唄う君を想って奏でる旋律・2

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唄う君を想って奏でる旋律・2

「仁くん?」  瞼をこすりながら、りとさんが寝室から顔を出す。 「わざわざきてくれたの? ごめんね、忙しいのにメールとか電話とかしちゃって。朝ご飯作るから、ちょっと待っててね」  りとさんは、パジャマの上に水色のカーディガンを羽織っていた。目の下にはクマがある。それが遅くまで起きていたことを証明していた。 「りとさん……どうしてネクタイくれなかったの?」 「え?」 「ストールとかネクタイとか、なんでも良かったんだ、俺」  ぽかんとした顔で、りとさんが首を傾げる。 「もしかして、一周年のプレゼントのこと?」 「うん」 「男の人は束縛されるのがイヤなんでしょ? だからスニーカーにしたんだけど……」 「りとさん、知ってたの?」 「うん、結構調べたから。ちょっと重いかなと思って」 「そりゃあ、束縛されすぎたらイヤだけど、全然されないのも寂しいっていうか……」 「そうなの?」  自分でも女々しいと思ったけれど、聞かずにはいられなかった。 「それに最近、帰り遅くない? 休みの日も会えないし」 「それは……」 「何か怒ってる?」 「え?」 「この前チョコレート食べちゃったから? それとも、新聞捨てちゃったから? 掃除サボったこととか関係ある?」  真剣に聞いてみたけれど、りとさんは何故か笑い出した。 「怒ってないよ。忙しいのは仕事が立て込んでるからだし、チョコレートも新聞のこともすっかり忘れてたし。掃除はできるほうがやればいいことじゃん」 「けど……」 「仁くんがネックレスくれたのって、『束縛』って意味があったの?」  床を見つめたまま答えないでいると、いつの間にかりとさんが目の前にいた。 「俺たち、結婚を前提につき合ってるんだよね?」 「うん」 「じゃあさ、もう少しこう、なんて言うか……」  二の句が告げずにおろおろしていると、りとさんの腕が俺を包んだ。 「ありがとう、仁くん。心配しなくても、私が好きなのは仁くんだけだから」  そんな言葉をささやかれてしまっては、負けを認めるしかない。ダサすぎる自分に腹が立つ。 「仁くん、もう少しで誕生日でしょ。十三日は金曜日なんだけど、仁くん休みじゃないよね? 次の日の土曜日にいつものパスタ屋さんを予約したから、ランチに行かない?」 「誕生日? 今日は十月の……何日だっけ?」 「やっぱり忘れてたんだ」 「りとさん、覚えててくれたの?」 「うん、もちろんだよ。一番大切な日だもん」  りとさんは基本的に、自分の誕生日は忘れてしまう人だ。俺は両腕を回して、りとさんの体を抱きしめた。 「仁くん、苦しい」 「うん……ごめん、りとさん。ありがとう」  肝心な部分を聞き忘れてしまった気がするけれど、まぁいいか。  りとさんが温めてくれた肉じゃがは、驚くほど美味しかった。   三  誕生日当日、りとさんの部屋に向かう途中でヒデから電話があった。なんでも、ジュラルミンがデビュー前に発売した幻のアルバムを入手したらしい。  ヒデは俺とケンより一つ年上で、知り合って十年ほどになる。俺がベース兼ボーカルを務めている「ブラック・ガンビット」というバンドのボーカルだ。ちなみにケンはこのバンドのドラマーである。  ヒデは何年付き合っていても未だに生態系に謎の部分が多く、掴みどころのない人だった。  CDを受け取ってヒデの部屋から出ると、りとさんからメールがきていた。 「仁くん誕生日おめでとう  ごめん、残業になっちゃった  遅くなりそうだから  今日は会えそうにないんだ  明日十一時に予約したから待ってるね」  週末だけでも一緒に暮らそうと決めてから、もう一年近くが経つ。今は平日もお互いの部屋を行き来するようになった。こんなすれ違いも時々あるけれど、何度も続いてしまうとさすがにヘコむ。  ため息を吐いて、不安な気持ちをやり過ごそうとした。  気分転換をするために、いつもは通らない道を選んだ。寂しいけれど、一人で自分の部屋に戻らなければならない。  公民館へと続く交差点にさしかかったとき、見覚えのある姿が目に入った。その女性は、背の高い外国人男性と一緒に歩いている。アメリカ出身の英語の先生がこの町に住んでいるはずだから、その人かもしれない。すごく背が高くてイケメンだった。  問題は、横で笑っている女の人がりとさんに似ているということだ。ちなみに、その先生の話をりとさんから聞いたことは一度もない。 「りとさん?」  目の前で広がる光景が信じられず、思わず声に出して呟いていた。りとさんにもらったスニーカーの足元が、がらがらと崩れ落ちて行く感覚。  ……やっぱり俺は嫌われてしまったんだろうか。  二人が向かっているのは、りとさんが予約してくれたパスタ屋の方角だった。かなり距離が離れているけれど、走れば追いつけるかもしれない。  スピードを上げて行くうちに、女性はりとさんだと確信した。同時に絶望感が漂ってくる。  もう少しで追いつけるというところで、二人が左へ折れた。そちらはパスタ屋へ続く小道だった。急いでその道へ走るが、二人の姿はない。おそらくパスタ屋の中に入ったのだろう。
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