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逢魔
住宅地に俺は来ていた。正直、場所に意味があったわけではない。それに近い景色の場所に用があったのだ。家と家の間、もしくは建物と建物の隙間。そういった、いわば路地という立地自体が俺の目的地……
「ここでいいか」
ちょうどよさそうなところを見つけた。廃ビルがそびえる横に、空き家が並んだ路地。やっと人一人が通れそうな隙間が、まっすぐ伸びている。まだ明るいというのに、ビルと空き家の陰が重なって、先を見通せない程に暗い。暗いうえに薄汚い。不法投棄と思われる紙ごみや空き缶が、足元を埋め尽くしている。おそらくネズミが出ても驚かないだろう。
「よっこいしょ……と!」大柄な体を、路地の隙間にねじ込む。制服が汚れるのが気になったが、気を付けながら進むことにする。
あちこち体をひっかけながら、壁を這うように歩く。毎度思うが、“あそこ”に行くためにこんな思いをしなければならないのは正直しんどい。一体誰が、こんな道を思いついたというのか。行き場のないもやもやを抱えて進むと――きた、入口だ。
目の前の狭苦しい路地の壁が、撓む。幻覚でもなんでもなく、物理的に歪んでいく。上下左右の壁が、スライムのように液状化し、徐々に空間を押し広げていく。波打つ壁は次第に形を整え、ものの数秒で全く違う景色へと変わった。
左右は赤漆を塗った漆喰の壁、天井はふさがれており木造の梁が覗いている。後方は、真っ暗で見通せないが、問題はない。帰り方は知ってる。俺は気にせずに前方に目を向けた。
そこには、大きな門がそびえてる。がっしりとした設えの四脚門。
「四条潘ヒロシです! 開門願いまーす!」門に向って声を張り上げる。間もなく、応えるように開き始めた、ゆっくりと。
◇
開いた先は、文字通り別世界だった。通称“逢魔横丁”
江戸時代の遊郭を思わせる街並みが、門からまっすぐ伸びている。目抜き通りは人であふれ、左右には奥ゆかしい建築物が立ち並ぶ。それを照らすように一列に並ぶ提灯――宙に浮いている――が、真っ暗な街並みを彩っている。明らかに、あの狭い路地裏にあろうはずもない空間と世界が、目の前に広がっている。俺は人ごみの中をまっすぐ歩きだした。
しかし、異様さを引き立てるものはその外観だけではない。そこにいる人たちは、正確には“人ではない”のだ。
「おうっ、ヒロシ坊や! 久方ぶりだなぁ! 息災かい!」店先で番をしていた男性――異様に背が大きく、店よりさらに高い――が声を掛けてきた。
「マサさん久しぶり。この通り元気だよ」俺はいつも通りに見上げて返事を返す。
「あらっ! ヒロくんじゃない! もー何してたのぉ? なかなか来ないから、お姉さんこんなに首が伸びちゃったじゃなぁい!」待ちくたびれちゃった、と着流し姿の女性――首が異様に長い――が色気たっぷりに言う。これは彼女の持ちネタだ。
「酒臭いよ、ヨシエ姉さん。あっ、ちょ――! 巻きつくのだけは勘弁して!」
「あー! ヒロシ兄ぃだ! またヨシエおばちゃんに絡まれてるー!」俺がヨシエさんに管と首をまかれていると、人ごみを突っ切って子供たち――大きな目玉が一個だけ付いていたり、絵の具で染めたように真っ赤だったり、異様に舌が伸びていて口に収まっていなかったり――がスクラムを組んで突進してきた。子供たちは慣れた手つきでヨシエ姉さんの首をほどくと、今度は俺にじゃれてきた。
「ありがとう、モミジ、ゴス、ウスキ。お前らも元気してたか?」
「うげー、ヒロシ兄ぃまずーい!」肩によじ登り、モミジは長い舌で俺の首を舐めながら不満を言う。「残念だったな、今日は汗をかいてないからおいしくないぞ」モミジは垢舐めの子で、会うたびに肌を舐めてくる。
「ヒロシ兄ちゃん、今日は遊べるのー?」ゴスは提灯小僧で、いつも顔が真っ赤だ。「ごめんな、兄ちゃん用事があるんだ」
「ヒロシにいちゃん……だれかにようじ?」大きな一つ目を潤ませながら、ウスキは聞いてくる。ちょっと引っ込み思案な一つ目小僧、いや女の子だ。「そうなんだ、顔役に用があってね……みんな、顔役はどこか知ってる?」
「「あっちー」」三人はそろって通りにある茶屋を指さした。「ありがとう」モミジを肩から降ろすと、俺は茶屋へと駆けて行った。
「おう、ヒロシじゃねぇか。こっち座んな」
「顔役、お久しぶりです。お元気でしたか?」
店内では、顔役一人だけが小上がりでくつろいでいた。どうやら今は貸し切りらしい。卓袱台をはさんで対面に正座すると、顔役は無い口で笑った。
「はっはっは、この通りよ! のっぺらぼうなのに顔役なんて、おかしくて笑いが止まらねぇや!」
顔役は相変わらず表情が読めない人だ。皮肉なのか自嘲なのかさっぱりわからない。とりあえず粗相のないようにお茶を濁して、俺は本題を切り出すことに。
「顔役、今日はお願いがあってきました」
「おぉ、言ってみな」
「この界隈で、飛頭蛮の住人をご存じですか?」
「飛頭蛮? いるにはいるが、なんでまた?」
「実はですね……」俺は顔役に、今日の一件のあらましと、少しばかりの“お願い”を頼んだ。
◇
「はぁ、なるほどなるほど」
「はい。そういうわけなので、顔役のお力をお借りしたいのです」
「よう分かった。そういうことなら話に乗ろう。おれも若い衆に声を掛けてやる」
「ありがとうございます、顔役」
「なぁに、気にするこたぁねぇよ。他ならぬお前さんの頼みだ。それに事情が事情だ、この逢魔横丁の顔役として一枚かませてもらおう」
「恐縮です。では、二時間後にお願いできますか?」
「おう、まかせとけい」
顔役は快く引き受けてくれた。さてあとは時間が来るのを待つだけだが――
「おっと……すいません顔役、少し外します」ケータイが震えた。顔役は深くうなずいて了承してくれる。着信はタクミからだった。
『おいっす。そっちはどう?』
「順調だ。そっちは?」
『やっぱ違うみたい。“そっち”の筋が濃厚なんじゃないかなー』
「だろうな。俺は顔役に助っ人を頼んでおいた。もう二時間あれば来てくれるって」
『え、マジ? あっちゃー、かわいそ』
「自業自得ってやつだ。じゃあ、あとでな」
『ういーっす』
通話をオフにする。仕込みは万全だ。ちょっとやりすぎな気もするが、まぁ、そこは相手次第。塩梅を見ながら調節することにしよう。
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