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涼子が就職してから一年後、卒業単位ピッタリで卒業できた僕も無事社会に放り出された。入社したての頃は激変した日常について行くのが精一杯で、周りに気を使えていなかったのかもしれない。余裕がなかった。
就職先の本社にて四ヶ月の研修を終え、配属されたのは小岩支社であった。
元々数字にはめっぽう弱いので、なぜ業界の中でも数字に細かい今の会社を選んだのか今でも分からない。多分、遠方への転勤がなくて知ってる名前だったからとな適当なものだろう。そんな理由だったので、入った頃は相当苦労した。改めて自分が数字に弱いと痛感したものだ。だって文系だし。
幸い同期には恵まれたので、毎週金曜は必ず気の会う仲間と集まって朝まで飲み明かした。
その中に「カナちゃん」という女の子がいた。パッチリと開いた大きな目で背は低く、人懐っこいウサギのような子で涼子とは正反対の容姿だ。世間一般で見れば、カナちゃんは可愛い部類だろう。
僕はその子と気が合うらしく、よく飲みに行くようになった。付き合いが長い彼氏がいること、年の離れた兄がいること、甘いお酒が苦手で日本酒を豪快に飲み、しかもとんでもなく酒に強いこと、生まれは新潟で今は妹と暮らしていること、僕と誕生日が二日しか違わないこと、色々なことを話してくれた。
そんな彼女が一度だけ大いに酔っ払った夜があった。二人で綾瀬の激安大衆酒場で飲んでいた時だ。普段は一人で喋り倒すその子がその夜はやけに静かだった。どうやら最近彼氏と喧嘩続きでうまくいってないらしい。
そうか、俺には何も出来ないが踏ん張れ、もしくは思いっきり振ってやれ。そんなようなことを言ったと思う。所詮は他人事なので言葉に責任は持てないし、愚痴はいくらでも聞いてやるが正解を示せるわけでもない。結局のところ、そういったものは自分で解決するしかない。妥協しても我慢しても、納得のいくまで考え抜いて選択をするしかない。例えそれが茨の道で、その先に激しい後悔しかなくても。
「こういう時、優しく慰めるのが男ってもんじゃないの?」
冗談めかして笑っていたが、赤い目をしていた。
君はそれを言う相手を間違えてると思う。例の彼氏に聞かせてやりたい。
「こういう時はあえて突き放した方がいいって何かの雑誌で読んだんだよ。」「何それ。どこの雑誌よ。」「いやごめん。普段雑誌とか読まないから適当に言ったわ。」話をそらせたかったので、小ボケをかましたが大スベりであった。
ここで優しくすれば、君は今だけは満たされるのかもしれない。どうしようもなく誰かに甘えたい日は確かにある。だが、この心地よくて気取らない友人との関係が壊れるのが怖かった。
社会人初めての夏、僕には手に余る状況であり会話に詰まった。
僕は今も昔も男女の友情は成立する派だ。
実際、カナちゃんは今でも仲が良い友人の一人だ。
だが、この時だけは普段とは異質な、この子の深い所に飲み込まれるような雰囲気が漂っていた。
「今日だけ付き合ってよ。ねえ、お願い。一人になると考え過ぎちゃう悪い癖が出そう」「妹は今日帰らないの?聞いて貰えばいいじゃん」「あー、あいつはだめ。今日飲み会らしいから帰ってこないかもしんないし」「それなら仕方ない。」こんなやり取りの後、彼女は小さく「怖いんだよね。別れたら今までの私が全部否定されたみたいで。一人にしないで」と何もない空間へ視線を投げたまま、彼女は残った芋焼酎をあおった。
僕も喉まで出ていた言葉を同じ焼酎で無理矢理ひっこめた。
時間は23時手前。とりあえず店を出たかった。なんだか息が詰まる空気だったことは未だに覚えている。
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