朝顔

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 広瀬の問いかけに、正木は動じたふうもなく肩をすくめる。 「おれはそのつもりだったけど」 「さっきまで、アルバムを見ていたんだ。そこに、達彦と友人たちも写っているが、どれだけ探しても、君らしい子の姿はない。家に遊びにきていたぐらいなら、写真の一枚ぐらいあってもいいものじゃないか?」 「……子供の頃から、けっこう顔は変わったし、見逃したんじゃないかな」 「だけど、面影ぐらい残っているはずだ。それだけ印象的な顔立ちをしているんだから」  小さく声を洩らした正木は、言い逃れる理由を考えるように視線をさまよわせ、髪を掻き上げる。 「おれ、照れ屋だったから、写真を撮られるときは逃げていた、とか……?」 「答える気はないということか」  広瀬が低い声を発すると、肯定するように正木は唇の端に笑みらしきものを刻んだ。 「こうして知り合ったんだから、おれが、広瀬さんの息子と本当に友人だったかどうか、いまさら重要じゃないと思うけど」  正木の言うことには確かに一理ある。知り合ったきっかけは、庭に入り込んだ正木が息子の名を呼んだことだったが、何度も会っているうちに、それはさほど大事ではなくなった。  しかし、正木が息子の友人でないとしたら、ますます彼は謎の存在になる。広瀬に一切の事実を告げていないことになる。  それが広瀬は、自分でも不思議なぐらい許せないのだ。 「……なんの目的があって、この家にやってきた」 「目的?」 「言っておくがこの家には、財産なんて大したものはないぞ。ほとんどを、離婚の慰謝料で――」 「財産ならあるじゃん」  そう言って正木が片手を伸ばし、木立朝鮮朝顔の枝に触れる。次いで、白い花を指先で軽く揺らした。 「……刺激的な植物だ」  正木が挑発的な眼差しを向けてくる。広瀬にしてみれば、植物の毒などより、この青年のほうがよほど刺激的で、強烈だった。側にいると花の匂いに惑わされ、油断し、迂闊に触れた途端、どうなるか。 「この植物の毒ってさ、体に入ると、苦しんで暴れ回って大変らしいよ。錯乱したりさ。理性が吹っ飛んじゃうんだよ。そして正気に戻ると、記憶が飛んでることもあるって。昔は麻酔薬として使ってたって聞いたことがある」 「……そんなことは、知っている……」 「おれ、好きなんだ。こいつが。理由は聞かないでよ。ただなんとなく、引き寄せられるんだ」  正木の言葉に、広瀬のほうが意識を引き寄せられそうだった。  まとわりつく毒を振り払うように、広瀬は告げた。 「――その木は、もう処分する。もともとそのつもりだったんだが、君のせいで予定が狂っていたんだ。だが、それも今日までだ。切って、根も引き抜いて、燃やす」  このとき初めて、悠然とすらしていた正木の態度に変化が現れる。顔が強張り、心なしかいくぶん青ざめたように見えた。もしかすると、強い西日のせいで広瀬の目がおかしくなっているのかもしれないが、それでも、正木の顔から一切の表情がなくなったのは間違いない。 「……こいつらがいないと、おれはもう、ここに来ることはできないな」 「ああ。もう二度と、ここに来ないでくれ」  そう、と返事をして、正木がこちらにやってくる。灰皿に吸いかけの煙草を押し付けてサンダルを脱ぐと、何も言わないまま広瀬の横を通り過ぎた。  この瞬間、夜でもないのに木立朝鮮朝顔の強い香りがして、眩暈に襲われる。広瀬が頭を振って背後を見たとき、正木の姿はすでになかった。  唐突な喪失感を噛み締めながら、広瀬は西日を浴びている白い花に視線を向けた。
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