あたしは鳩羽

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あたしは鳩羽

今日で女学校も卒業を迎えた。 あたしはあれからも友人ができることはなくずっと孤立していたがあまり苦には感じなくなっていた。 ようやく一つ解放される。 独立してこの家からも解放されたい。 独りではなく一人になりたい。 いっそ独りでも良いからとにかくあの両親から離れたい。 卒業してもう使わないのだからと教科書等を整理している時に、普段の静かで重苦しい空気の中に居た一人の口が開いた。 「お前を俺の友人の元へ嫁がせるから、ついでに荷物をまとめておけ」 耳を疑った。 聞き間違いであって欲しかった。 あと数日でようやく十八になる女を? 女子供に平気で拳を振るうような男の友人の元に? 一回りも二回りも上の男の元に? 顔どころか名前も知らない男の元に? いつどうやって独立しようかと楽しみにしながら考えていた時に、 あたしはまた縛られなきゃいけないってことかい? いつ解放されるかもわからない、もしかしたら死ぬまでずっと そんなの そんなの 「ふざけんじゃないよ!」 あんさんらが勝手に決めた相手の元へはいそうですかと素直に行く馬鹿が居るわけないだろう! 今までに無い程の抵抗の意思を見せると父親は一瞬呆気に取られたが、一気に顔が真っ赤になり怒鳴り出す。 母親はいつもの蔑む表情ではなく目を丸くして突っ立っていた。 「大黒柱が決めたことに従えないのか!」 いつも通り殴られる。 「今まで育ててやった恩を返そうとは思わないのか!」 今日は絶対に倒れてやるものか。 「お前など、うちの子じゃない!勘当だ、出ていけ!」 待ち望んでいた言葉が聞こえた。 思わず口元に笑みが現れる。 昔からずっと黙って受け続けていた拳の最後の一振りをすんででかわす。 あたしは二人をしっかり見ながらはっきりと 「上等だ、あんさんらのお人形なんざ今日限りで辞めてやる!」 捨てようと持っていた学校の裁縫袋から裁ち鋏を出して長い後ろ髪を切り落とす。 頭に着けていた髪飾りを乱暴に取る。 この似合いもしない華美な着物も脱いで投げ捨ててやりたいけれどそんな暇は無い。 あのくそ野郎がまた拳に力を込める前に家を飛び出す。 去り際に見えた母親だった女の顔が滑稽だった。 着物の走りづらさも全く気にならない。 走ると乱雑に切られた後ろ髪が揺れてうなじを擽る。 何だかとても楽しくなってきた。 自由だ、あたしは自由なんだ。 走り疲れたあたしは気付けば道行く人にある人の家を尋ねながら歩いていた。 あれからもう約十年経っていた。 あたしはあの後言霊師として生まれ変わった。 過去を捨て右目を隠す前髪。 手前になるにつれて長くなる髪。 後ろ髪の真ん中少しだけ伸ばし一つ結びをする。 くすみがかった青の着物に薄い浅縹の袴。 風呂敷に包まれた大きな薬箱を背負う。 いつものお気に入りの格好であの人の家の門をくぐり、縁側へと向かう。 「はは、今日も此処は死にかけの匂いがするねぇ。頼むからあたしより先にくたばってくれるんじゃないよ?」 こんな不謹慎な冗談を投げ掛けても十年前から変わらない微笑みが其処にあった。 同居人が睨んでくるけれど、大事な兄様の怪我を治す為に怒るのを我慢してるところがまた滑稽で笑ってしまう。 でもね、この人が居なければ今のあたしは居なかったんだよ。 これでも感謝してるんだ。 尊敬してるんだ。 死なれたら困るのさ。 「さ、薬の時間だよ、せんせ。今回も苦いから覚悟して飲みな」 あたしは鳩羽。 ただのしがない薬屋さ。
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