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しかし、剣の切っ先は彼女を掠めることもなく空を裂いたのみだった。
剣閃の後を追ってふわりと舞った髪を、白魚のような指が撫でるように絡め取り「もう少しお手入れされてもよろしいのではないかと思いますけれど」と、一言呟いて放す。
踏み込みが足りなかった?そんな馬鹿な。メリーロッテは困惑していた。部屋は薄暗いとはいえ、剣の技量にはそれだけの自負がある。
だがそれを表情に出すことはない。相手は微かな恐れも緊張も見せていないのに、ここで自分だけが気後れを悟られるわけにはいかない。
「見事なお手前ですわ。戸惑いをお顔に出されないその精神力も」
微笑んだままカップを傾ける彼女は、しかしその何もかもを見透かしているかに思えた。
相手のペースに巻き込まれてはいけない。
けれども、剣が、腕が動かない。
相手の掌中にあるという漠然とした確信がメリーロッテの心を支配している。
まったく気付けないまま自室への侵入を許し、本気と言って差し支えのない一撃を躱され、それに焦りを覚えつつも平静を装った心を見透かされ、あまつさえそれを称賛されるなど。
しかも同じ女の身である相手に、だ。
女に負けるわけにはいかない。
それは最後の一線なのだ。
「貴様、何者だ」
不安と焦りに眩暈のしそうな屈辱までも辛うじて飲み込み、平静を装ったまま名を問う。
只者ではないかも知れないという軽い気持ちの推論は、今や只者ではないに違いないという確信、いや、そうあって欲しいという祈りにも似た感情にすり替わっていた。
名のある人物であるならばまだ、救いもあるかも知れないから。
相手は待っていましたと言わんばかりに、さも楽しそうに薄灰色の柔らかな瞳を輝かせて問いに答える。
「わたくし【魔女】と申します」
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