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弟子にしてくだせぇ
ーーーー世界地図を拡大して更に拡大して、まだ拡大してめっちゃ拡大して。これでもかと拡大してずっーと拡大した場所に四角い建物が集っている。大きな集合住宅のような。…違うけど。
灰色のコンクリートで作られた四角い建物には、長方形の窓が規則正しく並んでいる。
近づけば沢山の人の気配と騒音が響いてきた。
ーーキーンコーンカーンコーン…
オーソドックスなチャイムが鳴り響く。そう、ここは学校ーーー
「ふあぁぁ~あぁあ~」
間の抜けた、低めの堕落した声が、緩く開けた口から漏れる。
なで肩気味の人物が廊下で欠伸をしている。
特に特徴のない、頭のシルエットが丸い短髪。明るい茶髪に白を通り越した少し病的な肌色。その色を裏切らないひょろっとした体つき。一番の特徴は、光の入らない焦げ茶色一色の瞳。よく言う死んだ魚のようだ。
「もう昼かー」
力の全く入らない声で呟くこの男子生徒。名前を《鈴木 太郎》
「おー、きたなー」
廊下の天井をぼんやり眺めていた鈴木は、何かを察知したのか、顔を正面へ戻す。
鈴木がいる場所は東校舎の広い廊下。そのど真ん中で何かを待ち構えるようにウンコ座りしている。が、足はプルプルと震えている。自分の体重を足が上手く支えられていないようだ。
廊下の真ん中で、プルプルと震えながらウンコ座りをする通行の邪魔物は、力の無い眼で真っ直ぐ正面を見据える。
少しするとーーどどど、どどどー…
地響きのような音が聞こえてきた。それはすぐに振動と共に姿を現す。
ううおぉぉおぉおおっーーー!!!
物凄い人数の生徒が鈴木の方へ走ってきた。
「あ」
地響きで鈴木のウンコ座りが崩れた。
尻餅をついた鈴木は突進してくるように走る生徒達で姿が見えなくなる。
どどどどどどっーーーどどどーー
漸く、最後尾の生徒が廊下を過ぎ去った。
鈴木は尻餅と手をついた体制で、最後尾の、もう見えない背中を見詰めていた。
「ふっ」
やれやれといった風に目を閉じ、少し口角を上げた。
尻餅ついた体制で作る顔ではない。
鈴木が手を前について腰を上げようとした、その時ーー
「うおぉぉおぉぉおっーーー!!!」
廊下の向こうから雄叫びのような声と共にさっきの集団に遅れたらしいリーゼント頭の男子生徒が猛スピードで走ってきた。
「じゃまじゃーっっ!、退きやがれ、くそったれぇぇーー!!」
少しガラッとした大声が、廊下のど真ん中で尻餅つく鈴木に向けられる。
「尻はついてるけど糞は漏らしてないっす」
「うるせぇぇぇっっええ」
待ってたぜこの時をーー。
発した言葉も心の言葉も、感情が籠っていない鈴木は、前についた両手の肘を曲げ、向かってくる人物に頭を垂れた。
「弟子にしてくだせぇ」
これまた感情が籠ってない声。
「人に頼むときは土下座が基本だバカヤローー!!」
相手は鈴木に構うこと無く、スピードを緩めず横切ろうとした。
「ちゃんとしてるじゃないですか、土下座」
「どこがだ、生まれたての小鹿じゃねーかっ!」
相手の言うとおり、鈴木の中では土下座の形になっているらしいが、旗から見れば只の四つん這いであった。
向かい風でリーゼントが反るのもお構いなしに、スピードを落とすこと無く会話を切り、男子生徒は過ぎ去っていった。
取り残された鈴木は…いない。
「ううおぉおぉっっ?おおっ?!」
「弟子にしてくだせぇ」
「いつの間にっ、放しやがれっ、クソッタレ!」
鈴木はリーゼント頭の生徒の腰にしがみついていた。スピードに身を任せ足が棚引く。
「弟子にしてくれるまで放しません。あ、トイレ行くときはちょっと、風呂も。自分、部屋に人入れるの嫌なんで外で待っててもらう形で」
「知らねーよっなんでオレがオメーのツゴーに合わせなきゃなんねーんだよっ!!」
会話中もスピードは一切緩まない。
そんな中でもリーゼントが割れないのが不思議である。
「そんなに急いでどこ行くんすか?」
「はっ、そーだ!俺はオメーに構ってる暇はねぇ!!購買のパンが俺を呼んでんだ!!」
「そりゃ、急がなきゃですね」
「おーよっ!全速力だぜーーーー!!」
ふっ、計算通りだ。
胸の内で不適に笑む鈴木を無視して更にスピードを上げる。
「うおおおっっーーーおお!!!」
血眼になりながら腕を直角に曲げて振り、足を腰まで上げて走った。
キキッッーキーーッきゅっぎゅっ。
全速力のスピードを全身でひねり殺す。靴と廊下の擦れる音が鳴り終わる前に男子生徒は血眼で購買のおばちゃんに詰め寄った。
「おばちゃん、パンはっ!!」
今にもおばちゃんに掴みかかろうという感じだがおばちゃんは動じない。
「売り切れだよ、残念だったね」
「何か残ってねーのか、おばちゃんっ」
男子生徒が本当におばちゃんの襟を掴もうと手を伸ばそうとしたーー
ごんっっっーー
「っっ!、」
鈍くて重い音が鈴木の頭に落ちてきた。リーゼント生徒には鉄拳が落ちてきた。
「悔しかったら一昨日来な」
おばちゃんはドスの効いた中年女性独特の低い声音で親指を下に向けた。
「く、くそっ」
止まることのなかった男子生徒がここでやっと、廊下に膝をついた。
「このばばあ、只者じゃねぇ…」
腰に引っ付いてる鈴木が聞こえないように呟いた。
ごんっっっーー
つもりだった。
鈍くて重い音と鉄拳が鈴木を襲う。
「おばちゃんって呼びな!」
「すみませんでした」
鈴木なりの土下座(見た目は四つん這い)で直ぐ様謝る。
「ふん、素直じゃないかい」
おばちゃんが鼻を鳴らす。
「長いものには巻かれるタイプなんで」
「またリベンジしな」
購買のおばちゃんはその言葉を最後に、空になったパン箱を片付けるため、その場を後にした。
「オメーのせーでパンくえなかったじゃねぇか、ああっあん?!!」
その場に取り残された鈴木とリーゼント頭の男子生徒、名前を《佐藤 勉》。
黒の長ランにボンタン、とんがり靴。光沢のあるリーゼントは全速力で反っていたにも拘わらず、バッチリきまっている。どこからどう見てもいわゆるヤンキーだ。
「弟子にしてくだせぇ」
「オメー、さっきからそれしか言わねぇなっ、てかっいい加減放しやがれっっ」
ずっと腰にしがみついている鈴木は
「手が限界です、いい加減離れてください」
辟易したように佐藤を見上げる。
ぶぢっっ!
佐藤の額の血管が音を立てた。
血眼のまま、鈴木の頭を鷲掴む。
「俺が手を出さないからって好き放題しやがって。てめぇのせいで昼飯抜きなんだよ、どう落とし前つけてくれんだよっっあぁあ?」
おどろおどろしい声で鈴木を追い込む。だが、鈴木はけろっとした顔だ。
「安心してください、パンは自分が用意します」
「ああ?」
「パンを用意できたら弟子にしてくだせぇ」
血眼の目で佐藤は鈴木を睨み付ける。
「おもしれぇ、十分だけ待ってやる」
「いぇっさー」
これまた感情の籠らない声で敬礼をし、鈴木はふらふらと小走りに消えていった。
「ふっ、用意できなかったらけちょんけちょんの消しくずにしてやる」
佐藤の右拳が左手の平をパンっと叩いた。
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