プロローグ ヴァローズ帝国の美し姫

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プロローグ ヴァローズ帝国の美し姫

 広大な土地を敷地としたルゼリエール宮。高名な建築家や芸術家が十五年かけて建設したルネサンス様式の白く美しい宮殿は、大陸一の栄華を極めたヴァローズ帝国の中でも、随一の規模を誇っていた。  そして、皇室が居住するこのルゼリエール宮には、少し変わった美しい王女がいた。名はシャルロット・ド・ヴァローズ。  シャルロットは大の“美し者好き”だった。  高価なアクセサリーやドレスには興味がないが、容姿端麗な者しか傍におきたがらない。その拘りぶりは、複数いる乳母の中でも、美人の乳母の乳しか受けつけなかったという逸話があるほどだった。  何かに取り憑かれているのではないか、前世に問題があったのでは、など様々な憶測が飛んだが、原因は不明。本人にすら分らない。  シャルロットは「家庭教師が美しくない」と授業から逃亡し、「世話係が美しくない」と侍女を解雇するなど、関係者を困らせていた。  その問題の打開策となったのは、シャルロットとマルク少年との出会いだった。 ※ ※ ※  マルク・ジャック・ド・リュゼールは、帝国内の名門、リュゼール家の三男として生まれた。武人一家で、当時、皇帝近衛騎兵連隊長であった父に連れられ、マルクも六歳から訓練に参加していた。  学校で勉学に勤しみ、それ以外の時間は宮殿の敷地で訓練を受けるといった日々を送っていたある日。訓練の合間の休憩時間に、木の幹に背中を預けて木陰に座って休んでいると、幼い少女に声をかけられた。 「お主、美しいのう」 「……は?」  声の出所を探して視線を上げたマルクは、思わず息を飲んだ。    少女は磨き上げられた象牙のような肌に、こぼれそうなほど大きな青い瞳を輝かせていた。豪奢な長いブロンドの巻き毛が光の粒子を散らしながら風に広がり、甘い香りを漂わせている。まるで天使のような少女だった。  マルクが硬直したのは、その美しい容姿だけではない。胴部は精密かつ上品な金襴で、そこから立ち上がった糊のきいた高いレースの襟、そして宝石がちりばめられた豪華なドレス。その衣装から、即座に皇族だと分かったのだ。この年齢の王女なら、シャルロットしかいない。 「なんで訓練所なんかに」  戸惑ったマルクは小さく呟いた。  とにかく平伏しなければと動こうとした時、少女がマルクの足の間に入ってしゃがみ込んだ。 「額が擦り切れて、赤くなっておる」 「訓練で、怪我を」  至近距離から愛らしい少女に見つめられ、マルクは戸惑いながら答えた。 「それはいかん。妾が早く治るようにしにしてやろう」  シャルロットはマルクの頬を小さな両手で包み、傷のある額に口づけた。柔らかい感触にマルクは驚いて、固まった。 「口づけは、万能薬だと本に書いてあった。初めて使った薬じゃ。お主は特別じゃぞ」  シャルロットは、開花する花びらのように微笑んだ。  それは絵本の話なのではとマルクは思ったが、頭が正常に回らない。万能薬というより、なにかの魔法にかけられたようだ。  シャルロットはマルクの頬に触れたまま、マルクを見つめた。 「見るほどに美しいのう。瞳はトパーズのようじゃ。通った鼻筋に、形の良い唇。肌触りもよい」  シャルロットはマルク手を握って立ち上がり、にっこりと微笑んだ。 「誰か! 代表の者は誰じゃ?」  シャルロットに引っ張られ、マルクも立ち上がる。 「これはこれは、王女殿下。どうされましたかな?」  シャルロットが何度か呼びかけると、マルクの父親である、将軍のジャック・マルセル・ド・リュゼールがやってきた。 「妾は、この者が欲しい!」  シャルロットはマルクを抱きしめた。シャルロットの頭は、マルクの胸にも届かない。 「わたくしの息子のマルクと申します、王女殿下」 「マルクが欲しい!」  シャルロットはマルクの腰に回した腕に力を込めた。 「……父上」  マルクは状況についていけずに、助けを求めるように父を見上げた。  リュゼール将軍はどうしたものかと、髭を撫でて暫し考えるような仕草をする。シャルロットは既に、変わり者だと宮廷中に知れ渡っていた。 「シャルロット様ー! どちらにいらっしゃるのですかー!」  遠くから聞こえる侍女の声に反応したシャルロットは、隠れるように、声がした方向にマルクの体を向けた。しかしマルクの細い体では、ファージンゲイルによって広がったドレスは隠れようもなかった。シャルロットは語学の勉強から逃げ出したので、大人数で捜索されていたのだ。 「なっ? なっ? いいじゃろ?」  シャルロットは将軍を急かした。 「マルクは未熟な騎士見習いでございます。他に相応しい者がおりましょう」 「マルクがいいのじゃ! 妾付きの、妾だけの騎士にしたい! マルクには宮廷の官職や領地を約束する。お願いじゃ!」 「そうですなぁ……」  かくしてシャルロットは、マルクを好きな時に好きなだけ呼びつけることが出来る権利を得た。  シャルロットが五歳、マルクは十一歳。これが二人の初めての出会いだった。 マルクは当初、シャルロットに恭しく接していた。しかし、マルクの都合も省みず朝晩問わずに毎日呼び出され、マルクはシャルロットに対して、だんだん遠慮のない態度になってゆく。しかし迷惑をこうむっても、マルクがシャルロットから逃げ出せないのには訳があった。  リュゼール将軍はちゃっかり、マルクのための爵位を、皇帝であるジョアシャン三世に要求していたのだ。名門リュゼールといえども、三男になると満足のいく爵位を与えられない。マルクには名家への婿入りを検討していたが、これでその心配がなくなった。  ジョアシャンとしても、娘にお目付け役ができるのは願ってもないことだった。シャルロットの逃亡癖に頭を悩ませていたからだ。  ジョアシャンはシャルロットに交換条件を出した。 「マルクをお前だけの騎士にしてやろう。その代わり、どんな授業でも受けること。成績が悪ければ、二度とマルクに会わせんぞ」 「うむむ、了解じゃ!」  マルクに選択の余地はなく、その他の者たちの利害は完全に一致。  こうして爵位と引き換えに、マルクはシャルロットの騎士となった。   ※ ※ ※  宮廷で“シャルロット王女の三大犠牲者”と囁かれている二人目は、侍女のアンヌ・ポアソンだった。  シャルロットは侍女たちを嫌っていた。着替えも、入浴も、就寝時の読み聞かせも侍女の仕事。そのため、侍女を含めて常に行動を供にする者たちには、特に審美が厳しかった。 そもそも王宮の侍女たちは容姿端麗な貴族の息女ばかりなのだが、美に傾倒するシャルロットは、「歯並びがいまひとつ」「鼻が高すぎる」だのと不満ばかり。  あげく、 「美しくもない者に、なぜ身を任せねばならんのじゃ!」  と逃げ出す始末だった。  ほとほと困った皇后のユリアは、恥を忍んで親しい仲間たちに、特に容姿に秀でた侍女の希望者を集めてもらった。  その一人が、アンヌ・ポワソンだった。  アンヌは田舎の男爵家の娘で、豪奢なブロンドの髪と澄んだ湖のような碧眼を持ち、男性は勿論、女性も振り返るほど端正な顔立ちをしていた。  母親が連れてきた侍女候補の中から五人を選ぶように言われた時、シャルロットは表情を輝かせて、アンヌに小走りで近寄った。 「お主、美しいのう。名をなんと申す?」 「アンヌでございます、王女殿下」 「妾はアンヌに決めた。他の者は帰ってよい!」  そう言ってシャルロットはアンヌの細腰に抱きついた。  ユリアはシャルロットを窘める。 「五人選びなさい、シャルロット。一人ではあなたの身の回りの世話が充分に出来ないのです」 「嫌じゃ嫌じゃ。妾の視界にアンヌ以外の者が入るなど、嫌じゃ!」  そこまで言われては容姿に自信のある侍女候補たちも気分を害し、結局アンヌ以外の侍女候補たちは帰ってしまった。  その後、いくら補充要員を連れてきてもシャルロットが嫌がるので、アンヌは本来五人でするはずだった仕事を、全て一人でこなさなければならなくなった。  侍女が住み込みなのは当然だが、シャルロットはアンヌを気に入ったあまりに隣の部屋に住まわせて、寝る時間以外の全ての時間を拘束した。この時、シャルロットは十一歳、アンヌは十五歳だった。  ※ ※ ※  そして、犠牲者と呼ばれる最後の一人は、シャルロットの産みの親である皇后ユリアだった。  シャルロットが生まれてから数々の苦労をかけられていたが、可愛い娘であることに違いはない。  十三歳になったシャルロットのために、自由奔放ぶりを笑ってくれる程懐が深く、賢くて家柄も確かで、そして容姿も良い人物を探して縁談を進めていた。 しかしシャルロットがこの話を聞きつけ、「結婚相手は妾が決める!」と主張した。  実はユリアは十二歳の時に、このヴァローズ帝国に嫁いできた。当たり前のように政略結婚だった。来てみれば夫のジョアシャンは人格者で、子宝に恵まれて円満に過ごしているが、婚儀の過程は若いユリアにとって、未知の恐ろしい体験だった。  シャルロットは第九子、四女で末っ子。兄姉たちは関係を強固にするための政治的な結婚ばかりだったが、今となっては、どうしても繋がりたい国や組織もない。  自分の経験を踏まえて、ユリアはシャルロットを自由にさせてみようと、ジョアシャンに提案したのだ。  しかし、これがユリアの失敗だった。  ユリアが時間をかけて選んだ縁談相手を、シャルロットは当然の如く一蹴した。その噂を聞きつけて、容姿に自信ありの王侯貴族から多数の求婚が舞い込んだが、シャルロットはノーの一点張り。一年を過ぎると求婚の勢いもおさまってきたので、ユリアは国内でも大々的に相手を募集したのだが、シャルロットは誰も選ばなかった。  ユリアは、シャルロットのお気に入りである騎士のマルクを密かにあてにしていたのだが、シャルロットはある日突然、婿の条件に騎士を除外した。  理由は、 「夫が戦いで傷つくのは嫌じゃ」  というものだった。  貴族であれば容貌はそれなりの水準に達している者が多いにも関わらず、その後も難癖をつけて、シャルロットは頑として首を縦に振らなかった。   ……こうして三年近くも困難な婿選び地獄が続き、とうとうユリアは、我慢の限界に達した。  十六歳になったシャルロットに、「次の婿候補選定会で、必ず一人選ぶこと」と通告したのだった。
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