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唄う君を想って奏でる旋律
「りとさん?」
目の前で広がる光景が信じられず、思わず声に出して呟いていた。りとさんにもらったスニーカーの足元が、がらがらと崩れ落ちて行く感覚。
……やっぱり俺は嫌われてしまったんだろうか。
一
「スニーカーとか靴には『贈った相手が逃げる』っていうジンクスがあるんだって」
「そうなの?」
何も知らないケンが、プリンをつつきながら答える。秋も深まってきたある日、俺は恋人であるりとさんにもらったスニーカーを履いてケンの部屋へやってきた。
「逆にマフラーとかネックレスには『束縛』って意味があって、つき合ってすぐだと重たいプレゼントになるらしい」
「ジン、女子より詳しいじゃん」
ケンの部屋には絨毯やラグというものがない。フローリングの床に、革張りの黒いソファーと黒いクッションが置かれているだけだ。
「色々調べたんだ。付き合ってから一周年の記念だったから、気合い入れて探したんだけど……」
「女子はそういうの気にするよな」
ケンは俺と同じくらい、女運がない。俺もりとさんに出会うまでは似たようなものだったから、強くは言えないけれど。
「お互いに何か贈ろうって話になって、予算も決めてさ。それとなく、ネクタイとかマフラーみたいなものが欲しいって言ってみたりしたんだけど」
「桜井さん、そういうふわっとした言い方じゃ気づかないんじゃない?」
図星をつかれて、俺は一瞬黙り込んでしまった。確かに、りとさんは少々鈍感なところがある。
「俺のプリンは?」
「ないよ。これは俺のだし」
ケンが手にしているのは、生クリームが乗ったコンビニ限定プリンだ。甘いものに目がないケンからスイーツを奪ってはいけないということは、長い付き合いの中で三回ほど学んでいる。
「そもそも今日、桜井さんがくる日じゃないの?」
「そうなんだよ。昨日電話があって、今週は一度もこっちにこれないって言うんだ」
「ふーん」
「最近、部屋にくるのも遅い時間だし、休みの日も会えないし……なんか隠してるような」
「隠すって何を?」
その問いには答えず、俺は買ってきたビールの缶を開けた。コンポから俺たちが敬愛しているバンド・ジュラルミンのバラードが流れてきて、なんだか寂しい気持ちになった。
「桜井さんに直接聞けばいいじゃん」
ケンもビニール袋からビール缶を取り出した。
「……なんて?」
「『俺のこと嫌いになった?』とか」
「嫌われたのかな、俺。もしかして、ネックレスあげたからかな?」
信じられない、という表情を浮かべながら、ケンがビールを一口飲んだ。
「束縛って意味なのに、それを知ってて桜井さんにあげたわけ?」
「う……だって、そうでもしないとりとさん離れて行きそうで」
「でも、気づいてないんだったら意味なくない?」
鋭い指摘をするケン。俺は半ばやけになりながら、ビールを半分ほど喉に流し込む。
「浮気だったらどうする?」
一番聞きたくない言葉をケンが放った。
「それはないと思う……多分。りとさんに限って、そんな」
「じゃあ、ジンが何かして怒らせたとか。心当たりないの?」
「え?」
「プリン食べちゃったとか、大切なもの捨てちゃったとか、掃除サボったとか」
ここ数ヶ月を思い出しながら、ケンの意見をかみ砕いてみる。
「りとさんのチョコレート食べちゃったことはある。あと、スポーツ新聞捨てちゃって怒られたこともあるし……三日前に掃除機かけ忘れたけど、もしかしてそれかな?」
「そういうのが積もり積もって、怒ってるのかも」
「じゃあ、嫌われたわけじゃないじゃん」
「だといいけど」
「会ったら直接謝ろう。うん、そうしよう。とりあえず、今日は飲ムゾー!」
残りのビールを飲み干してから、二本目のタブを起こす。「それでいいのかよ、ジン」というケンの視線が、突き刺さりそうなほど痛かった。
二
次の日の朝、スズメの声がテンポのいいメロディーみたいに耳に流れてきた。どうやら、ケンの部屋のリビングで眠ってしまったようだった。
スマホの画面をタッチして時間を確認すると、五時三十分。電話とメールがあったので、開いてみる。どちらもりとさんからだった。
メールは二通きていて、
「遅くにごめんね。肉じゃが作ったから、持って行ってもいいかな?」
というものと、
「ごめん、やっぱり今日はやめておくね。おやすみ」
と書かれているものだった。一通目と二通目の間には、三時間ほどの時差がある。つまり、りとさんは俺からの返信をずっと待っていたのだろう。酔っていたとはいえ、気づかずに無視してしまったことになる。
ちゃっかりブランケットを羽織って横になっているケンを起こして、帰ることを告げた。
「桜井さんにちゃんと謝れよ」
「うん」
慌ててケンの部屋を飛び出し、りとさんの部屋に向かった。まだ寝ているだろうけれど、合い鍵があるから問題ない。すでに夜明けを迎えた空は、かなり白んでいる。
部屋につくと、静かにドアの鍵を回した。カーテンは閉まっているし、リビングに人の気配はない。りとさんは奥の寝室で眠っているのだろう。早い呼吸を整えてから、水で顔を洗った。
……全く何やってんだ、俺は。
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