その12

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その12

 家に帰ってから、無我夢中で机のパソコンに向かった。  春休みだから、丸々二日、執筆に使える。けど、小説の最初から最後まで修正するのに、たった二日じゃ短すぎる。  でも、やるしかない。  私とアナタ、そしてもう一人の私の物語。  関係が三すくみになると、自然と言いたい事が一つに収束して行く。頭の中で、アナタと親友だったもう一人の見えない過去がどんどん頭の中で動き始めた。  アナタと彼女が図書館で二人きりで話していた内容や、私の家に遊びに来たアナタ、アナタとお母さんのやりとり、アナタと別れる時の乙木サクラ。  小説越しに伝わってくるアナタと彼女の気持ち。  きっともう一人の乙木サクラは、満開の未来の桜を想像しながら、アナタとまた会える日を願っている。私なんか足元にも及ばないくらい小説に向き合っている子。  けど、この世界に乙木サクラは私しかいない。いつもいつも逃げる言い訳ばかりを考えている私。アナタの親友とは似ても似つかない情けない乙木サクラ。  急げ。  焦ったら駄目だけど、自分の最高スピードでタイプしないと間に合わない。  二日後。  初めてのオリジナルの小説が完成し、急いでプリントアウトして、アナタが待っている、あの場所に原稿を持って走った。  二日前と同じベンチでアナタは同じように遠くを眺めながら私を待っていた。 「できたの?」  息を切らして家からそれだけを抱えて来た原稿の束をアナタに差し出した。 「これ、読んで」  アナタは少し戸惑いながら、原稿を受け取った。原稿の分厚さを見て、努力賞で、渋々読み始めたという感じであった。  締め切りはもう過ぎていたけど、言いたいことがやっと言葉になってくれた。完成した時、すごく手応えがあった。 「……二日で、よく直したね」  けど、半分くらい読んだところで、アナタは原稿を閉じ、私に原稿を返した。 「……面白くなかった?」  ダメだったのか。と、憔悴して、疲れが体内からドッと押し寄せて来た。  しばらく、アナタは無言で、私からそっぽを向いたまま口を開いた。 「ホントウザい」  口から発した言葉とは裏腹に、怒っている様には聞こえなかった。 「つ、続き読んで! こ、ここからもっと話が動くし。家に持って帰ってもいいから!」 「ごめん。無理」 「え」 「アナタのせいだよ。もう、時間切れ」  時間切れ?  そこに近くのマンションに隠れていた暖かい日差しが私たち二人に差し込んだ。 「未来って簡単に変わるって言ったでしょ? アナタのせい。今日、こんなに暖かいのは。柄にもなく頑張ったりするからよ」  私はハッと上の桜の枝を見上げた。枝の先についてた蕾が花の形に膨らみ始めていた。 「明日の予定だったのに……もう、咲いてるんだ」  四季さんの足元が薄く消えかかっている。 「本当ウザい。途中まで読ませといて、生殺しにするとか。最悪だよ。その話の続き、私、二度と読めないのに」 「四季さん!」 「アナタがあと1日でも早く、やる気になってくれてたらなぁ。最後まで読みたかったなぁ」  遠い目をしたアナタが私の方を振り返った。  笑った。 「でも読んでたら、久しぶりにサクラに会えた気がした」  消えちゃう。やだ。だめ。 「ありがとね」  そんな言葉が聞きたいんじゃ無い。 「四季さん。まだ! 少しでも読んで!」  ページが手に張り付いてなかなか捲れない。焦ったい気持ちでなんとか目的のシーンを開いて、見せようとしたが、もうアナタの手は消え始めていた。 「読めないわよ。もう、手が消えてるんだから。今回も満開の桜は見れず終いか」 「でも、絶対、この後、絶対、面白いから!」 「やっぱ、自信あるんじゃん」  自分の姿が消えかけてるのに、アナタはクスッと笑った。 「自分に嘘ついて、夢から逃げないで」  私に微笑んだアナタだけを光が包み込んだ。 「ずっと、自分に素直なサクラでいて」  アナタはそう言って、太陽の匂いだけ残して、消えてしまった。  家に帰った私は茫然と未消化に終わった原稿を見下ろしながら、机に座った。  気付いたら日が暮れて、窓の外は夕方になっていた。春の生暖かい風が部屋に花の香りを運んで来た。  昨日まではしなかった香り。あと一日、早ければ。全部、読んでもらえたのに。  それから机に突っ伏し、一晩中、ずっと涙が止まらなかった。自分が情けなくて、悔して、机の原稿をビリビリに破り始めた。  なんでもっと早く本気で書かなかったのか? 無駄にイジイジしていた一年間が許せなくて、すべての怒りを原稿の束にぶつけていた。  あと一日でも、いや一時間でも早く書いただけで、アナタに完成した原稿を読んでもらえたのに。  もう二度とアナタに読んでもらう事はできないのに。  翌日。  そのまま寝てしまった私は、机で目を覚ました。  不思議と心がスーッと落ち着いていた。  昨日のことは夢だったんじゃ無いか? と、アナタがいなくなったベンチに向かった。桜は昨日よりも花をつけ、ピンク色の屋根が少しづつ出来上がって来ていた。  それと同時に、今まで見向きもしていなかった人々が、桜並木にちらほら顔を出していた。  だけど、アナタはいない。  ベンチの下を覗いてみると、アナタの書いた落書きも最初から無かったように、すべて消えていた。  新学期が始まると、二年生で私は橋本さんと同じクラスになった。二人とも文系の進学コースなので、三年生まで同じクラスでいられる。そこはかとなく、アナタの転校のことを同じクラスの子に聞いてみた。 「四季さん? って、サクラ、誰のこと言ってるの」 「え? 四季さんだよ。マユちゃんと同じ中学だった。成田四季さん」 「……そんな名前の同級生いなかったわよ」 「え?」  あとで中学の卒業文集を見せてもらっても、アナタの写真も名前も、すべて何処かに消えてしまっていた。  私以外の人の頭からアナタの記憶は無くなって、アナタという存在がこの世界に最初からいなかった事にされていたのだ。 「マユちゃん」 「どうしたの? 急に真面目な顔して」 「私、小説家になるよ」 「え? そりゃ、サクラの夢なんでしょ?」 「夢じゃない。絶対になるの」  その日、私は小説家になると決めた。いつかじゃない。明日でも今でも、アナタのことを私が忘れる前にならないといけない。
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