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祖父の持っていた事実の裏側の真実は優しいものだった。僕の持っている事実が優しいものであることを祈りながら家路に着いた。
家は祖父の家に負けずとも劣らず静かだった。玄関タイルに視線を落とすが目当ての靴は帰ってきていない。ため息が漏れた。
リビングに入り、ダイニングテーブルの上に置かれた紙を見た。離婚届という文字がやけに残酷に見える。食い入るように見つめるが、見る角度を変えてみても、瞬きを何度してみても、間違いなく妻の名前は記銘されている。その紙の上には、やはり結婚指輪。位置は1ミリも動いていない。
携帯を取り出して、妻の名前を探す。
舌は乾燥しているのに、緊張が唾液と一緒に上がってきて、生唾をごくりと飲み込んだ。たかが電話を掛けるだけの事が臆病な僕にとっては崖から飛び込むような行為に思える。しかも先は真っ暗闇。命綱は祖母に貰った小さな勇気のみ。手の汗が滲みそうになって、履いていたボトムスで汗を拭って、発信ボタンを押した。
発信音が鼓膜を震わす。発信音の回数が響く数だけ、自分の心拍数の速度を刺激しているように思えた。
「はい」
妻が電話の向こうで返事をした。とりあえず電話に出てくれた事に安堵しながらなんの言葉も用意していなかった自分に気づいた。
「え、っと、あの、美由紀」
「何〜? ちょっと、死にそうな声して。オェッ、あ〜死にそうなのはこっち」
明らかに様子がおかしい妻に、大丈夫か?どうしたんだ、何があった? と質問を重ねた。
「オェッ、あ〜気持ち悪い〜、って、何があったって、手紙読んでないの?」
離婚届と結婚指輪を置いていった割にあっけらかんとしたその口調に動揺しながら、触れもできなかった離婚届と指輪に視線を移すと、ダイニングテーブルの上にテーブルと同系色の封筒が置かれている事に気が付いた。
「…封筒?」
「え、何、今気づいたの? ちゃんと見てよ〜、オェッ」
僕は携帯電話をスピーカーモードに切り替えて、机に置き、封筒を開けた。中には便箋とモノクロ写真が入っていた。
「オェッ、ちゃんと読んでよ〜、携帯にメッセージも入れてたのに。今、気づいたとか瑛太はやっぱり詰めが甘いわね」
電話の向こうの美由紀の声を聞きながら手紙に目を落とした。
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