モノクロファクト

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 僕は防湿庫の扉のツマミに手を伸ばした。  目的の一番上のカメラを、恐る恐る取り出す。色は黒で大きさは片手で持つ事ができ、両手で収まるサイズ。フィルム式のカメラだった。デジタルカメラと違って液晶画面もなく、シンプルな構造。左肩に引き出せるようなツマミ、右肩にシャッターボタンとフィルムカウンターが付いていた。背面を開けるとフィルムを入れるスペース。フィルムはセットされてはいない。  中央にはファインダー。試しに両手でカメラを持ってファインダー越しに祖父の書斎を覗く。見える世界が一瞬にして長方形に閉じ込められた。 「意外と軽いな」  小さく呟いて、一旦カメラを防湿庫の上段に戻した。  履いていたボトムスのポケットから携帯を取り出し、昭和二十八年の服装について調べた。ネットの写真では男性のファッションスタイルとして、腰回りが緩く、長さはアンクル丈。トップスはボトムスにイン。スーツのジャケットはやや大きめで肩が落ちたような着方をしている。足元は革靴。四角く角が尖った帽子を身につけている写真が多い。帽子について調べてみるとモノクロ写真の男性が身につけていたものは中折れ帽子のミルキーハットと言うもので、昭和二十六年頃から出回り始めたらしい。 「なんか、今の服装に似てるな。写真を撮る時、帽子は被らないけど」  そう呟いて何枚か写真を探したが、女性のファッションについての移り変わりの説明は多くあったものの、男性の服装は今と大差ないように見えた。 「スーツが無難…か」  形も良く似ており、準備も簡単。ふと携帯を見ていると右手首のデジタル時計が目に入った。時刻は13時26分。 「デジタル時計はこの時代にないよな?」  時計を外して、防湿庫の上に置いた。祖父の書斎から出て廊下を進み、寝室のクローゼットの中を探った。祖父に服は合うのがあれば着てもいいと言われていた。幸いな事に祖父の背格好は僕に近く、服は体に合いそうだった。スーツのジャケット、カッターシャツ、ボトムスをクローゼットから見繕い、その場で着替えた。  姿見の鏡で確認し、携帯の写真と見比べる。  遜色(そんしょく)ない格好になった。  玄関に向かい、祖父の革靴を拝借する。足のサイズは僕の方がやや大きいが、ずっと履くわけでは無い。少し窮屈でも問題はないだろう。土足で室内を歩くわけにはいかないので靴は一旦脱ぎ、手に持つ。書斎に向かった。  もう一度、自分の姿を頭からつま先までゆっくりと確認し、携帯で昭和二十八年の出来事を調べた。    様々な内容があったが、大きい出来事としてはNHKのテレビ放送が始まった事、十円硬貨が発行された事、オロナイン軟膏がヒット商品として売れた事、だった。  大きくため息をついて、携帯をボトムスの右ポケットに入れた。持っていた靴を床に置いて、足を入れる。ショルダーカバンの中に入っているビニール袋を取り出した。封筒とモノクロ写真が視界に入った。  首の横、耳の少し下あたりの血管が、どくどくどくとリズムを早めているのを感じる。梅雨明けで気温が夏に向かっているのと、スーツを着ていることで背中にじんわりと汗が湧き出た。ごくっと生唾を飲み込んで、モノクロ写真を取り出した。写真を左手で持ち、右手で防湿庫の最上段のカメラへゆっくりと、手を伸ばした。  緊張は最高潮に達していた。  臆病な自分を、行けっともう一人の自分が励ました。よっし、と気合を入れて、ぎゅっと目を瞑る。カメラを握りしめた。  次の瞬間、目を閉じていたはずなのに、見たこともないような眩い光に全身を覆われた。声が出そうになり、ぐっと耐える。室内は静かすぎる主人不在の空気から一転して、人の声が飛び交う騒がしいものへと姿を変えた。
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