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「やあ、宿題はちゃんとしたかい?」
「あ、はい。あの、今、お母さんいないんだけど」
「そういえば、この時間帯はパートだったよね。近所のスーパーの」
いつも通りお邪魔させてもらうねとにこやかに笑う先生は、僕の家庭教師だ。ひきこもりになったけれど、勉強は嫌いじゃなかったし、自分でも続けようと思っていた。僕にやる気があるのを良しとした両親が、事情を話して週に2回来てもらえるようにしてくれた。本当はとても忙しい人らしい。
先生の顔を穴があくほど見てから、どうぞと先生に家の中に入るよう勧めた。先生が玄関に入る前そっとドアの外を盗み見る。夕暮れの日差しが明るく電信柱や木の影を濃く描き出している。くっきりとした長い影が先生の足元からすうっと伸びていた。先生はいつものようにお邪魔しますと言って、靴をそろえて玄関に上がる。いつもと同じように階段を上がって、僕の部屋に入った。まるでいつもと同じ先生で、僕は何も言えなかった。先生はいつもと同じように僕の机のそばに、折り畳み椅子を持ってきて並んで座ると宿題を見せるよう促す。
僕は慌てて机の上に広げていた英語のテキストを片づけて、数学の教科書を取り出した。小学校では決して習わない数Ⅲの問題だった。
真剣な顔で僕の宿題を採点していく先生の指は細くて長い。長身で色白の先生は一年浪人したらしいけれど、トップの成績を取り日本で一番の国立大学に受かった。今では海外の大学に勉強と称して行くこともあるらしい。いわゆる優秀な先生だ。その先生が採点し終わったあとを僕はほれぼれと眺める。どこをどう間違えたか一発でわかるように赤ペンで書きこまれていた。
「ここ、計算違いだね」
「そう、応用問題で引っかけ問題だ。解き方は合っているから大したものだよ」
ニコッと笑う先生の顔を僕はまじまじと見つめる。いつものやり取りが不自然なくらい続くから、僕は少し怖くなった。
「先生、どうしてここにいるの?」
思わず口からこぼれた僕の問いに、先生が笑みを深めて見返した。
「先生がここにいるのはおかしいかい?」
ごくりと生唾を飲み込む。僕の頭がおかしいのか、先生がおかしいのか、そもそも事実が違っていたのか、僕には判断のしようがなかった。
だって、先生は交通事故で死んじゃって、今日は先生のお葬式だったからだ。
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