借りたままの繋がり

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借りたままの繋がり

「それじゃ、また」 振り絞った言葉を残し、僕は彼女に背を向け銀座線の改札へと重い足を向ける。何か言いかけていた気がするが、聞こえないふりをした。 本当は彼女と同じ路線でも最寄りまで帰れるのだが、これ以上一緒にいれば余計なことを言ってしまいそうだったから。そういえば、付き合いたての頃、彼女が「男らしいところが好き」と言ってくれたことがあった。僕の行動が「男らしい」かどうかは置いておいて、精一杯の「男らしい」を僕なりに演じてみせた。多分、間違ってるだろうけど。 評判のいい小説や十代から支持されている切ないラブソングの様に綺麗な終わり方にしたかったが、どうやら僕にはお別れをする才能が無いみたいだ。せめてもの強がりというやつで、未練を垂れ流す前に、君をこれからも愛してるとか言い出す前に別れてよかった。これでよかったのだ、と何度も心に言い聞かせる。息が苦しいのも、煙草の吸い過ぎだ。目が潤むのも、ただ乾燥してるからだ。 来る前から分かってたじゃないか、今夜が僕らの記念すべき日になることなんて。 一瞬振り返って彼女を探す。泣いているように見えた。「今夜で最後にしたい」なんて思い切り抱きしめて囁けば彼女はそれに応じるかもしれないし、その虚ろな優越感にくるまって全人類が死ぬまで抱き合えるかもしれない。でも、もうそれは僕の役目ではない。これまでことごとく間違えてきた男に、あの芯のある強い女性に今更何ができるというのか。全てが遅すぎた。 21時を回った上野は、月曜から赤ら顔のサラリーマンや手を繋ぐ男女が多い。その間をすり抜け先を急ぐ。 早く人混みに紛れたかった。早く彼女から見えなくなりたかった。得体の知れない化け物が後ろから追いかけて来るようで、逃げるように歩を進める。自分よりも大切な人は、僕の恋人は、たった今から「ただの友人の一人」になったのだ。せめて『友人』という立ち位置で生きながらえることが出来たらいいけど。 僕達の五年四ヶ月を一月末の風が寒空へ運ぶ。 拍子抜けするほどすんなりと座れた車内には、埃っぽい地下鉄の空気が充満していた。向かいの窓にはやっとスーツに着られなくなった社会人四年目の僕が映っている。昔はバンドでのし上がってやる、とか、有名人になってチヤホヤされたいとか思っていた時期もあったが、結局は普通に卒業して地元の専門商社に就職し、普通にサラリーマンをやっている。最も、将来の目標が決まったので今は転職活動に勤しんでいるのだが。それにしても、三年半も働けば人相は変わるものだ、とくたびれた男は窓から目をそらした。 世間一般では大人に分類される年ではあるが、僕は少しは大人になれたのだろうか。世の先達はこの全人類共通の問題をどうやって解いてきたのだろうか。『時間が解決してくれる』とはよく聞くが、今の僕にはそんなの嘘っぱちにしか思えない。そんなの、ただ思い出がすり減っていくのを待つだけじゃないか、と反抗期の子供のように唾を吐きそうだ。心に隙間は出来なかったが、代わりに苦しさを溶かした鉛のようにゆっくりと、じわりと広がる。そんな事を考えているうちに、発車のベルが鳴る。ドアが閉まる。早く帰りたい。 乗り換えの駅である浅草までの約5分、携帯をいじる気にはなれなかったが、無意識に写真のフォルダを眺めていた。二人で色々な所へ行った。一番楽なルートで高尾山に登ったり、箱根でよく分からない美術館を巡って宿の窓から夜空を眺めたり、行きつけの喫茶店で日が暮れるまで下らない話もした。 昨日のことの様には思い出せないが、僕達は確かにそこにいたのだ。僕は彼女を愛して、彼女は僕を愛していた。人の心は変わるのが常だが、僕達の過ごした日々は、それだけは変わらない事実なのだ。
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