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「振袖の皺が影を作るから、伸ばして」
「そう、はい、もっと、笑って、笑って、うん。そう、いいですね。もう一枚、最後に」
「はい、お疲れさまです。以上で撮影は終了致します。葉子様、お疲れ様でした」
耳に入った名前で僕は素早く目を開けた。葉子、祖母の名前だ。
目を開けると先程左手に握っていた写真のカラーの現実がそこにはあった。触れていたはずの両手には何もなく、残っていたのは汗だけだった。
タイムスリップ・・・した。
祖父の言葉を疑っていたわけではなかったが実際に自分が体験すると、聞いていたより何倍もの実感があった。急に緊張が興奮混じりになり、気分が高揚した。若かりし頃の祖母が写真の撮影を終えて、隣の男性と談笑している。僕はすかさず彼女に近づこうとした。
「すみません。あなたは誰ですか?」
すぐ後ろから右肩を掴まれ、聞き覚えのある掠れた低い声がした。すかさず振り返る。背丈は僕と変わらず、視線が重なる。見覚えのある眉間にシワ。言葉と表情で僕を訝しんでいる事が伝わった。
「ぼ、僕は……」
坂巻瑛太、と名乗ろうとしてこの場所が見覚えのある場所である事に気付く。建物の造りはだいぶ新しいが五年前に閉店した坂巻写真館の撮影スタジオだった。僕が先ほど触れていたフィルムカメラが三脚にセットされており、メインのカメラは黒い長方形の箱にカメラレンズが上下に二つついていた。僕が思うカメラとはかけ離れた大きさだった。五十センチ程で、カメラというよりマジックで使う箱にレンズがついているよう見えた。二眼レンズカメラ、ここに来る前に調べた内容が頭をかすめた。
「あの…聞いてますか?」
目の前の眉間にシワを寄せた男性は二十歳前後。僕より十ぐらい若いーーと言っても、実際は何十歳も年上なのだがーー周りを見回すあまり、彼に返事をしそびれていた。この時代の人間ではないと疑われた時点で強制帰還。
緊張が走る。坂巻、は名乗るべきではない。
「僕は…さ、佐々木瑛太と言います。撮影をしているのを覗いていました。挨拶が遅れてすみません」
落ち着いて、なるべく丁寧に、年上らしく対応したつもりだが、彼は益々眉間のシワを深めた。
「佐々木………? はぁ。ここは撮影スタジオなので関係者以外はご遠慮頂いています。どなたの関係者になるのでしょうか?」
その質問に誤魔化す言葉が見つからず視線を漂わせると、若かりし頃の祖母が視界に入った。写真一緒に撮影した男性と笑いながら、写真館の出口に向かっている。
「か、彼女……葉子さんの知り合いです」
嘘ではない。
僕はその場を必死で誤魔化して、赤に白の鶴が飛ぶ振袖の彼女を追いかけようと足を向けた。しかし、その足は腕を掴まれて阻止されてしまった。
「ちょ、ちょっと、待ってくださいーー」
彼は僕に声を上げた。
「僕はここの写真館の坂巻俊明と言います」
聞き覚えのある声、眉間にシワ、表情、名前。僕は納得した。目の前の男性は若かりし頃のじいちゃんだった。
「彼女はうちのお得意様、滝沢様のお嬢さまです。今日初めて撮影に来られたお客様です。その方に素性が分からない人を簡単に近づける訳にはいきません」
いや、じいちゃんに頼まれて、ばあちゃんに話を聞きにタイムスリップして来た、とは言えずに視線だけで祖母の背中を追いかけていると、祖父は硬い声色で僕に言葉を発した。
「…佐々木さん、お住まいはどこですか?」
完全に僕の事を警戒している。
「えっと、…日比谷です」
「日比谷? あそこは塩田ばかりですよ。人が住めるような場所じゃありません」
自分が住んでいる場所の六十年前の状態なんて調べては来なかった。服装には気を使って大丈夫だと思い込んで来たけれど、詰めが甘かった。
「え、えーっと、あ、そ、そうだ、間違った。四ツ谷だ。今は、四ツ谷に住んでいます」
祖父は眉間のシワを少しだけ緩め、僕の手を離した。
「あ、そう、なんですか。え、じゃあ、四ツ谷の佐々木様のご兄弟の方ですか? そう言えば、お兄さんが居るって言ってたな…」
祖父が勝手に解釈してくれた。ありがたく、その解釈に僕は乗っかる事にする。臆病な僕は相手の言いだした事に合わせていた方が上手くいくことが多いと経験上知っている。
「そ、そうです。弟がいつも世話になってます…ハハハ」
彼は僕の瞳の奥を探るように覗き込んだ。
「本当ですか? いつもって、この前、佐々木様は初めて来たばっかーーーー」
「おい、俊明っ! お前、何、遊んでるんだ。まだ半人前のくせに話している暇があるんだったら、この二眼カメラの位置と次の撮影の準備を早くしろっ!」
祖父によく似た四十代ぐらいの男性が声を張り上げ、思わず僕はビクついてしまった。
「分かってるよ、親父っ! でも、今この人と話してるから」
大声を出した男性に祖父は振り返って、声を飛ばした。
祖父は見習い中だったのか。
だから、写真を撮る現場に居たのに、帽子を被った男性の事を覚えておらず、そんな余裕もなかったのだろう。写真を撮ろうとスタジオの外には正装に身を包んだ人々が列をなしているのが見えた。忙しそうだ。
祖母に話を聞かないと、と室内を探ると彼女は僕の視線に気がついた。誤魔化すように渇いた笑いを浮かべていると、彼女は写真通りのつぶらな瞳で僕を凝視した。緊張が走る。まさか、何も言葉を交わしてもいないのに彼女にバレてしまったのではないかと、その視線が逸らされない事でさらに緊張が増す。
「…あら?」
彼女は帽子の男性に声をかけて、まっすぐに僕に向かって来た。目的の人物が向かって来てくれたのは幸いな事だったが、向かって来た理由が分からない。彼女は振袖を揺らして、僕に近づき、つぶらな瞳で僕を見た。着物に合わせて髪は丁寧に結い上げられていた。
「わたくしにお話があるのですか?」
何故分かったのだろうか、と生唾を飲み込む。
「…はい、そ、そうです」
僕の返事に彼女は口元に手を寄せて笑った。
「なぜ、敬語ですか? 瑛助叔父さま、いつも、おい葉子、来たぞって家中に響くぐらいの声でお話をされるのに。そんなに小さなお声でお話されるのは初めて聞きましたわ」
記憶にある祖母の笑い方が一緒で僕は安心して思わず笑みを浮かべてしまった。
「え? 先程、佐々木ってーーー」
祖父は眉を寄せて僕の顔と祖母の顔を交互に見た。彼女は笑って祖父に言った。
「いいえ、この方は滝沢瑛助さま。わたくしのお父様の弟ですの。叔父さまです。じゃあ、これで失礼致します」
彼女は僕の腕を引いて、出口に向かった。祖父は納得のいかない表情で怪訝そうに僕を見ていた。
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