近い安全な場所にするつもりだったのが、あてが外れてしまった。  風が吹けば広場に生える腰ほどもある深い草木がざわめき、鳥や虫の声が聞こえてくる。 「……!」  その自然の中で、マルクは微かに人工的な音を聞いた気がした。 「静かに」  マルクは耳を澄ませ、シャルロットたちに立つようにジェスチャーで伝える。その表情は険しい。 「ピエール」  小さく鋭い声にピエールもマルクの変化を感じ取り、五感を研ぎ澄ませた。 「いますね。少なくても、六人」 「お前はアンヌを守れ」  マルクはシャルロットの腕を取って、道の中央に移動した。ピエールもアンヌを促し、アンヌを背後に隠しながら移動する。 「マルク……?」  シャルロットは両手をマルクの背につけた。 「大丈夫だ。絶対に、俺から離れるな」 「不届き者か? 妾も戦うぞ。剣術だって学んでおるし、なかなかの腕前だとマルクも言っておったじゃろ?」 「いいから、大人しくしていろ」  シャルロットとアンヌを、マルクとピエールで挟むように立つ。森のあちらこちらで、シャルロットたちにも聞こえるほど明らかに、カサカサと音が聞こえ始めた。 「アンヌ様も安心してくださいね。僕、剣の腕だけはマルク様のお墨付きなんです」 「頼りにしておりますわ」  アンヌはほぼ同じ高さにあるピエールのダークグリーンの目を見つめながら微笑んだ。 「交渉しよう、出てこい!」  広くて見渡しやすい場所に移動してから、マルクが常緑樹に光を遮られた闇の奥に声をかけると、十二人の男たちが茂みから現れた。中にはチェインメイルや冑を身に着けている者までいる。マルクが心配していたとおり、兵士崩れの山賊だった。一時的であっても訓練を受けており、戦争という実践も積んでいるので、手足れているのは間違いない。 「穏便に済ませたい。荷の中にはしばらく生活には困らないくらいの金銭が入っている。それを持って立ち去ってくれないか」  女性を守りながら十二人の武装した男達と戦うのは危険だと、マルクは判断した。  マルクの呼びかけに、縦にも横にも幅のある大男が一歩前に出た。額に傷があり深い皺の刻まれた、四十代半ばのこの男がリーダーだった。 「なんと醜い傷じゃ」  シャルロットは細い眉を顰めた。 「話の分かる兄ちゃんだな。せっかくだから、そこの馬もいただかせちゃくれないかい? なかなかいい馬じゃねえか」  傷のある男はニヤニヤと笑う。 「マルク様、あいつ、調子に乗ってますよ」  ピエールは剣に手をかけた。 「馬は困る。だがどうしてもと言うなら、山を降りた後で渡してもいい」  マルクの条件に「太っ腹」とリーダーはピューと口笛を吹いた。 「マルク様~! 僕が手塩にかけて可愛がっている馬たちを、そんなあっさり!」 「お前は黙っていろ」  思わず半泣きになるピエールを一蹴するマルク。 「物分りのいい兄ちゃんだ。そうしたらついでに、そこの可愛いお嬢ちゃんたちも置いていってくれよ。こんな上玉、見逃すわけにはいかねえからよ」  そーだそーだ、と周囲から笑い声が湧き上がる。 「下品な男どもじゃ」  シャルロットはマルクの背中から半分顔を出して眉をつり上げた。 「話にならんか」  マルクはそう吐き捨てて、シャラリと細身の剣を抜いた。  マルクには戦争経験があり、下級貴族や平民の傭兵とも戦地で交流があった。マルクのように国管轄の軍隊はさておき、戦争のために集められた兵士たちは、戦いが終息すると解散し、無職になる者も少なくなかった。生きるために仕方がなく山賊に流れる現実を知っていたことも、マルクが交渉で済ませようとした理由のひとつだった。 「早死にしたい者から来るといい」
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