その13

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その13

 河原で葉桜を見上げ、高校時代のことを思い出していたら、ポケットのスマホが震え始めた。デビューからお世話になってる編集さんからだった。  炎上しているのを心配して電話をくれたらしいけど、電話の向こうはケラケラと笑っている様子だった。 「なんか、ライターの方から謝罪の電話があったらしいわよ」 「別に、あの人は悪くないわよ。文面通りだもの」  編集の人はまたケラケラと笑った。 「最近のネットの奴らはねちっこいからねぇ。しばらく休んだら? 四月くらいまでは、結果待ちの賞も二つほどあるし。一個でも取れたら、生活には困らないでしょ?」 「そもそもそんな散財しませんから」  編集の人に言われ、それもいいかなぁと思った。半年ほど、休む。今は特に書きたいものがあるわけでもないので、また旅行でも行って話を作ろうかなぁ、と頭に浮かんだ。 「ねぇ。いい機会だから聞いてみたかったんだけど?」 「なんですか?」 「もしかしてさ、成田四季って人? アナタが読んでもらいたいのって」 「……どうして、そう思うんですか?」 「別に。直感」  電話から「ふー」と音がして、こっちにまで煙が届いたかと思って、スマホから顔を外してしまった。 「最初はキルゴア・トラウトでも意識してやってるのか? と思ってたけど。アナタのどの小説にも、物語に関係のないところで出てくるあの少女。なんとなく、ずっとアナタの小説を読んでたら、小説の中で生きてる様に思えるのよ」 「それで?」 「だから、もしかしてって思ったの」  電話の向こうでまた煙を吐く音がした。 「実は。あの子、私、結構好きなのよ。一度会ってみたいって思ってねぇ」 「この世にはいないですよ。小説の中にしか」 「そうよね。この仕事やってると寂しくなるわよ。友達になりたいキャラが紙の向こうにしかいないんだから」  無邪気な編集にクスッと笑った。 「じゃ、なんか思い付きでも浮かんだら、プロットか箇条書きで送って。 「はい。また、四月にでも」  電話が切れ、大きなため息が出て、夏までの疲れがドッと出て来た。「温泉行こ」とボソッと呟いていた。  プロになって数年。十年前の様な気持ちで私は小説と今も向き合えているだろうか。  すると、また電話が鳴った。橋本さんだ。 「記事みたけど、大丈夫?」  ネットニュースを見て心配で電話をしてくれた様だ。 「大丈夫だよ。あ、橋本さん、今度温泉行かない?」 「その呼び方やめてヨォ、もう」  結婚して苗字が変わったマユちゃんを、いまだに独身の私は少し恨めしさを込めて「橋本さん」と呼ぶ様になった。 「でも、読んで欲しい人って誰? 私も毎回買ってるのにぃ」 「ああ……そこまで深い意味で言ったわけじゃなくて、ボーッと外見ながら答えちゃったから」 「もしかしてさ、四季さん」 「え?」  ハッと時が止まった。 「でも、四季さんなら、この世にいない人じゃないし……」 「マユちゃん、なんで四季さんのこと知ってるの?」 「そりゃ、覚えてるよ。二年生で転校しちゃったけど、成田四季さん。大喧嘩しちゃったけど、あの文化祭の時、私、密かにグッとしちゃったもん」 「グッと?」 「立場上、私が言えない事、サクラにはっきりと言ってくれてさ。今思うと、優しかったよね、あの子。もっと一緒にいたら、仲良くなれたのかもって」  覚えてる。  記憶が戻ってる。 「ま、マユちゃん。また、かけ直す」 「え?」 「明日、あと、今度温泉行こ。みんな誘って」 「うん。わかった」  心臓の高鳴りが止まらない。    電話を切るや、私は、腰掛けていたベンチの足の部分を見てみた。真っ暗なのでもちろん、なにも見えない。  あの時みたいに、スナホでライトをつけて、撮影する。 ──全、乙木サクラに告ぐ──  頭の奥から、あの頃の思い出がおもちゃ箱の様に飛び出して来た。 ──私は意味不明なループを抜けて、今、アメリカにいる。そして、来年の三月に帰国予定である── 「ホント、ウザい」  アナタのメッセージを見た私は、すぐにまた電話をかけた。相手はまゆちゃんじゃなくて、編集さんだ。 「もしもし。やっぱ、新作書くよ」 「は? どうしたの?」 「どうもしないよ。それで来年の三月に発表できる様にする」 「は? 三月って。原稿は」 「ない」 「企画書」 「真っ白」 「プロット」 「一文字も」 「あんた、出版業界舐めてんの?」 「でも、書きたいものはもうあるから。明日の朝一までにプロット書いて送る。じゃ」  電話の向こうの反論を一切聞かずにスマホをポケットにしまい、家に戻ることにした。  ホント、ウザい。  あと半年しかないのに、最高の小説を書かないといけなくなった。あの頃より遥かに上手くなった作品で度肝を抜かしてやらないと。  帰りの自転車を漕ぎながら、例の作品の改良版のアイデアを考えながら、アナタと会える日を思い描いた。 ──未来の桜の下で、待ってます。 成田四季 ──  
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