弥兵衛の鉄砲

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弥兵衛の鉄砲

 化け物を探しに来たって?  へえ、東京から。あれかい、孫がよく言っているほら・・・・・・なんとかってやつ、若い人は行動的だからねえ、遠くまでお疲れ様。    化け物が住んでいる山なら、ほれ、ここから見える稜線の、いちばん高い山のてっぺんだ。とはいえ、今じゃほとんど姿も見せてくれねえし、騒いだり、畑を荒らしたりもしなくなったから・・・・・・どこか別の山にでも移っちまったんじゃねえのかね?  え?話だけでも聞かせてほしい?まあ物好きなことで、縁側にでも座って、茶でも飲んでいきなされ。こないだ孫が送ってくれたラスクと、うちの庭でとれたミカンでも食べて。酸っぱいけど、味はいいよ。うちのミカンは。    そんなに顔をしかめるほど、酸っぱいかね?スーパーで売っている果物はみんな甘くなってるからねえ、俺には懐かしい味なんだけどもねえ。  そうだ、化け物の話だっけ。あれはまだ俺が、あんたたちみてえに若かった頃の話だ。ずいぶん昔のことだから、俺も化け物もまだ若くての、畑を荒らしたり若い娘をかどわかしたり、鶏の首だけ食いちぎっていったりと、村の者たちが困ることばかりしておった。  まったく、手に負えない化け物じゃ。  夜中に来るから、闇に紛れて姿も見えぬ。  うちの坊主がこわがって、寝小便が治らねえ。  化け物がいちど足を踏み入れた畑は、作物が育たねえ。おかげで村の者はみんな飢えて腹を空かせて、家族みんなで「もう住めねえ」と見切りをつけて、出て行った者もいた。止められるかね、子どもらが腹が減った、腹が減ったと泣いて泣いて、かわいそうで見ていられぬと、そこの嬶も泣いていたぐれえだもの。行くなと引き留めるなんて、ひどいことができるかい。    出ていく者らが増えるにしたがって、化け物は調子にのったのか、空き家を吹き飛ばしたり、荒れた畑の土をごっそり持っていったり、赤ん坊を連れ去ったりと、ますますひどくなっていった。  もう我慢できない、そんな声があがって、山狩りをするかしないかと膝をつきあわせて話し合う夜が続いた頃だったかの。  青白く、鋭い三日月が寒々しく光る真夜中に、山のほうから銃声と、犬とも狼とも、クマともつかぬ大きな低い、うらめしそうな獣の叫び声が聞こえてきた。  ありゃ、何だべや。  隣村にいる、鉄砲撃ちの弥兵衛が、ひとりで山に入ったと。  まさか、化け物を倒してきたんじゃあるめえな。  ばか言え、向こうは化け物じゃ。鉄砲なんかじゃ倒れねえ。  夜が明ければ、ぜんぶわかる。それまで辛抱だ。  膝の震えをぐっと両手でおさえながら、俺の父ちゃんが言った。  父ちゃんは豪気でな、イノシシが出てもまむしが出ても、鎌いっぽんでなぎ倒すような男だった。けれど、足を怪我して、寝たきりになってなあ。俺さえなんでもなけりゃと、悔しそうな顔をしてたっけなあ。  空が白々として、村の者たちがそおっとおもてをうかがっていると、片手に鉄砲をかついで、片手でずるずるとなにかをひきずりながら、こっちに向かって歩いてきた。弥兵衛が歩く道なりに、赤黒い血がしみていた。  おうい、おうい、捕まえたぞ。  こいつが化け物だ、見に来い、見に来い、もう動かねえ。  弥兵衛の呼びかけにつられて、子どもらがわあっと外に出た。  続いて大人たちが、おっかなびっくり外に出た。  弥兵衛の後ろに、でっかい山のような、真っ黒な物が伸びていた。  子どもらはたまげて、腰をぬかして、小便を漏らすのもいたなあ。  大人だって、ひとめ見たとたん、うーんと倒れるのもいたよお。  真っ黒な、ふっさふさの毛の間に、あの夜に浮かんでいた三日月みたいな、青白いどくろが、シャレコウベがびっしり生えていたんだあ。  顔だってひとつじゃねえ、クマとイノシシと大蛇のみっつが、ひとつの首から生えてんだから、そりゃあたまげるさ、腰を抜かすさ。  これが化け物じゃ、と弥兵衛は言った。  山をまたいである村が、弥兵衛が住む村と、俺の住む村が豊作なのをねたんで、まじないができる婆に頼んで、こさえてもらった化け物だと。  いつも不作と、争いと、罵りあいがたえない村でな、誰も寄りつかんところだった。お互い様で、お陰様で生きていれば、あんな化け物をこさえなくとも、山の神様がちゃあんと、米だの野菜だの、たくさん実らせてくれるんだあ。  化け物は、三日三晩焼いて焼いて、ようやく骨になった。  その肉はとろけるように旨くて、骨は軽くて丈夫でな、偉くて金持ちで、強くなりたい町の者に高く売れた。  おかげで良い暮らしもできたし、俺もこうして生き残っているというわけだ。  だから、あの化け物はもういねえよ。  探しに来てくれたのに、残念だね。  外はすっかり真っ暗だ、ありあわせのもんしか作れねえが、泊まっていくかい?なに、迷惑なもんかね。こっちはひとりでずうっと、ここで暮らしてきているんだ。  弥兵衛の言うとおりだなあ、度胸試しだとか言って、化け物の肝なんか食うんじゃなかった。  百年、二百年とひとりぼっちでいたあいだ、俺のほうがすっかりと、化け物になってしまったなあ。  ほれ、影を見てみろ。  俺のだけ、クマみてえな、ずんぐりしたもんになってるだろ。  化け物のまじないよ、肝を食うと、影が化け物に似ちまうって。  ははは、とって食ったりするもんかね。  ヒトの肉など筋っぽく、まずくて食えたもんじゃない。汗も小便も臭くなる、あんなもん二度とごめんだわ。  ほれ、イノシシの鍋だ。  嫌なら栗ご飯もある、一緒に食うか?  賑やかな飯は久々だ、どうかつきあってくれねえかの?    
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