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語主と一緒に生活をはじめて数日、さっそく語主はよちよち歩きで私の後を付いてくるようになった。なぜそんな風に私に懐いたのかはわからない。ただ、温かくて柔らかい食事をさせたり、夜眠るときに私の住んでいた山の話をしたり、沐浴をさせたり、そう言うことはしていたけれども。
語主が私が着ている服の裾を掴んでひっぱる。
「あーあーう」
物語を司る神にしては、まだ言葉が不自由だ。だけれども幼い子供はそんなものだろう。それに、言葉がしっかりしていなくても語主が何を言いたいのかはわかるのだ。
「私の名前が知りたいのかい?」
しゃがんで目線を合わせてそう訊ねると、語主はこくりと頷く。じっと見つめてくる語主の頭を優しく撫でて、ゆっくりと話し掛ける。
「私の名前は、蓮田岩守だよ」
「お?」
「蓮田岩守」
「おー」
ゆっくりと何度か私の名前を聞かせると、語主は小首を傾げてこう返した。
「はすたぁ」
きっと、私の名前が難しくて一度には覚えられないのだろう。その様が可愛らしくて、思わず微笑む。
「そう、蓮田だよ。よくできたね」
褒められたのがわかったのだろう、語主は嬉しそうに声を上げて喜び、何度も私の名を呼ぶ。
「はすたぁ、はすたぁ」
「ふふっ、そんなに気に入ったかい?
さて、そろそろ昼餉の時間だよ。食べに行こう」
上機嫌の語り主を連れて、食事が用意される部屋へと向かう。その部屋で食事をするのは私と語主だけだけれども、他の神と一緒で賑やかになりすぎるよりは落ち着くので、特に文句は無い。
けれども、語主がもっと大きくなって他の神と交流を持たなくてはいけなくなった時、その時はどうなるのだろう。語主は他の神と食事をしたいと言うだろうか。
きっと言うのだろう。そして、他の神に混じるのが当たり前になって、いつか私を忘れるのだろう。
語主の面倒を見始めてからふたつほど季節が過ぎた。空気も暖かくなり、柔らかく暖かい日差しが差すようになった。今住んでいる宮廷の庭も、花で溢れるようになった。
「はすたぁ、あそぼ」
だいぶ足腰はしっかりしたけれども、まだ舌っ足らずなしゃべり方をする語主に誘われて庭に出る。きっとこの庭は人間達の都の宮廷にある物よりも広いのだろう。梅の木が所々に植わり、その下を覆い尽くすように花畑が広がっている。
語主は、この春の花畑がいたく気に入った様子だった。私と一緒に花を摘み、髪に飾る。髪に飾りきれなかった分は服をかご代わりにしてその上に集め、家屋の中まで運び込む。そして食べられる花は厨房に持っていって塩漬けにして貰うか、茎から摘んで蜜を吸ったり、食べるのが難しい花は私がちょっとした加工をして鉱石へと変える。硬く光を照り返す花は、枯れることなく私たちが暮らす部屋に飾られている。
こう言った奇跡を起こすのは控えるようにと神々の間では決まりがあるのだけれど、人間に渡すのではなく神同士で楽しむ分には許してもらいたい。
私と語主は、そんな春を何度も過ごした。それはあまりにも短く、幸福な時間だった。
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