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「でも、まあ。君がそう言ってくれるのなら。これも一つのきっかけかもしれないな」
ジエルフォートの姿が、目の前からかき消えた。
「え?」
ふと横を見ると、彼は七都の横に立っていた。しかも、かなりの至近距離で。
ジエルフォートは七都にやさしく腕を回し、七都を立たせた。
ストーフィが鏡をしっかりと持ったまま、オパール色の丸い目で二人を見上げる。
「こんな感じで抱きしめればいいのか?」
ジエルフォートは、七都の頭を包み込むようにして、抱き寄せる。
「ジエルフォートさま。抱きしめる相手が違ってますけど」
「君は本当に、おもしろい子だね」
ジエルフォートが笑った。
「そんなふうに私に意見するなどと。アーデリーズくらいかな。いや、彼女でさえ、そこまで言ったりはしない。彼女は私の性格に関しては、一線を引いて、あきらめているところがあるからね。一緒にここに来た私の幼なじみは、子供の頃はよく私にくってかかったりしていたが、今はそういうことはしてくれない」
「それは、あなたが魔王さまだから……」
「そうだね……」
ジエルフォートは、七都の顔に両手を添える。そして、じっと七都を見下ろした。
瞳が大きくなっているのが、どこか不自然で無気味だった。
「君は、実に美しい。そのドレスも宝石も、とてもよく似合っているよ。やはりアーデリーズの感覚と趣味は、すばらしいね」
「ジエルフォートさまっ!」
ジエルフォートの顔が、ゆっくりと近づいてくる。
やっぱり、カツオブシか……。
もう、抵抗する気にもなれなかった。
七都は覚悟を決め、目を閉じる。
いいや。少しくらい魔王さまにエディシルを食べられても。
キディアスみたいにへろへろにされるのは、正直やなんだけど。
だが、ジエルフォートは、七都の口ではなく額に自分の唇を付けた。
彼の唇が押し付けられた七都の額には、白銀に輝く印が刻まれる。
「ジエルフォートさま?」
その時、寝室の扉が勢いよく開いた。
波打つ鮮やかな赤い髪が、扉の周囲の空間をきりりと引き締める。
アーデリーズだった。
はかり知れない存在感で、彼女はそこに立っていた。
彼女は、抱き合っているジエルフォートと七都を見て、金色の目を大きく開ける。
ストーフィが、抱えていた鏡をぽろりと落とした。
鏡は甲高い場違いな音をたてて、床の上で回転した。
鏡が静止して音が消えると、気まずい沈黙が降りて来る――。
部屋全体が――居間の空気も、調度品も、そこにあるものはすべてアーデリーズを見つめ、息をひそめていた。
まずい。
誤解される――!
何て言い訳しよう。
ええっと。落ち着け。
アーデリーズ、これは練習なの。
ジエルフォートさまが、あなたの代わりに私を抱きしめてるだけなの。
本当は、ジエルフォートさまが抱きしめたいのは、あなたなんだよ。
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