第一話「私のどこが好き?」(1)

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第一話「私のどこが好き?」(1)

「イッシーはさ、私のどこが好きなの?」  それは一見、彼女に聞かれて困る質問ナンバーワンの、たわいもない問いかけだったが、この時の僕はエリコのその質問の意味を何もわかっちゃいなかった。  ただ、二人黙々とコーヒーをすすり続ける気まずい沈黙に絶えきれなくなっていた僕は会話の口火を切ってくれたことに感謝した。  今日は僕のアパートに初めてエリコがやってきた。付き合い始めて三ヶ月目、良い感じに距離感は縮まってきている。けして性急ではないと思うが、僕は女の子を自分の部屋に上げたのが初めてだったので何を話したらいいのかわからなくなっていた。格好つけて、徹夜の時くらいしか飲まないコーヒーを出したのも失敗だった。カフェインが効き過ぎた僕は必要以上に緊張して、ベッドに腰掛けたエリコとの間には最終面接会場の面接官と就活生のような緊張感すら漂い始めていた。 「ん? なに突然?」  上ずった声で返事をした僕に、エリコはその黒いまっすぐな髪をかき上げて促す。 「うふふ。なんとなく。ねえ、イッシーは私のどこが好きなの?」  緊張なんてしていたのは僕だけだったらしい。エリコのその表情はいつもと同じように、やんわりとしていて見る者の心を溶かす。いつの間にか僕自身の緊張も溶けていく。  聞こえてはいたが脳みそに入ってきていなかったエリコの質問をようやく僕は認識する。  どこが好きか、だって?  そうだなぁ……  とっさに答えが思いつかず、エリコの顔を見る。こっちを見るエリコと目が合ってしまい、慌てて少し下に目を反らす。  えっと……この質問、何が正解なんだろう。容姿の良い女性は内面を褒められたがり、容姿に自信の無い女性は容姿を褒められたがると言うが……。だとしたらエリコの内面を褒めるべきか。でもエリコは誰が見ても美人だ。その美貌をスルーして答えても、かえって嘘くさくないか。  くっ……。この質問、難しいぞ。模範解答がすぐには出てこない。 「へぇ。そっかぁ。胸かぁ」  え。なんだって。  見上げるとエリコがにやにやと僕を見ていた。 「結構ストレートだよね。イッシー。意外だったなぁ」  あ……。  僕はいつの間にか、エリコの豊かな胸を凝視しながら考えにふけっていたようだ。 「いや違うんだ。誤解だ。そういう意味で見た訳じゃ無くて」 「うふふ。今さら誤魔化さなくていいって。いつも結構、私の胸見てるじゃん。大学生男子としては健全だと思うよ」 「ち、違うって。いつもそのお洒落なスカーフを見ていたのであって胸を見ていたわけでは」  我ながら言い訳が苦しい。ていうか、そんなに胸見てたっけ、僕。  必死に弁解しようと慌てる僕をよそにエリコはふむふむなるほどねー、とか言いながらベッドの上で後ろを向いた。服の裾でも直しているのか何かガサゴソと音をさせている。 「だったら、これならどう?」  再びエリコがこちらを向いた時、エリコには胸が無かった。 「いやそれはさ……えっと……え?」  胸が無くなっていた。  かつて服の上からでもわかったその豊かな双丘は今なだらかな平野となり、かつての栄華はその痕跡を服の皺に残すのみ。 「……え?」  挑戦的に僕を見るエリコの手には、何かピンク色の物体が握られている。 「それ何?」 「胸パッドだよ。AカップをEカップまで持って行く魔法のアイテム」  聞く前からそれはわかっていた。問題はなんでそれをつけてたかってことだ。 「ごめん。ちょっと何が起きたのかわからなかったんだけど」  だから、とエリコはパッドを僕に放ってよこした。 「イッシーは私の胸が好きだったんでしょ? だったら、これが無くなった私だったら、どうなるのかなって」  そういう……ことか。ようやくエリコの質問の意味がわかりかけてきた。 「改めて聞くよ。私のどこが好き?」  要するに。エリコは今日、僕の部屋に来てこの告白をする決心をしていたわけだ。かねてからよく胸を見ている(とエリコが思っている)僕に、エリコは心配だったのだ。本当は貧乳だとばれたら僕が嫌いになるんじゃないのか、と。  オーケイ。  僕はエリコを安心させるように、微笑んだ。僕を舐めて貰っちゃ困る。 「言ったかい? 僕が。胸の大きな子が好きだとか」  余裕を感じさせるべく、コーヒーを一口すする。 「言ってない。でも、わかるよ。イッシー、ベッドの下に巨乳アイドルのポスター隠してるよね」  ぶほっ。コーヒーを吹き出しながらなんとか余裕を保とうと努力する。落ち着け、僕。 「エリコ。胸が大きかろうが大きくなかろうが、エリコはエリコだ。僕は胸のことなんか関係なく君が好きなんだ」  じっと、エリコの顔を見る。  ……決まった。 「おっけー。うん、わかった。ありがと」  ……軽いな。  だがどうにかエリコは僕のことを信じてくれたらしい。ほっとした。 「それにしてもエリコがパッドを入れていたなんて意外だったよ。そんなに胸が無いのを気にしていたとはね。スタイルのことなんて気にするタイプじゃないと思ってたから」 「スタイル? そうだね。あんまり気にしないけど」  変なことを言う。じゃあなんでこんな異様なボリューム感のパッドを入れてたんだ。 「イッシーが巨乳好きだからね」  僕のため? そりゃおかしい。 「いやだって、エリコ、出会った時から胸大きかったじゃないか」  僕との最初の出会いからパッドを入れてた筈だ。  だがエリコはぴしゃりと言った。 「そんなことより」  エリコはずいと顔を近づけて、挑戦するように次の質問を僕にぶつけた。 「胸じゃなければ……私のどこが好きなの?」  僕は答えに詰まる。  *  半年前、僕、石澤慎吾は彼女いない歴=年齢のまま二十歳となった。  高校生の頃は憧れはあっても危機感はなかったのだが、大学三年生となり周りを見回してみれば、彼女がいるやつはけして少なくなかった。生まれてから一度も女性とお付き合いしたことがないというのはどうも僕が思っていたよりも少数派なのかもしれないと気がついた。  何がいけないのかなと愚痴を言った僕に、酔った友人は言った。 「お前、好きな相手としかつきあいたくないと思ってるだろ?」  当たり前じゃないかと言うと友人は舌打ちをした。 「当たり前か。それじゃお前の好きなタイプの女子がたまたまお前のことを好きになってくれる確率がどれほどあるよ?」  身も蓋も夢も希望も無いことを言う男だと思ったが、何も言い返せなかった。 「俺達モテない男はなぁ、相手を選んじゃダメなんだよ。好みのタイプを見つけるんじゃない。見つかった相手を好みのタイプにするしかないんだ。俺達がすべき努力はそういう、うっぷ」  そこまで喋ってトイレに駆け込んだ友人は翌日何を喋ったか記憶を失っていたのでそれ以上聞けなかったのだが、それはともかく僕は友人の意見を素直に受け入れる気にはなれなかった。  諦める気にはなれない。  だったら道は二つしかない。僕がモテるタイプになるか、出会いのチャンスを増やすかだ。  つまり道は一つしかない。出会いのチャンスを増やすしかない。  ただ出会いのチャンスを増やすと言っても、ナンパも合コンも苦手だった。  そんな時学内の掲示板のポスターを見つけた。「今だけ特別価格! 学生の皆さん、出会い、要りませんか!?」というコピーに思わず目が釘つけになった。  「スワン・カップル」という男女のマッチングサービス。  スワン・コーポレーションという会社が運営している。社名は聞いたことがあった。結婚相談や恋人紹介といったマッチング・サービスを手広く展開する会社で、わりと良い値段のするイメージがあり学生の自分には縁のない会社だと思っていた。  だが期間限定の学生向け特別価格は確かに安かった。僕は試しに半年コースに申し込んでみることにした。  ところが、申し込んでから最初に紹介があったのは、三ヶ月も経ってからだった。問い合わせても「学生向けのキャンペーンを始めたばかりでお客様に近い世代の登録会員数が少ない」とか言われていう待たされ、「大企業がこんな詐欺を働くなんて」と消費者生活センターに電話するかどうか迷い始めた頃だった。  しかし、サービスに紹介されたエリコこと津川絵里子は驚くほど僕の理想にぴったりで、僕は「やはり大企業のサービスは違うな」と、サービスへの評価を180度ひっくり返した。  エリコは何から何まで僕の理想だった。そして奇跡が起きた。僕のことを気に入ってくれたのだ。 「お前の好きなタイプの女子がたまたまお前のことを好きになってくれる確率がどれほどあるよ?」  どれほどかは知らないが、僕はその奇跡的な確率を引き当てたらしい。  僕とエリコの交際がスタートした。奥手である僕はまだ三ヶ月経ってやっと手を繋ぐところまでいったくらいだが、それでも不思議と焦りはしなかった。ゆっくり関係を進展させていけばいい、そう思えた。  *  そう思えたのだが、エリコのほうは急転直下だった。 「ねえ、どこが好きなの? やっぱり胸だった?」  意識を引き戻す。 「どこって言われても困るよ。その綺麗な黒髪だって好きだし、声も好きだし……」  こういう時は、どこかが好きと言うよりも、たくさん好きなところを挙げたほうが良い筈だ。結局女の子は、この質問によって自信を持ちたいだけなのだ、だからとにかくたくさん褒めるのが正解……と、何かで読んだ記憶がある。 「髪か……。いいよ、髪ね。じゃあ、これならどう?」  エリコは頭に手をやると、すとんとその手を落とした。 「う、うわぁ!?」  また。  まただった。  エリコのニコニコとした顔の上に……それまであった黒い綺麗なロングヘアーが無くなっていた。今それはエリコの手元に握られ、代わりに彼女の頭には、だいぶ色の薄い茶髪のショートヘアーが表れた。 「……な……」 「これならどう?」 「これならって……え、カツラだったのか? な、なんで。嘘だろ?」 「黒髪ロング、好きでしょイッシー」 「好きだけど……!」  確かに好きだが、ヅラかぶってまでしてくれなんて思わないし、言ったこともない。……いやそもそも、それも最初からじゃないか。僕が出会った時からエリコは黒髪ロングだった。 「イッシー、これでも私のこと好き?」 「好きだよ!」  そう叫ぶように言った。嫌いになる理由になんて、ならない。それはそうだ。だけど。 「でもなんでだよ! カツラって……カツラって。意味が分からない。しかも出会った時から……? どうして!?」 「好きなの? ありがとう」 「いや、ありがとうじゃなくて。え、これ何なの? 今何が起こってるの?」  うふふ、落ち着いてイッシー、とエリコ。 「おち……!? 落ち着いてられないよ。こんな……」  エリコは肩をすくめた。 「ダメだこりゃ。次行ってみよー」  おどけるその表情は、僕の返答を意にも介していない。  えーと次は何だっけ、とエリコは頬に指を当てる。  胸とは訳が違う。顔は同じでも髪型が変わりすぎて全くの別人に見える。 「声、だっけ」  そう言ってエリコは、しゅるり、といつもその首に巻いている薄ピンクのスカーフを外した。  きれいなうなじが表れる。その仕草に少しどきっとした。しかしどきっとしている場合ではなかった。 「どうもー」  ……? 「イッシー? もう、キョロキョロしないでよ」  僕がなぜ部屋を見渡したかと言うと。  いきなり見知らぬ女の声が聞こえたからだ。  だが部屋には僕とエリコ以外の姿は無い。この声は……エリコの口から聞こえている。  エリコの声が……変わっている。 「あれ? イッシー、固まってる?」  いつものエリコの、ややハスキーがかった高い声ではなくて、少し低い別人の声になっていた。 「だ……だ、誰の声、これは」 「エリコだよ?」  その声帯が確かに動いているのを確認するようにエリコの喉を凝視してしまう。確かに間違いない……エリコの喉から発されている。 「え、何その声。……こ、声色?」 「ううん」  エリコは僕のほうに外したばかりのスカーフを見せて指さした。 「そのスカーフ、変声器なの。それで声を変えてたの」
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