厨二病だと思っていた彼女が、本当に異世界へと旅立ってしまって!?

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「私、お姫様なの」  神屋(かみや)愛は、軽い口調で俺に言った。視聴覚研究部という部活動が終わろうとしている時間、教室兼部室の窓際に座っていた俺のことを、愛は口調と違って、睨むように見つめてくる。 「うん、知ってる」  お姫様宣言を何回聞かされたことだろうか。俺はハイハイと聞き流す。すると、その回答が気に食わないと言わんばかりに愛は繰り返そうとする。けれども、その話に付き合う気にはなれなかった。先日の模試の結果が酷くて気分が悪かったのだ。  窓に視線を移すと、外は暗くなっていて景色は見えない。蛍光灯で反射した部室、愛のおでこだけが妙にくっきりと見えた。  幼馴染の彼女は、お姫様というほど容姿端麗ではない。左側三十度くらいから見ると、可愛いなとハッとすることもある。そんな程度で、びっくりするほど普通だ。成績も悪くはない。どちらかと言えば良い方であるが、飛び抜けて良いってわけではない。スポーツも運動音痴ってほど酷くはないが、運動部に勝てるほどの能力があるわけでもない。全てにおいて平均以上なのは凄いかもしれないが、特別ではない。 「真剣に聞いて欲しいんだけど」 「うん、もう十年ほどたっぷりと聞いている。神屋が異世界の王族で、魔族に襲われた時に命からがらこっちの世界に逃げてきた。って話は」 「なら、話は早い。それでね……」  彼女が何か言いかけようとしたその瞬間、校内放送が流れ出す。そろそろ帰宅時間だ。 「一緒に帰ろ」  愛は、中身が空じゃないかと疑いたくなるような薄い鞄を手に取る。 「教科書は持ち帰ってんのかよ」 「いらないいらない。私、後で異世界に行くから」 「そうか、大変だな。ま、俺は今日の模試の結果を思い出すだけでいっぱいいっぱいなんだけどな」  愛の冗談のような言い方に、俺はさらっと話題を変えようとする。だが、上手くいかない。 「そんなことより、優希(ゆうき)は準備をしていないの?」 「いや、小テストの範囲の勉強はしてる。二回連続で小テスト失敗すると、宿題が増えるからさ」 「そっちじゃなくって、異世界転移の準備。どうして、剣道部入ってくれなかったのかな。王様になるんだったら剣を使える方が良いんだけど」  俺は愛の言葉を聞き流して立ち上がる。一年前、入学式の頃、愛はやたらと剣道部を勧めてきた。けど、俺は防具とか色々とお金がかかるって理由で断った。お金とかだすとも言われたが、流石にそれは受けるわけにはいかなかった。 「俺は王様ってガラじゃないけどな」  別に、謙遜するってわけではない。俺はリーダータイプではない。どちらかと言えば、参謀タイプ。もっと言うならば傍観者タイプ。歴史上の登場人物になるより、歴史を綴る方になりたい。本を読みながら歴史を書いていくことが出来たら良いな。などと漠然と考えている。 「そんなことないッ!」  愛は強く否定する。この話になるといっつも揉めるんだ。 「優希には力がある。それこそ、誰もが持っていないような力が。確かに、この世界を真剣に探せば、同じくらいの能力を持った人間は十人くらいいるかもしれない。でも、私は優希じゃなきゃ嫌なの」 「どうして?」 「だって、良く知っているから」 「それだけ?」 「そう。それで十分じゃない? 私達、もう、十年も一緒にいるのよ?」 「なんだよそれ。まるで夫婦みたいだなその表現」  俺が茶化して返すと、愛は怒るかと思いきや、少しだけ俯く。 「結婚式は、教会式が良いと思わない?」 「いやいや、何の話だよ」 「教会式にするか、神前式にするかって話」 「いやいやいやいや、突拍子すぎるだろ」 「そっかなぁ」  最後まで残っていた俺たちは電気を消してから教室を出る。廊下は、冷気の魔法でもかかっているかのように寒い。とは言え体が震えることはない。冷たさが理解できるだけ。少し暖かく感じるのは、愛が体を寄せてきたからだろうか。 「あっちの世界も寒いみたい」 「冬なのか?」  俺は愛に話を合わせる。愛は昔っからこの手の話を良くした。まるで見てきたかのように異世界の話をするのだ。異世界の生き物や魔法や生活様式や様々なことを事細かに説明をしてくれた。時々は、面倒に感じたが、大抵は話に付き合っていた。俺は口には出さなかったが、子供の頃からファンタジー世界とか大好きだったのだ。  俺は愛のことを厨二病だと思っていたけど、俺も同じくらい厨二病だった。特別な力が使えようにならないか。とか、トラックに轢かれて転生できるんじゃないか。とか、神様が現れたなら、タイムリーパーの能力を手に入れたいとか、常日頃からシミュレーションを行っていたんだ。愛にすら言わなかったけどさ。 「雪が降ると、魔王軍の動きが鈍くなるのよね。多くの魔物は冷気に対して耐性がないから」 「その代わりに炎系の魔法は効果がイマイチなんだろ?」 「まぁね、元々灼熱世界である地獄の住人だからね。魔物たち」 「炎系の魔法を撃たれると厄介だよな。多分」 「大丈夫だよ。優希は耐性があるから」 「この間、食べた缶詰めで耐性を得たんだっけ?」 「そう。熱さを感じなくなったでしょ」  うんうん。と頷く。愛は時々、缶詰めを持ってきて俺と一緒に食べる。味は微妙なものから、かなり美味なものまで。拒否しても良いのだが、食べないと死んじゃうから。とか言われると断りづらい。 俺だけ食べさせられるのならば、全力で逃げるところ。だが、愛も一緒に食べる。だから毒が入っているわけでもないから一緒に付き合うことにしている。ただ、食べ終わった後が困る。一緒に耐性チェックの時間があるからだ。一番、命の危険を感じたのは、衝撃の耐性の確認のときだ。金属バットで殴られそうになった。それ、下手をすれば死ぬからな。 「優希は、私と一緒に行ってくれるよね」  ホームに並んで立っていると、愛が訊ねてくる。 「異世界?」 「そう」 「行ってみたいね」  ファンタジー世界を見てみたい。って気持ちはずっとある。この疲れ切った現代に無い開放感がある。そんな世界で思いっきり剣を振り回したり魔法を解き放ってみたい。もし、行けるのなら、ね。 「今日でも良い?」 「何が?」 「異世界への転移」 「ぇえっ?」  愛は真剣な表情で線路を見下ろしている。白線の内側に立って入るが、今すぐにでも飛び降りそうな悲壮感が伝わってくる。 「流石に、もう少し前から言っておけば良かったかな」 「何の話だよ。異世界転移とかって、創作の話じゃんか」  俺が言うと、愛はキッと睨みつけてくる。 「優希は信じてなかったの? 私のこと」 「いや、信じるとか信じないの話じゃない。常識的に考えて異世界は無いし、竹取物語のように月に旅立つことだって出来ない。確かに、俺たちの心のなかには無限の広がりがあって、その中では自由なルールで生きることは出来る。でも、現実はもっと詰まらなくて、勉強をしなきゃいけなくて、大人にならなきゃいけなくて、仕事をして生活をしなきゃいけない。当たり前だろ」  愛は鞄を肩にかけたまま俺の胸元を両手で掴む。 「あれだけ、異世界の話をしたじゃない。小学校に入る前に転移してきたって」 「でもさ、転移してきたのが小学生になる前ならば、どうしてそんなに異世界のことを見たかのように話せるんだよ。俺、自慢じゃないが、幼稚園の頃の記憶なんか殆どないぜ。幼稚園の先生がこの人だったって言われても、ああ、そうだったんだ。くらいにしか思えないし」 「信じてなかったんだ……」  愛は声を落とす。でも、異世界転移を信じろって方が無理がある。確率論的に考えてみればわかる。愛が異世界転移が出来たと言うならば、過去にもっと多くの人が異世界転移してこっちの世界にきているはずだ。であれば、記録も残っているだろうし、もっと研究がされていることだろう。オカルトとか創作の世界だけじゃなく、理論付けられているはずだ。  そもそも、魔法ってのは、理論的におかしい。進んだ科学は、魔法に類似する。という言説もあるが、そうであれば魔法は物理的に説明ができる法則であるはずだ。  テレパシーが電波を使っていると言うならば、炎の魔法は何だ。百歩譲って、ドラゴンが炎を吐くのは許そう。例えば、草食動物は草を発酵させるために反芻することが出来る。それを応用して体内にメタンガス等を溜め込み、火打ち石のような原理で火花を飛ばし燃やすことが出来る可能性はある。  けれども、魔法使いが炎の矢を飛ばすということはどういうことだ。火の玉現象のように燐とかを燃えさせるとしても、その燐は何処から現れる。炎はまだ説明できるとしても、水の魔法は? 雷の魔法は?  俺は愛への反論で頭の中が回り続ける。でも、言葉にはならない。愛の訴えかけるような視線を単純に否定することが出来なかったのだ。 「ごめん。人間って自分勝手だから見たものしか信じることが出来ないようになっているんだと思う」 「ま、それが当たり前なのかもね。だったらさ、今すぐ私と一緒に来て。そうすればわかる」 「五分で戻ってこれる? 次に来る急行を逃すと三十分待ちだから」 「何言ってるの。異世界に行ったら十年は戻ってこれないって」 「待てよ。だったら流石に唐突すぎないか? しばらく異世界に行くんだったら、両親を説得しないといけないだろうし、愛だって突然消えたらみんなが困るだろ。だから、今日は家に帰って、また、明日にでも……」 「今を逃すと次に条件が満たされるタイミングがわかんないから。行くしか無いの」 「落ち着けよ」  俺は愛の両手を掴む。ゆっくりと胸元から手を離させて、冷静さを取り戻させようとする。けれども、愛は目を潤ませながら話し出す。 「私、独りよがりだった。優希は私のことを十分に理解していると思っていた。でも、それは勘違いだった。言葉で話し合ったつもりだったけど、通じていなかった。優希にとって私の話は作り話で、話を合わせて付き合ってくれていただけだった」  愛の言葉に答えることは出来ない。どうして、ここまで厨二病をこじらせてしまったのだろうか。反論や批判ばかり思い浮かんで、上手い言葉が思いつかない。自分の中で言葉を選んでいると、愛が俺のことを軽くではあったが、突き放すかのように押した。 「最後に、一つだけ聞いても良い? 今、すぐに決断することは出来ない?」 「今日は無理だよ。もし、次の機会があれば一緒に行くから。今日は普通に帰ろうよ」  明日になれば状況が改善する。そんなつもりは無かったが、まずは今を回避することが大事だった。一晩経ったら、今日のことなんか忘れてしまうかもしれない。それに、家に帰ってから俺の両親から愛の両親に話してもらうことが出来るかもしれない。妄想をなくすことは出来ないかもしれない。しかし、何をしようとしているのかは分からないが、突拍子もない行動は抑えることが出来るかもしれない。 「それが答え?」 「兎に角、今日だけは駄目だ」 「そう、じゃあ、次に行くときは一緒に来てね。絶対」 「ああ、約束するよ」  俺は心の中で胸を撫で下ろした。この話は今日でお終い。明日になればリセット。そうなることを勝手に予想していた。だけ。そう願っていた。だけ。であって、愛は予想もしない行動をする。 「先に言ってるね」  愛はそう言うと、ホームに入ってきた電車に向かって飛び込んだ。  制止することが出来なかった。この行動を予想して然るべきだったのに、動くことが出来なかった。ただ呆然と、愛がスポイトで吸い込まれた水のように線路に消えていく様子を見ていることしか出来なかった。  次の瞬間、愛の体は巨大な鉄の塊に打ちのめされ飛散し、周囲に飛散を撒き散らし、その魂の拠り所であった血と肉を世界に挑戦するかのように爆発させ……。  無かった。電車は何事も無かったかのように停止した。俺は愛の無事を確認しようと電車に近づくが、開くドアから降りてきた乗客に押し戻され、気がつけば電車は出発していた。  おかしい。そんなはずはない。そう思いながら、彼女が電車に飛び込んだ証拠を探そうとするものの、ホームに何の痕跡もなく、かと言って線路にも死体も何も残されていない。血の跡くらいは残されているだろうと思うものの、ホームからでは流石にそこまではよく見えない。  俺は誰もいなくなるだろうホームに立っていた鉄道職員に駆け寄り、今、目の前で起こったことを話してみたが、鉄道職員はキョトンと首を傾げるだけで、面倒くさそうに何事もなかったと断言された。そのことが納得できない俺は、何度も鉄道職員に熱弁すると、後で車両を点検する時に念入りに確認するとだけ約束され、これ以上は業務妨害で逮捕すると脅され追い払われた。  全てに納得できないまま自宅に帰り、母親にそのことを話すと、逆に母親に驚かれた。 「神屋さん? そんな知り合いいないけど……」 「小学校から一緒の」 「優希のお友達なのね。母さんに今度紹介してね」  家族と食事をしながらも、俺は起こっていることを把握できなかった。携帯電話に登録されているはずの愛の番号は無かった。翌日、学校に行ってもその存在は確認できなかった。そう。痕跡が一切なくなっていた。愛がこの世界に存在していた痕跡が。  ★ ★ ★  俺はホームに立っていた。愛がホームで電車に飛び込んでから、丁度十年が経過した。俺は普通に社会人になっていた。あまり名の知られていない、それでもそれほどブラックではない会社に就職していた。高校生の時に想像していた生活であり、想像をしたこともないほど退屈で詰まらない日常を過ごしていた。  多少でも楽しいことが無いと言えば嘘になる。でも、それは、高校生の頃に想像していた楽しさなどとは全く違い性質のものだった。  俺は時々、愛のことを思い出した。断片的に浮かんでくる記憶は、俺の厨二病的な妄想が生み出した幻想だと結論づけていた。あまり幸せでもなかった学生時代に、華を添えるようなキャラクターを現実化させていたのだ。ただ、その妄想が強烈だったために、どうしても周囲の人間に対して積極的になれなかった。この人物が、俺が生み出した幻想でないとどうして言えるのか? そんな疑念が常に俺の心の片隅を占有した。 「あの時に始まり、あの時に終わったんだよ、な愛」  俺は愛が電車に飛び込んだ時のことを思い出しながら呟いた。誰に話しかけるわけでもなく、ただただ自分自身に納得させるように言葉を口にした。だけだった。 「違うよ。今から始まるんだよ」  声が聞こえた。そして、次の瞬間、横に愛が立っていた。高校生の姿ではない。異世界の服装に見を包まれた十年分成長した姿の愛だった。 「まさか……」  俺が言葉を失いながら彼女のおでこを見つめていると、愛はにっこりと笑う。 「あの時の約束、覚えている? 一緒に来てくれるって」 「ああ。覚えているさ」 「やっと、魔王を追い詰めたから、最後の勝負手伝ってくれない?」 「ああ、俺で良ければいくらでも」  俺は愛の手を握りしめて、一緒に異世界へと旅立つことにした。
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